しかし私は何の因果か、それを経験した。しかも後者は、同じ時代を共有する者が、その個人の腹いせで引き起こした災害。想像的な逆恨みを根底にし、撒き餌で寄せた小判鮫による最も陰湿な災いで、それに参加したのは約10名。
2016年4月14日と16日、熊本県は震度7を中心とした未曾有の 地震に襲われた。
その16日未明の本震では、天井からコンクリートの瓦礫が落ち、それまで避難指示に従わなかった私も流石、この時には「危険」と感じ、崩れ落ちる非常階段から転げるようにして道路に逃げた。日頃とは打って変わって車の横行もなく、人通りもない道路に座り込むと、無情にも鳴り放しの非常ベル、鈍い音を立てて崩れ行く平屋建て、目に映ったのは正しく地獄の入口であった。
それから1ヶ月後、私は天草市下田温泉の知人のホテルに居た。
熊本県は震源地である益城町を中心にして、被災の高齢者を中心に慰労支援を決定したが、その慰労先に同温泉も指定。
私は自らの避難を兼ねて、その慰労客の送迎を手伝っていた。

「いま、何処に居ッと~?」
電話は情報紙を発行しているk 氏であった。
「天草」
そんな風に短く応えると、彼は「何日、帰るの?」と続けて尋ねて来たので、「明日のお昼には1度、着替えを取りに帰る」と告げて電話を切った。
後から考えると、それが2度目の災いの前兆であった。
それほど親しい間柄でもない kが、安否を尋ねて電話をくれて、しかも帰宅日まで聞いて来た。
同年5月19日、私は益城町で温泉慰労帰りの住民をバスから降ろすと、運転手と別れて自宅のマンションへ向かった。
途中、病院に立ち寄ったが、そこの待合室にパソコンを預けた。
それが後で、「情報の隠蔽を画策した」とか、色々な見解も出たが、そもそも、この後にやって来る災害など、何んら予測など出来ないわけで、単純に後で持病である高血圧症の処方箋を貰いに再訪の予定で、再び持って出る手荷物を預けたのであった。
そしてマンションの玄関前まで来た時、エレベタ-前に男ら7、8人が
立っていて、それは不可解な様子にあった。
あの未曾有の大地震から、まだ1ヶ月後で、男らはポケットに手こそ突っ込んでいないが、いかにも暇そうな顔を並べて、私を迎え入れた。
そして停まったエレベーターに乗り込むと3、4人が一緒に乗り込んで来た。私の顔をそれぞれが、帽子の頭から顎の下まで覗き込んでいる。
『私たちは田舎の消防団』
何か、自ら自己紹介でもしているかのような連中である。倫理観以上の理由もあって、仮に犯罪の誘惑を目の前に並べられても、犯罪の臭いの染み着く事だけは他人よりも避けて来た。しかし一方、ここまで新聞記者、ライターとして最も近い場所で種々の犯罪を起点から終わりまで見て来た。おそらく場数だけは、彼らより上である。この自信が、これからの無駄を作った事も決して否定は出来ない。
我が家の階でエレベーターを降りると、予想通り彼らは玄関のドア前まで付いて来た。
そして壊れかけた非常階段を上がって来た後発組が着くと、取り囲んで、1人が名前を確認し、令状を提示して「20万円の恐喝容疑で家宅捜索します」と告げた。これが担当のI 刑事。
私は、「どうぞ、」と招き入れ、彼らは、震災跡の乱雑した部屋を片付けるようにして一巡すると、まだ家宅捜索に3、40分も経っていなかったが、I 刑事が「任意同行をお願いしたい」と言って来たので、それに応じて、私もK 警察署に同行した。
後から「何故、拒否しなかった。何故、弁護士に連絡せず対応したのか」と、周囲からは疑問の声も上がったが、震災後で弁護士どころではなかったというより、訪ねて来た事案そのものが直ぐに全く関わりのない話と気付き、その自信もあって、また暇で自由な罹災者という環境も後押しし、表現は悪いが「初めての遠足気分」であった。
先に結論を述べるのは、どうかと思うが、令状に基づく容疑は不起訴であった。それでは、何を背景に私の逮捕を駆り立てたのか…この点である。
だいたい、あの熊本大地震から1ヶ月後、急を要する殺人事件ならともかく7、8人の捜査官を要するなら、他に被災地の窃盗事件の取り締まりとかあったはず、そうした声も後で出たが、そもそも彼らの側で7、8人の捜査官を要する重要な事案なら、事前に事情聴取があっても良いはずだが、それも全く無いプロセスでの強制的な家宅捜索。
それに最も不可解に思ったのは7、8人の捜査官が関係していて、誰1人として何んら疑問を持つ者もなく、そこまで来たという捜査。多分、家宅捜索は担当刑事だけが知る事案内容で他は全員、昔の二、二六事件や五、一五事変での一兵卒と何ら変わらない、そういう感想に至った。
K 警察署に入ると、I 刑事は事情聴取を始めた。
『20万円を脅して受けとりましたね』
「いいえ、ファミレス店に呼び出されて待っていると、遅れて入って来て『朝から腹を壊して、帰ります』と椅子にも座らず、テーブルの上に茶封筒を置いて直ぐ出て行ったのだ。封筒の中を見ると、金品だったので、直ぐ追っかけて電話も3回したけど繋がらず、そこで知り合いの本庁(警察本部)刑事に相談して、現金書留で返金」
そう応えると、
『1度は20万円を持ち帰ったでしょう?』
「それは置き去りにした金品にせよ、店に放置出来ないから持ち帰った。しかし返金している…」
彼らも確認しているはずの返金を再び繰り返すと、
『1度は手にした。お~い、逮捕だ』
別の捜査官を取調室に呼ぶと、時刻を確認し、それを告げて、I 刑事は『逮捕』と手錠を掛けた。
市民の中には、空恐ろしい気分が浮上する人も居るかと思うが、3500人も居る熊本県警察の中には、こんなI 刑事のような人間も居るという事である。それでは、彼をそこまで駆り立てたものとは何だったのか。
実に漫画のような世界だが、私も逆に私の方から憤怒の災害化にしてやると、そう意気込みして震災時では最適なここに居候を決めた…。(第2回へ続く)