熊本熊的日常

日常生活についての雑記

四万十ドラマ

2014年08月19日 | Weblog

8月13日に「砂糖不安」というブログを書いた。そこにあるように8月12日に四万十ドラマという地元の物産を扱うサイトで菓子と野菜を注文した。ここは商品がいつ届くかわからないということを承知していたので、特にあてにもしておらず、注文したことすら忘れていた。今日、その四万十ドラマから商品の発送遅延を知らせるメールが届いた。その主たるところを引用すると以下の通りだ。

***以下引用***

この度は台風被害を受けましたが、

みなさまからのたくさんの応援メッセージやご注文に
大変元気づけられております。
ありがとうございます。

さて、商品の発送を順次させていただいておりますが、
予想を超える反響をいただき、
注文数が1,000件近くになったことと併せて
発送時期がお盆期間と重なったこともあり、
一部発送が遅れております。

皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、
少しでも早くお届けできるように手配をさせていただいておりますので、
何卒ご了承のほどよろしくお願いします。
遅くともあと10日前後でお送りできる手配ができております。

***以上引用***

気になったのは、遅延理由に「お盆」を挙げていることだ。盆だの正月だのというのは毎年変わるものではない。盆であることを承知の上で販促をかけたはずである。それが遅延の理由になるというのは何故だろう?

12日に発注したものについて、1週間後の19日に上のような遅延連絡が届くというのもよくわからない。在庫管理という概念が存在しないのか、注文を受けてから商品を手配するということなのか。注文を受けて商品を手配するというのは、在庫リスクを取らないということであり、それはそれとしてひとつのやりかたであると思う。ただ、それならそれで最初からそういうやりかたで商売をしているということを客に告知するべきなのではないだろうか。発注を受けて1週間しても商品を発送することができない。あと10日以内になんとかする、というのは違和感を覚える。発注から1週間を経てなおも「遅くともあと10日前後」という漠然とした納期しか示すことができないというのは、ほのぼのとして結構なことではあるが、なんとなく釈然としないのである。勿論、代金は既にクレジットカードで決済されている。

しかし、考えてみると、世の中の商売の多くは売る側の都合で商品が流通している。ここは少し極端なので「ん?」と思うのだが、工業製品のように一定の規格で生産されたものは必ずしも自分の要求とは合っていない。それでも、機能として必要としていることがあり、その必要な機能を満足するなら他のことには目をつぶるということで成り立つ買い物が当たり前になっている。要するに社会を生きるということは自分の都合と相手の都合との妥協を図ることなのかもしれない。

わずかばかりの買い物だが、いろいろ考えるヒントをいただいた。四万十ドラマに感謝である。