ミュンヘン・アウグスブルクの旅から帰り、ネット上に公開されている終戦直後のミュンヘンの街を写した動画を観た。現在の観光名所である旧市庁舎も聖堂も廃墟のようで、街は瓦礫の山だ。アウグスブルクのフッゲライにも戦災の写真が展示されていたが、アウグスブルクのような小さな街も瓦礫の山と化していた。戦災で都市が壊滅的な打撃を受けたのはドイツだけのことではないが、復興の在り方にはそれぞれの土地の事情が色濃く反映されているような気がする。
ミュンヘンもアウグスブルクも被災前の状態に戻すということに力点が置かれているように見える。全く勝手な想像だが、彼の地では自分たちが積み重ねてきた秩序に対する信頼感が厚いのではないだろうか。千年、数百年という歴史を刻んだものが廃塵に帰してしまえば、どれほど最先端の技術を駆使して物理的に表面を取り繕うことができたとしても、失われた記憶は元には戻らない。それならば心機一転その時々の部分最適を指向するのか、それでも積み重ねてきたものを可能な限り守り抜くのか、というところの思考の方向性が例えばミュンヘンと東京とでは大きく異なるように思う。
街並みをジグソーパズルに例えると、ミュンヘンは焼け残ったピースをそのまま使いながら失われたピースはそれらしく作って嵌め込んでいる。失われたものそっくりに作ろうという気があるようには思われない。それは新しく作り直した所為もあり、作り直すのに予算が限られていた所為もあり、どこかハリボテのような風情である。しかしたとえハリボテでも、失ったものを再現しようという意思は感じられる。石造りであった城門をコンクリートで再現し、レリーフであったと思われるものをそれを模した描画で代替しているの見るのは、どこか哀しい。哀しいけれど正直な感じがする。そのまま使うのはナチス関連の施設跡も例外ではない。ミュンヘン郊外にあるダッハウの強制収容所跡が記念館として整備された上で公開されているのは誰もが知るところだが、ミュンヘン市内にあるKonigsplatzにはナチス党本部や複数の総統館などナチス関連施設が集中しており、現在も美術館などに用途転換されて使われているものもある。用途を転換しても、それがもとは何であったかということを隠そうとはしない。過去を現在の都合で無闇に変更しないという姿勢が感じられる。
例えばビールが16世紀に確立された方法で律儀に正直に作られ続けていたり、地下鉄に改札が無かったりすることと、過去を真面目に再現しようとすることとの間には深い関係があるような気がするのである。
一方東京の街並みに、少なくとも私は秩序を感じない。ビールには妙な混ぜ物があるのが当たり前で、地下鉄の改札機の性能を高めようとする意思はあっても、改札機が不要な仕組みを考えようとはしない。人間というものの在り方への認識が根本のとことで大きく違うのだろう。ドイツも日本も先の大戦の敗戦国で、戦後にはどちらも驚異的と称される復興を成し遂げて世界の中枢を担う国家となった。どちらがいいとか悪いとかを論ずる気は全くないが、戦後70年を経て今在るそれぞれの立ち位置がこれから10年20年と経るなかでどのように変化するのか、興味津々だ。