熊本熊的日常

日常生活についての雑記

本拠

2015年06月05日 | Weblog

路面電車に乗ってニュンフェンブルクへ行く。ここはバイエルン選帝侯妃の夏の離宮として17世紀に建設されたところからその歴史が始まる。歴史的建造物としては比較的新しいものだが、先の大戦では戦災に遭わなかったので、おそらくミュンヘンにある歴史的建造物のなかでは最も本来の姿に近いものではないだろうか。このもともとの建物が現在ミュージアムショップなどがある建物で、その後の持ち主の変遷に伴い増改築が重ねられ、19世紀のルートヴィヒ1世の時代に改造された姿がほぼ今日のものだそうだ。尤も、だからといって特別関心するほどのものではない。欧州ではこうした歴史的建造物がたくさんあるので、よほど強い個性がないと、そうしたたくさんあるもののひとつにしか見えない。それでも現地の人々にとっては見逃すことのできない記号的価値のようなものがあるのかもしれない。個人的にはそうした記号的なものに興味を覚える。

ドイツは連邦共和国である。つまり「ドイツ」と呼ばれる地域は複数の国家から構成されている。例えばミュンヘンに暮らす人にとって、バイエルンとはいかなる共同体なのか、ドイツとはいかなる存在なのか、という意識というか認識について説得力のある話が聞きたいものだ。今でも記憶しているニュースのなかに、ソ連の崩壊に際してドイツ東方植民の末裔がドイツへの「帰国」を求めてモスクワのドイツ大使館に集まったというものがある。報道陣からの取材を受けた人がたどたどしいドイツ語で自分が「ドイツ人」であることを訴えていた映像が妙に印象的だった。

夜は宿泊先のホテルのレストランで軽い食事を済ませてから路面電車に乗ってGasteigへコンサートを聴きにでかけた。ここはミュンヘン・フィルの本拠地なのだが、今日の演奏はバイエルン放送交響管弦楽団だ。放送響の本拠地はレジデンツの近くにあるヘラクレスザールだが、同じ市内なのでこちらも似たようなものだろう。今日の演奏は2曲。最初の曲はジョン・アダムズの"City Noir fur Orchestra"。3楽章で構成される曲だが、演奏を終わったことが観客に認識されず、指揮者自らが拍手をしてそれと知らせ、やや間を置いて会場から拍手が起こるというものだった。私は音楽のことは全くわからないのだが、おそらく素晴らしい演奏だったのだろう。なんとなく会場の雰囲気が暖かいものに感じられた。

音楽に限らず芸術におけるコンテンポラリーはその時々の最先端なので、一般には容易に受け容れられないものである。しかし、芸術というものは人が人のために創るものなので、何かしら人の生理と親和していないと支持は受けられないだろう。モーツアルトの曲は典型だと思うのだが、私のような無知な者に対しても心に響くものがある。長い歴史の淘汰を経て残るものというのは何がしかそういうものを持っているものなのではないだろうか。今日の2曲目、ベートーベンの交響曲7番も生理に直接響くものだ。つまり、人の生理がわかれば人を思い通りに動かすことができるはずだが、現在に至るまで部分的局地的な解明や理解はあっても全体像が解明されたとは言い難い。いつかはわかるときが来るのだろうか。もし仮に完璧に解明されたとしたら、おそらくつまらない社会になるのだろう。