熊本熊的日常

日常生活についての雑記

古き良き時代

2014年08月18日 | Weblog

妻の実家からの帰りの新幹線で読んだ車内誌にイザベラ・バードのことが書かれていた。以前に江戸東京博物館で「明治のこころ」を観たときのことが思い出された。江戸の名残が濃厚であった頃の日本人の暮らしぶりが、バードやモースの眼には幸せそうな魅力あるものに見えたらしい。当の日本人が「文明開化」の掛け声とともに捨て去った暮らしが、「文明開化」の本家からは憧憬にも似た眼差しを受けていたということが面白い。以前、19世紀の欧州でアイヌ研究が流行ったのも急速な工業化や帝国主義戦争で社会に亀裂が目立つようになるなかで理想郷が求められたからだという話を聞いたことがある。そうした西洋世界のフロンティア探訪のなかで辺境ニッポンが注目されたということなのだろう。民芸であるとか道具類のようなモノへの関心だけで終ってしまうのではなく、それらを支えている価値観に対する様々な洞察が西洋から提示されたというのは、理想郷探訪がかなり本気だったということでもある。

当時の日本は果たしてそうした「理想郷」だったのか。その末裔である我々に「理想」の片鱗はあるのか。19世紀の日本に「理想」を観たのは西洋であって、現実を生きていた当事者にとってはなんのことかさっぱりわからなかっただろうが、今の日本を生きる我々にとってもさっぱりわからない。わからないままで終らせてしまうのも情けない。