平成12年に実施された前回の熊本県知事選挙では、あの「くまモン知事」として幼児らからも超人気の蒲島邦夫氏(68)が知事選史上最低の投票率38・4%で再選。知名度の低い対抗馬との戦いで勝ち戦という読みも言い分として出るが、6割以上の有権者が「跨いで渡った知事選」であったのは確か。
ところで今回の春の陣とは違って正月を挟んで実施された昭和34年の知事選挙では、自民党県連が寺本広作前参議院議員を担いで公認候補にすると当時、同党の最大集票マシーンであった県農業団体は四選を賭けた現職の桜井三郎氏を支持するという激戦となったが1月6日、大洋デパートの融資保証に絡んで県出納帳、相互銀行二行の専務が逮捕されて選挙戦は異様な形で山場を向かえ、結果は手の限りの攻めで戦った新人が当選。
また同46年の寺本四選に待ったを掛けたのは、ここでも前参議院議員の沢田一精氏。この時、現職の寺本氏を支持した橋本自民党県連幹事長を河津寅雄会長は解任したが、寺本氏の県庁での記者会見(勇退)に同席した河端副知事は「職員に説明がつかない」と怒って席を蹴り辞職。
沢田氏が四選を目指そうとした同58年には、細川護煕参議院議員が田中派の後押しもあって公認の取り付けを逆転。そこで辞退を渋る沢田氏を前にして、小材学同党県連会長は「知事である前に政治家でなければならない」と名言を吐いた。県酪(農)連会長が日本刀を持参して県農政連に乗り込み、出馬の了解を求めたのもこの時。
昭和時代の知事選挙がいかに賑やかであったかが理解して頂けたと思うが、これは当時の記者らの活躍が華々しかったというだけでなく、潮谷知事以降の「熱の入らぬ知事選」と違って、それぞれの趣旨がどうあれ当時の選挙陣営は勝利に向けて必至であった。
さて今回、「県政の良き流れを止めないことが大事」と三選を目指す蒲島知事には、自民党県連が「公認以上に重い位置付けで全面支援」(山本秀久会長談)と約束し、また県農業団体も同じく支援を表明。
一方、13年前の熊本市長選挙で自民、公明両党が推す現職に挑み、下馬評を覆して初当選を果たした幸山政史前熊本市長(50)は、「人口減少対策、県庁改革」などを掲げて出馬。しかし有権者の6割は熊本市外で、また自民党県連の蒲島支持で同党県議会議員を中心とした地方議員からの協力も取り付けにくい中で、幸山氏はどのような選挙戦略、戦術で挑むか。
民主党は今回、同党から参議院議員選挙での出馬を幸山氏に打診したこともあって、蒲島支持から「自主投票」に転換。話は逸れるが、この民主党県連に連合熊本県本部と同じく中央本部から「参院選統一候補」に待ったが掛かった。人材不足の同党県連には、県民から見て明らかに過酷な注文。
ところで知事選挙に関心の高い県民の注目は同予想となるが、昨年末から正月明けにおいて、有権者比率による第一回の支持候補調査を県内で実施。未定約65%を残して、街頭では「くまモン知事」の優位性を改めて見せつけられたが、電話による若手地方議員、経済人へのアンケートでは幸山氏支持がやや多かったことで、イメージ選挙から政策論争へ移る中盤戦においての変化も想定される。もちろん選挙が、その7割は戦術次第であることを考えると勝者は二通りで、その前提となる前哨戦でのアンケート結果と分析だが、それは第二回でと出し惜しみする・・・。