久しぶりに予定の無い土曜日だったので、散歩がてら小石川の橙灯というカフェにお邪魔した。ここはハニービーンズの羽生田さんから教えてもらった店で、9月8日付「出会い」のなかで触れている、あの日にワークショップが開催されるはずであったカフェだ。歩いて行けない距離ではないのだが、歩くには少し暑すぎると感じられたので、地下鉄も利用した。
たまに雑誌などでも特集されたりしているが、東京は坂が多い。私が今暮らしている巣鴨地蔵通りは洪積台地上にある。ここから路地を歩いて大塚駅へ向かって下っていく。北大塚1丁目あたりは比較的立派な構えの家並みが続く。きょろきょろとそうした屋敷を眺めながら歩くのだが、なかには人が住んでいる気配の無い家もある。表札が外され、郵便受けにガムテープが貼られているが、比較的見た目の状態は良く、退去後間もない印象だ。どのようないきさつがあってこのようなことになったのか、余計なことなのだがあれこれと想像してしまう。ほどなく坂道は終わり都電の線路のところに出る。大塚駅前を底にして、南大塚通りを丸の内線の新大塚駅を目指して登る。南大塚3丁目交差点から西へ登る通りなどは雰囲気のよい並木道で、かつてはそれなりの街並みであったことが推察される。
新大塚から丸の内線に乗って次の茗荷谷で下車。春日通を渡り、交番の横から延びる緑深い湯立坂を下る。ここではマンション建設を巡り反対運動が行われているらしく、反対を訴える幟や看板が出ている。景観や住環境を巡り、そこにマンションのような大規模建築物を建設しようとするデベロッパーと地域住民との間で紛争が発生することは珍しいことではない。ただ、反対運動の結果として開発が中断あるいは断念されることよりも、そのまま強行されることのほうが多いという印象がある。強行されることが多いからこそ、似たような紛争が後を絶たないということでもあるのだろう。湯立坂マンションの反対運動がどのような争点を持っているのか知らないが、例えば、景観を守れ、とか、環境を守れ、というような、どちらかというと情緒的で合理性に欠けるものであったりすると、やはり反対住民側には不利であるように思う。マンションが建設されることによって、個別具体的にどのような不利益を既存住民が被るのか、ということを数量的に評価し立証するということを積み上げた上で、だからマンション建設や景観変更は不当である、という結論を導くものでないと、行政や司法は動きようがないだろう。個人の間のこととは違って、公のことというのは数値化して表現するというプロセスが不可欠だ。言葉というのは通じているようで通じない。共通言語としての数値というものが、通じない言葉を抱えたものを包括した存在である公に方向を与えるのは仕方の無いことだと思う。
そんなことを考えながら坂を下り、千川通りを右に折れて路地をふたつ越えたところのビルの2階が橙灯だ。通りに看板が出ていないので、通りがかりにふらりと入る、ということは想像できない。偶然にも同じビルの1階でコーヒーを売っているらしく、通りに「Coffee」と書いた幟が出ているので、そこで足を止め、ビルの上に向かう階段を覗いてみることになり、そこの踊り場に目をやって初めて錆びた鉄板に「橙灯」と刳り貫いた看板を発見する。
階段を上がると入り口のドアがあるが、ガラス張りではないので中の様子はわからない。普通の住居か事務所のような様子だ。ノブに手をかけると抵抗なくドアが開くので、営業中であるらしいことがわかる。そこは住居の玄関のようで、履物を脱ぐようになっている。並んでいるスリッパはみたこともないデザインで、革製のようだ。
「こんにちは」
と声をかけると、奥から女性が現れた。中に入ってすぐのスペースはテーブル類が無く、梱包途中のダンボール箱が雑然とおかれている。そこを通り抜けて奥の部屋にテーブルが2つ3つある。カフェ、というより、単に住居を開放している、という感じだ。
店の作りもシンプルだがメニューもシンプルだ。シンプルだけど、おさえるべき説明はきちんと説明されている。よく、メニューを見てもそれだけではどのようなものなのか想像もつかないというようなことがあるが、ここのメニューはそこに書いてあるものがどのようなものなのか、容易に想像がつく。このあたりは、店を動かしている人の知性と感性に拠るところが大きいと思う。
そのメニューの中からエチオピア・モカと人参などを使った甘さを抑えたというケーキのアイスクリーム添えを注文する。コーヒーは球状の器で出された。一口飲んだだけで、いかにもネルドリップという感じのする濃厚な味わいだ。カフェはたくさんあるけれど、こういうコーヒー豆の持つものを出し尽くしたような深い味のコーヒーを飲める店は多くはない。私はこういうコーヒーが大好きだが、ここまで濃厚にすると、この味を支持する人と否定的な人とに極端に分かれてしまうように思う。ちょうど「バグダッド・カフェ」のなかのカフェでの場面のようなイメージだ。ある客はおいしいと思い、別の客は濃すぎて飲めない。無難に万人受けするようなものを狙えば、スタバのようなものに落ち着くのが現実だろう。あらためて「おいしい」ものを作る難しさとか、商売の難しさを感じてしまう。
スリップウエアの皿に盛られたキャロットケーキとアイスクリームもインパクトがある。特に、スリップウエアの皿は、自分が陶芸や焼き物が好きだからという所為もあるだろうが、目が釘付けになった。キャロットケーキもアイスクリームも自家製で甘さは抑えられている。これも好みの分かれるところだろうが、私は好きだ。
スウィートとコーヒーを頂いてから、コーヒーとスリップウエアの話で店の人との会話が始まる。話題は焼き物のこと、この店の器の仕入先のこと、この店で開かれているワークショップのこと、旅行のこと、など際限が無い。他に客がいないということもあり2時間近くも話し込んでしまった。
店を出て、だいぶ日が傾いていたので、歩いて巣鴨に戻ることも考えたが、この後実家に出かけることもあるので、無理はせずに茗荷谷から地下鉄に乗り、後楽園で南北線に乗り換えて駒込で下車、そこから歩いて巣鴨に戻った。途中、旧丹羽家腕木門と同家住宅蔵というものを発見。公園のようなところに門と蔵だけが残されていて、門のほうは豊島区指定有形文化財、蔵のほうが国登録有形文化財になっている。住宅街のなかに唐突に門と蔵だけがある、というのは景観としては面白い。
染井霊園のなかを突っ切って巣鴨の住処に着く頃にはすっかり日も暮れていた。散歩にでかけて人と知り合うというのは、たいへん愉快なことだ。
たまに雑誌などでも特集されたりしているが、東京は坂が多い。私が今暮らしている巣鴨地蔵通りは洪積台地上にある。ここから路地を歩いて大塚駅へ向かって下っていく。北大塚1丁目あたりは比較的立派な構えの家並みが続く。きょろきょろとそうした屋敷を眺めながら歩くのだが、なかには人が住んでいる気配の無い家もある。表札が外され、郵便受けにガムテープが貼られているが、比較的見た目の状態は良く、退去後間もない印象だ。どのようないきさつがあってこのようなことになったのか、余計なことなのだがあれこれと想像してしまう。ほどなく坂道は終わり都電の線路のところに出る。大塚駅前を底にして、南大塚通りを丸の内線の新大塚駅を目指して登る。南大塚3丁目交差点から西へ登る通りなどは雰囲気のよい並木道で、かつてはそれなりの街並みであったことが推察される。
新大塚から丸の内線に乗って次の茗荷谷で下車。春日通を渡り、交番の横から延びる緑深い湯立坂を下る。ここではマンション建設を巡り反対運動が行われているらしく、反対を訴える幟や看板が出ている。景観や住環境を巡り、そこにマンションのような大規模建築物を建設しようとするデベロッパーと地域住民との間で紛争が発生することは珍しいことではない。ただ、反対運動の結果として開発が中断あるいは断念されることよりも、そのまま強行されることのほうが多いという印象がある。強行されることが多いからこそ、似たような紛争が後を絶たないということでもあるのだろう。湯立坂マンションの反対運動がどのような争点を持っているのか知らないが、例えば、景観を守れ、とか、環境を守れ、というような、どちらかというと情緒的で合理性に欠けるものであったりすると、やはり反対住民側には不利であるように思う。マンションが建設されることによって、個別具体的にどのような不利益を既存住民が被るのか、ということを数量的に評価し立証するということを積み上げた上で、だからマンション建設や景観変更は不当である、という結論を導くものでないと、行政や司法は動きようがないだろう。個人の間のこととは違って、公のことというのは数値化して表現するというプロセスが不可欠だ。言葉というのは通じているようで通じない。共通言語としての数値というものが、通じない言葉を抱えたものを包括した存在である公に方向を与えるのは仕方の無いことだと思う。
そんなことを考えながら坂を下り、千川通りを右に折れて路地をふたつ越えたところのビルの2階が橙灯だ。通りに看板が出ていないので、通りがかりにふらりと入る、ということは想像できない。偶然にも同じビルの1階でコーヒーを売っているらしく、通りに「Coffee」と書いた幟が出ているので、そこで足を止め、ビルの上に向かう階段を覗いてみることになり、そこの踊り場に目をやって初めて錆びた鉄板に「橙灯」と刳り貫いた看板を発見する。
階段を上がると入り口のドアがあるが、ガラス張りではないので中の様子はわからない。普通の住居か事務所のような様子だ。ノブに手をかけると抵抗なくドアが開くので、営業中であるらしいことがわかる。そこは住居の玄関のようで、履物を脱ぐようになっている。並んでいるスリッパはみたこともないデザインで、革製のようだ。
「こんにちは」
と声をかけると、奥から女性が現れた。中に入ってすぐのスペースはテーブル類が無く、梱包途中のダンボール箱が雑然とおかれている。そこを通り抜けて奥の部屋にテーブルが2つ3つある。カフェ、というより、単に住居を開放している、という感じだ。
店の作りもシンプルだがメニューもシンプルだ。シンプルだけど、おさえるべき説明はきちんと説明されている。よく、メニューを見てもそれだけではどのようなものなのか想像もつかないというようなことがあるが、ここのメニューはそこに書いてあるものがどのようなものなのか、容易に想像がつく。このあたりは、店を動かしている人の知性と感性に拠るところが大きいと思う。
そのメニューの中からエチオピア・モカと人参などを使った甘さを抑えたというケーキのアイスクリーム添えを注文する。コーヒーは球状の器で出された。一口飲んだだけで、いかにもネルドリップという感じのする濃厚な味わいだ。カフェはたくさんあるけれど、こういうコーヒー豆の持つものを出し尽くしたような深い味のコーヒーを飲める店は多くはない。私はこういうコーヒーが大好きだが、ここまで濃厚にすると、この味を支持する人と否定的な人とに極端に分かれてしまうように思う。ちょうど「バグダッド・カフェ」のなかのカフェでの場面のようなイメージだ。ある客はおいしいと思い、別の客は濃すぎて飲めない。無難に万人受けするようなものを狙えば、スタバのようなものに落ち着くのが現実だろう。あらためて「おいしい」ものを作る難しさとか、商売の難しさを感じてしまう。
スリップウエアの皿に盛られたキャロットケーキとアイスクリームもインパクトがある。特に、スリップウエアの皿は、自分が陶芸や焼き物が好きだからという所為もあるだろうが、目が釘付けになった。キャロットケーキもアイスクリームも自家製で甘さは抑えられている。これも好みの分かれるところだろうが、私は好きだ。
スウィートとコーヒーを頂いてから、コーヒーとスリップウエアの話で店の人との会話が始まる。話題は焼き物のこと、この店の器の仕入先のこと、この店で開かれているワークショップのこと、旅行のこと、など際限が無い。他に客がいないということもあり2時間近くも話し込んでしまった。
店を出て、だいぶ日が傾いていたので、歩いて巣鴨に戻ることも考えたが、この後実家に出かけることもあるので、無理はせずに茗荷谷から地下鉄に乗り、後楽園で南北線に乗り換えて駒込で下車、そこから歩いて巣鴨に戻った。途中、旧丹羽家腕木門と同家住宅蔵というものを発見。公園のようなところに門と蔵だけが残されていて、門のほうは豊島区指定有形文化財、蔵のほうが国登録有形文化財になっている。住宅街のなかに唐突に門と蔵だけがある、というのは景観としては面白い。
染井霊園のなかを突っ切って巣鴨の住処に着く頃にはすっかり日も暮れていた。散歩にでかけて人と知り合うというのは、たいへん愉快なことだ。