北米太平洋岸で取れたblue fin tunaがradio active contaminationだったそうだ。福島の原発由来の汚染だそうだが、それを食べたからといって人体に影響はないらしい。海はつながっているのだからあらゆるものが往来することに何の不思議もないのだが、日本人としてなんとなく面目無いような気になってしまう。アメリカのみなさん、世界のみなさん、ごめんなさい、と言いたい。
さて、水無月だ。水が無いのは田植えで水を使ってしまうからで、それは今の時期ではなく、陰暦の6月のことである。ここ数年、ほんの少しずつだけれども和歌とか詩のことに関心を払っていて、陰暦と太陽暦とがごっちゃになっていることによる言葉の乱れが気になっている。なんとかならないものかと思うのだが、ひとりで文句を言っていても、ただ年取っただけだと思われるだけだろう。国語審議会や放送局の用語運用に何らかの対応を期待するしかない。要するに不満は解消しない。解消しないことがわかっていることを不満に思うことがそもそも間違いなのだが、思ってしまうものはどうしょうもない。
長く生きていると、どうしょうもないことばかりが膨らんでいく。膨らまさないためには、やはり自分であれこれ行動を起こさないといけないということだ。おそらく身体が自由に動くのもあと10年ほどだろうから、一歩踏み出すということを心がけて生きていきたいものである。