熊本熊的日常

日常生活についての雑記

砂糖不安

2014年08月13日 | Weblog

ここ数年、砂糖は高知県黒潮町産の黒砂糖だ。毎年今頃に町と購入契約を交わし、製品は11月下旬に送られてくる。今年は町から何の知らせもなかったので、先週月曜日に郵便で問い合わせをした。まだ返事が来ないのだが、昨日、その隣町である高知県四万十町の四万十ドラマから支援要請のメールが届いた。高知県は台風12号に伴う暴風と11号の直撃に立て続けに見舞われてたいへんな状況になっているらしい。

高知県に特別な関係があるわけではないのだが、黒砂糖やら四万十の物産をたまに購入する縁はあるので、とりあえず四万十の菓子と煎茶と野菜を注文しておいた。以前に東日本の震災後の自分の生活に関連してこのブログにも書いたことだが、平常を失ったときには日々の生活の細々とした平常をひとつひとつ取り戻すことが一番確実な復興策だと思っている。夏の観光シーズンに合わせて積み上げた在庫が天変地異によって掃けなくなってしまったのなら、その在庫を平常と同じ方法で減らすことがなによりの復興だ。つまり、当たり前に買えばよいのである。復興支援だからと不要なものを無理に買い込むのではなく、普通に欲しいものを吟味して、結果として少量でも大量でも、普通に買い求めるのである。何故当たり前であることが大事かといえば、特別なことは継続しないからだ。平常を取り戻すということは継続性を確保することでもある。自分と縁のあるものの持続可能性に寄与し続けることは、自分自身の生活の持続可能性を担保することにもつながる。安月給なのでたいした支援もできないのだが、先週土曜日に家にあったデジタルカメラを2台ソフマップで売って小銭が入ったこともあり、それを流用することにした。金は天下の回りものだ。

ところで、いつもの黒砂糖が入手できないとしたら、来年の砂糖をどこで確保したらよいだろうか。これまで自分にとって黒潮町の黒砂糖は単なる栄養源ではなく、お裾分けを通じて身近な人々との交流を図る道具でもあったので、そういう意味合いも含めた代替物を考えないといけない。

 


29年目の夏

2014年08月12日 | Weblog

就職活動をしていた頃、日本航空も受けた。2回目の面接まで進んで、その次が無かった。もし、あのとき入社していれば、社会人一年目の夏は123便事故の遺族対応に追われていたはずだ。昨年入社した今の勤め先は、当時の日本航空の本社が入居していたビルがあった場所に建っている。ビルの名前は当時と同じだが、建物は立て替えられて当時の倍以上の高さのビルになっている。30年前の今時分に着慣れないスーツを着て緊張した面持ちで面接を受けた場所に、今はかなりカジュアルな装いで通っていることにふと気がついた。縁というほどの縁でもないだろうし、日本航空にしても50数社受けた会社のひとつでしかないし、特にどうということのことでもないのだが、「これまでに当社の何人かの社員にお会いになってみて、どのような印象を受けましたか?」という2回目の面接の質問がいまだに記憶に残っている。あの問いに何と答えれば次の選考に進むことができたのだろうか。


そういう年頃

2014年08月06日 | Weblog

佐世保の事件の加害者の父親である徳勝仁は昭和36年生まれ、昨日亡くなった理研の笹井芳樹氏は昭和37年生まれだ。片や、弁護士であり、国体選手であり、地元では所謂「名士」である。片や世界的に名を知られた医学者であり、私のような門外漢には想像もつかないような画期的な研究成果を数多く残している、らしい。どちらも、本人の身近な人あるいは人たちのことで社会から大きな批判を受ける立場になった。事件そのものよりも、同じ世代の人間として考えさせられるものがある。

生きるということは好むと好まざるとにかかわらず他者との関係を蓄積させていくことだ。その関係性は本人の社会的地位や活動領域によって疎密の程度が変化する。密になれば当然に本人にはどうすることもできないところも出てくるだろうし、本人の意図とは反したものが出現することも増えてくるだろう。しかし、世間はそういうものを本人と同一視するものだ。殊に本人にとって不都合なものほど無闇に大きく取り上げられるものである。人は本来的に自分の存在を肯定したいのである。他人を否定することが自己の肯定と表裏一体に思われる状況というのは少なくないのだろう。たとえその相手を知らなくとも、誰かを批判することで自分が一端の存在だと思いたい心理は程度の差はあれ誰にでもあるのかも知れない。マスメディアや世間の噂が所謂スキャンダルを語るときの語り口は情緒的で悪意に満ちているのは、そうすることで営業上の効果が期待できるからだ。なぜ期待できるかといえば、誰かを批判する以外に己の存在を確認する術を持たない大衆市場が確かにあるからだ。それで、徳勝氏と笹井氏だが、誰もが真似のできない立派な経歴を持ち、ちょうどそういう悪意の対象になりやすい存在であったのではないだろうか。

本人たちと面識がないので軽々なことは言えないのだが、同世代の人間としてなんとなく想像が働くのである。社会に出て30年前後を経て、それなりの実績を残して地位を築き、大詰めの一歩を踏み出そうというところだったのではないか。本人にそういう意識があったかどうかは別として、流れとしては50歳前後というのは社会人としては一番力のある時期だろう。ただ一方で、そこに至る間に残してきた不具合や不都合の処理しきれていないものもそれなりに蓄積されている。その不具合に対する認識と処置を誤ると命取りになる。素行に問題がある子供を留学させてしまうというのはよくある話だし、人が最も得意とするところで取り返しのつかない失敗を犯すのもよくあることだ。自分に近いと認識しているもの、自分が得意だと意識していることに対しては、往々にしてわかったつもりになりがちだ。わかったつもりになると、そこから先への思考が停止してしまう。成功体験の強い人ほどその罠に陥りやすいのではないだろうか。

 

 


これは事件だ

2014年08月04日 | Weblog

18時50分、携帯に電話がかかってきた。某警察署のMと名乗る男性で、2つのことを尋ねてきた。
1 某市N町に住んでいる、あるいはいたことがあるか?
2 10年ほど前、ベンツに乗っていたか?

余計なことは話さずに尋ねられたことだけに必要最小限の回答をした。電話を受けた時点では、それが本当に警察の人かどうかわからない。電話を切ってから、着信記録の番号を調べてみたら本当にその某警察署だった。これは事件だ。たぶん私は容疑者のひとりなのだ。さて、どの悪事がバレたのか。 

以前にもこのブログに書いたが、国家権力というのは入口の部分は実にソフトだ。ふと『23分間の奇跡(原題:The Children's Strory)』を思い出した。


笑えない

2014年08月02日 | Weblog

 午前中、日本民藝館で濱田庄司展の関連企画である茶話会に参加して、午後に陶芸にでかけて、夜は落語を聴いて来た。

茶話会は茶菓子付きの講演会のようなもので、濱田の孫である濱田琢司氏が濱田の思い出を語った。身内ならではの話があって大変興味深いものだったが、なかでも濱田が最晩年に認知症を患っていたということを初めて聴いて驚いた。長く生きれば身体にはガタが来て死に至るというのは自然なことなのだが、自分のなかの濱田のイメージと認知症とは結びついていなかったので驚いたのである。

落語会は普段はあまり聴かない噺家の会だ。今の妻と暮らしはじめてもうすぐ一年になる。妻は私と付き合う前は落語など聴いたことがなったそうだ。その妻が今日の会の帰り道に「私は今日の噺は笑えなかったな」と宣うた。一緒に暮らすようになってからは落語会は二人で出かけているので、それにしてもまだ10数回しか生の落語を聴いていない人の評である。私も「船徳」の途中で居眠りをしてしまった。このブログの毎年の大晦日にはその年に聴いた落語会の一覧もあるが、私が出かけるのは柳家に偏っていて、そういう趣味なので少し合わないところもあったかもしれない。家に帰ってから、DVDで枝雀の「蛇含草」と小三治の「三年目」を聴き直してみた。どちらも今日の二人よりも若い時分の映像である。芸事というのは生での鑑賞に勝るものはないと思うのだが、こういうときはDVDやネットで視聴できるアーカイブが有り難いと感じる。

本日の演目

対談 三遊亭円楽 桂雀々
「蛇含草」桂雀々
「船徳」三遊亭円楽
仲入
「茶漬幽霊(三年目)」桂雀々

開演 19:00  終演 21:00
国立劇場演芸場 


カードだらけ

2014年08月01日 | Weblog

今月からメインのクレジットカードを代える。これまで長年に亘って流通系のカードを第一選択として利用してきたが、今月からは交通系にする。春先から日頃利用している通販系の決済にその通販会社が発行するカードを利用するようになって既存のカードを利用する機会が減少したこと、交通系のカードの電子マネー機能が便利でそのポイントも使い勝手がよいこと、などが主たる理由である。それで財布のなかのカードを入れ替えたりしたのだが、結果として殆どポイントカードを兼ねたカードになった。

常々疑問に思っているのだが、ポイントの意味とは何だろうか。ポイントを発行する側からすれば、客にポイントを貯めるインセンティブを与えることで将来の売上につなげたいということなのだろう。しかし、ポイント発行に際して特段のスクリーニングもなく闇雲に発行して、客の側もポイント使用が当たり前ということになると、そもそもポイントの意味はあるのだろうか。最初からポイント相当分の価格を下げて売ったほうが集客効果があるのではないか。ポイント発行のコストを考えれば、むしろ利益率は上がるのではないか。昨今は個人情報の管理ということが煩く言われるようになっている。紙カードにスタンプを押すだけというようなものなら愛想程度のものだろうが、クレジットカートと一体化して個人情報と買い物履歴が結びつけられ、そのデータがサーバー上で管理されるとなると、ポイントの中味は紙カードとは比較にならないくらい重いものになる。そういうものが流出することに対するリスク管理までも含めてのポイント導入の費用対効果はどれほどのものなのだろう。案外、リスクのほうは考慮されていないのではないだろうか。先日のベネッセ事件のようなことがポイント絡みで起こらないというわけではないだろう。

それよりも、ポイントごときで客寄せをしようという発想は、客の側からすればなんだか馬鹿にされているようで不愉快でもある。それでもポイントが溜まれば躊躇なく利用してしまう自分に対しても不愉快である。


深夜の風景

2014年08月01日 | Weblog

7月31日は決算発表の集中日なので仕事を終わるのが遅くなり、帰りは新宿から深夜バスを利用した。

バスはほぼ甲州街道を走るのだが、新宿から環八を越えるあたりまで、道路の一部を通行止めにした大規模な工事がいくつも行われていた。規模が最も大きいと思われたのは首都高の補修工事だ。首都高が整備されたのは東京オリンピックの準備の頃からだ。4号線の初台から高井戸までが完成したのが1973年だそうなので、まだ40年ほどである。それで大規模な補修工事が必要になるというのは、鉄筋コンクリートの構造物というものがいかに脆いかということの証左だろう。あるいは、適当な時期に「老朽化」することで工事関係者の仕事が確保されるということなのだろうか。鉄筋コンクリートというのは、築浅のうちはいかにも頑丈そうな風情だが、古くなってヒビが入ったり崩落したりすると情けない感じがする。よく古民家と呼ばれるような木造建築だと年季が入って味わいのある色艶の柱や梁があったりするものだが、コンクリートの建物で古くなって頼りがいを感じるものというのは記憶にない。どのようなものでも生まれた時に必ず死を迎えることが運命付けられているものだが、生から死に至る経路というようなものは様々であるように思う。完成後しばらくの間は時を経る毎に力強くなって、その後も手入れさえきちんとすれば実用に耐え続けるようなものがある一方で、完成した時点がそのもののピークで後はひたすら衰退し続けるものもある。コンクリートの構造物というのはたいがい後者のような気がする。尤も、コンクリートの構造物でも作り手や使い手によっては仮に同じものであったとしても寿命に差が出るだろう。物質だけの区分で寿命の長短を一概に論じることはできない。

首都高の工事の他では共同溝の工事があった。車窓から見えるのは工事中を知らせる電光表示と工事をしているらしい人や機械だけなので、共同溝を作っているのか、既にある共同溝を補修しているのかはわからなかった。こちらも規模は大きそうだ。所謂ライフラインを共同溝という形でまとめるのは、保守管理運営上は効率的なのかもしれない。しかし、リスク管理上でも有効なのだろうか。同じ空間にまとめたことによって思わぬとばっちりと食うというような事態はないのだろうか。

ある程度の規模の工事は深夜に集中的に行われるので、こうして深夜の街を眺めると、特に年度末などの東京は工事だらけだ。今の時期にこれほど工事が集中するのはよくあることなのだろうか。それとも景気対策の一環なのだろうか。景気対策だとしたら、少し皮相な感じがする。