新聞を読まないくせに『深代惇郎の「天声人語」』という本を読んでいる。古本で購入したもので、昭和48年から同50年まで深代が書いた「天声人語」が収載されている。新聞のコラムは受験問題にも取り上げられる日本語の標準のようなものと考えられているようだが、そのなかでも深代の「天声人語」は名文の誉れ高い。
名文とは何か、深代は名文家なのか、というようなことを語るのは専門家や識者に任せるが、読んでいて驚くのは、その内容に陳腐なところがないことだ。社会がそれほど変わっていないということなのかもしれないし、筆者の洞察の深さの故なのかもしれない。いずれにしても、やれ「時代の流れが」とか「変化の速さが」などとあくせくしている人が多いように見えるのに、「時代」がそれほど変化していないというのはどう考えればよいのだろうか。
もちろん新聞のコラムなので、そこに取り上げられていることの殆どは当時の事件や世相だ。懐かしいこともあるけれど、今も似たようなことのほうが多いのではなかろうか。原子力の安全性、孤独死、オレオレ詐欺、政治の狂騒、人生の哀愁にかかわる諸々などは今書き下ろされたと言われても違和感を覚えない。
地球が誕生して40億年だか50億年だかが経ち、その歴史のなかで人類が登場するのは高々ここ20万年ほどのことでしかない。原人まで遡ってもせいぜい200万年だ。そういう時間軸で考えると、40年など瞬時のうちでしかない。なるほど、そこに今と驚くほど違ったことなどあろうはずもない。我ながら愚の至りというより形容のしようのない感慨を覚えている。つくづく間抜けだと思う。
ちなみに、地球の星としての寿命で言うと、今は壮年期なのだそうで、あと40億年ほどすると太陽が燃焼し尽くして超新星爆発を起こして消滅すらしい。そうなると地球もどうにかなるはずだし、そもそも超新星爆発の何億年も前から塩梅が悪くなって、地球も今のような姿ではあるまい。終わることがわかっているところで生活しているのだから、愚だの賢だのどうでもよいことだ。
どうでもよいが、昔の本は文字が小さくて読むのが辛い。
深代惇郎の天声人語 (1976年) | |
深代 惇郎 | |
朝日新聞社 |