PCのOSをYosemiteに変更した。いきなりJava runtime enviornmentをインストールしろだの、フリーズするだのPCの動きがぎこちなくなった。長年マックを使っているがジョブスが亡くなったあたりを境に使い勝手の良さが失われているように感じられる。Yosemiteに関しては、とにかく立ち上がりが悪い。よくこんなものを「製品」としてリリースしたものだと、アップルの傲慢さに呆れてしまう。Windowsのほうも8のときはぎくしゃくして、ほどなくして8.1が登場するという実態としては不祥事のようなことになっている。バグの所為なのか根本的に何かがおかしいのか知らないが、Yosemiteを導入しようと思っている人はもう少し待ったほうがよい。一番困るのは、例えばこうしてブログをサイト上で書いている途中で、何か他に用ができてPCを開いたまま放置したときに、ネットの接続が落ちてしまうことだ。このブログサイトには自動バックアップがあるので、接続が回復したときにある程度は復旧できるのだが、バックアップに漏れた部分はどうすることもできない。これは個人の雑用のPCなのでそれで何か生活上の不都合が起きるわけではないのだが、仕事で利用している人にとっては大きな問題だろう。セキュリティを強化したということは理解できるが、利用者の生活に対する配慮というか想像力がもう少し働かないものかと疑問に思う。
PCに限らず、近頃は所謂「初期不良」が当たり前になっているような気がする。要するに、製品やサービスを供給する側に自分たちの商品の完成度を詰めることがなくなっている、できなくなっていると言ったほうがいいのかもしれない。理由はいろいろあるだろうが、大元は悪意の存在を前提としなければならない社会になっているということだと思う。PCのOSに関しては、セキュリティにまつわる対応が本来の機能を円滑に発揮する際の障害になっているのだろうし、従前以上にフェイル・セーフ的な措置も強く求められているのだろう。相手を信頼して「その機器やサービスを利用して詐欺を行うことを想定しない」という前提に立てば、PCにせよ通信機器にせよ格段に使い勝手の良いものになるような気がする。
物事が複雑になれば、それだけ罠のようなものも多くなる。そうしたなかで新しいことをしようとすれば、予想していなかった問題が生じる確率も高くなる。先行者が取るリスクは増えるだろうが、それに見合ったリターンが得られるかどうかはわからない。しかし、供給者責任というものがついてまわる。障害が多いほど参入障壁は高くなるはずだが、テクノロジーの伝播は時代を追う毎に速くなっているのも事実だろう。先手必勝で先行者利益が得られると期待できるならイノベーションは活発になるが、リスクに見合うものがないと認識されてしまうと物事は進まなくなる。それが社会の成熟というものなのかもしれないが、積極果敢に新しいことを興そうと思わせるような空気を醸成しないと、人を騙してうまいことやってやろうという矮小な人間が跋扈するようになってしまう。悪意が蔓延してますます物事が興りにくくなる。悪循環に陥っている。