熊本熊的日常

日常生活についての雑記

彼方

2015年06月01日 | Weblog

ミュンヘンでの初日、宿の前にある中央駅の様子を眺めながら構内を歩いてみる。ここは国際列車も発着するのだが、ホームに並ぶのはDBの近郊列車とICEばかり。なんだかつまらない駅になってしまった。当然、東京駅とは比較にならないが、ロンドンやパリのターミナル駅よりも人は少ない。列車が到着すればそれなりに人の流れはできるが、よく言えば落ち着いている。そんなのんびりしたところでも駅とその周辺にはホームレスと思しき人影は目立つ。総じて人が少なめなので、余計に目立つのかもしれない。

とりあえずピナコテークを目指して歩いてみる。駅からピナコテークまではAlter Botanischer Garten, Maximiliansplatz, Briennerstr., Obeliskという経路を辿る。駅からピナコテークまでの風景に全く見覚えがない。しかし、間違いなく1989年の6月か7月にここを歩いているはずなのである。ピナコテークの建物を前にして、なんとなく見た覚えがあるような気はする。記憶を失うというのはこういうことかと妙に納得する。生まれてから死ぬまで1分1秒を全て記憶にとどめることなどできるはずもないのだが、人には幼年時代の思い出があり、直近の記憶もある。そして、その間が当然に連続していると思い込んでいる。現実は連続していない。もちろん、過去からの時間の積み重ねの上に今がある。ただ、現実の記憶は斑模様なのである。おそらく、自分に都合のいいように記憶を作り上げているのだろう。ありたい自分を無意識のうちに作り上げようとして、記憶を取捨選択し、都合のいい自分を装っている。自分などというのは実にいい加減なものだ。