熊本レポート

文字の裏に事件あり

未曾有の災害と憤怒の災害 第2回

2020-01-05 | ブログ
逮捕された翌朝、それを地元紙(20万円を恐喝)と朝日新聞が報道したが朝日は、日頃のコピペ記事を証明して
「100万円くらいは出せるだろうと脅し、20万円を恐喝」
I 刑事の作成した原稿をそのまま字にして報道。
勿論、私は釈放後にこれを知ったが、旧知の間柄である他の3紙は「人柄からして疑問だし、情報を貰ったとしてもウラが取れるまでは記事にしなかった」
後追いもしなかったと、信用を語った。たまたま朝日と地元紙とは疎遠の時期で、それが記事化となったが、事実無根の報道に地元紙からは謝罪があったものの、朝日はその要求にも応えはなかった。
余談ながら地元紙は、電話1本で事件の加害者名を伏せてくれる場合もあるが、全国紙にはそれがない。だが例え、それが誤報であっても告訴でもしない限り、会社一丸となって無視する。
結果は誤認逮捕、無罪放免ということで話にもならないが、その意味のない表上の容疑背景を改めて簡単に語ると、相手は県警も関心を持っていた業者(I 刑事は県警別グループの捜査内容を業者サイドで見解)への取材で始まり、その1回目が終わっての容疑という中身も極めて簡単な背景。
1回の対面取材から1週間くらい後、ファミレス店に呼び出されて、彼は待っていたテーブルの席にも着かず、『茶封筒の置き去り』である。実に不可解な話で、そこで旧知の本庁刑事らに通知した上で、その金品は返却。


これを恐喝容疑とする逮捕は、その出来事から約1年後であるが、実は、その出来事と同じ時期の2015年6月頃、私はK市庁舎の建設に向けた入札に疑惑が持たれているとして、その調査取材に入っていた。
参考までに語るが、駆け足のように新聞記者、週刊誌のライターとして過ごし、地方で情報発信(県内外の購読会員による機関誌発行)を最期の場と考えた時、『大事件のきっかけは小さな情報誌にある』というのを自覚、認識して、それを趣旨として機関誌を発行。
ここで、この際に断っておくが、情報の発信は、地方において自称する俗にいう新聞ではなく、会費制に基づく広告他の営業を要しない機関誌である。ここに匿名からの情報提供というシステムが構築され、その利点が存在。
この機関誌の記事内容、その結果で、これまでに3人の町長が辞任し(百条委員会から出席を求められ拒否し、その告発で2ヶ月の逃亡・地方では残念ながら第三者の証言は特別調査権を有する議員の発言と比べ極めて弱い)、また某ゼネコンの九州支店長は退職後、「貴方の記事が理由で50億円前後の仕事を2件失った」と皮肉まで言われた活動歴もある。サラリーマンなら皮肉で済まされるが、個人事業の場合、その善し悪しはともかく、相手が地獄に陥る場合のある事も理解している。
また、大手ゼネコン23社が関わっていた事業において、その代表格から「経費分を負担するから取材中止の要請」を受けた事もあるが、社会的には大きなミスながら事件性は薄い事で、それに応じた事もある。これも後日、その代表格が退社後、「貴方が承諾した金額は当方(23社)が準備した10分の1であった」と聞かされた時程、自分の性格を悔しく思った事はなかった。ただ、この時、人間性を認めて貰った事が替わりの救いともなった。
若い記者時代、「能力を誇示する者ほど能力なく、素性の解らぬ者ほど力有り」と教えられたが、肩からカメラを下げて夜の街に入ったり、夜の街でも名刺を配っている新聞記者らの姿を見る時、時代は仕事抜きになったと、その様変わりをつくづく感じる。
さて仕事柄、先に述べた通り、その中身の善し悪しに関係なく、そこに怒りどころか、恨みを買う場合も当然ある。
実は、後者の災難はその逆怨みにあった…。(3回へ続く)


未曾有の災難と憤怒の災難 第1回

2020-01-05 | ブログ
人生の中で遭遇するか否かのレベルの災難となると、それを同時に味わったとか、その苦痛が連続して押し寄せたとか、そういう人は滅多にいない。
しかし私は何の因果か、それを経験した。しかも後者は、同じ時代を共有する者が、その個人の腹いせで引き起こした災害。想像的な逆恨みを根底にし、撒き餌で寄せた小判鮫による最も陰湿な災いで、それに参加したのは約10名。
2016年4月14日と16日、熊本県は震度7を中心とした未曾有の 地震に襲われた。
その16日未明の本震では、天井からコンクリートの瓦礫が落ち、それまで避難指示に従わなかった私も流石、この時には「危険」と感じ、崩れ落ちる非常階段から転げるようにして道路に逃げた。日頃とは打って変わって車の横行もなく、人通りもない道路に座り込むと、無情にも鳴り放しの非常ベル、鈍い音を立てて崩れ行く平屋建て、目に映ったのは正しく地獄の入口であった。
それから1ヶ月後、私は天草市下田温泉の知人のホテルに居た。
熊本県は震源地である益城町を中心にして、被災の高齢者を中心に慰労支援を決定したが、その慰労先に同温泉も指定。
私は自らの避難を兼ねて、その慰労客の送迎を手伝っていた。

「いま、何処に居ッと~?」
電話は情報紙を発行しているk 氏であった。
「天草」
そんな風に短く応えると、彼は「何日、帰るの?」と続けて尋ねて来たので、「明日のお昼には1度、着替えを取りに帰る」と告げて電話を切った。
後から考えると、それが2度目の災いの前兆であった。
それほど親しい間柄でもない kが、安否を尋ねて電話をくれて、しかも帰宅日まで聞いて来た。
同年5月19日、私は益城町で温泉慰労帰りの住民をバスから降ろすと、運転手と別れて自宅のマンションへ向かった。
途中、病院に立ち寄ったが、そこの待合室にパソコンを預けた。
それが後で、「情報の隠蔽を画策した」とか、色々な見解も出たが、そもそも、この後にやって来る災害など、何んら予測など出来ないわけで、単純に後で持病である高血圧症の処方箋を貰いに再訪の予定で、再び持って出る手荷物を預けたのであった。
そしてマンションの玄関前まで来た時、エレベタ-前に男ら7、8人が
立っていて、それは不可解な様子にあった。
あの未曾有の大地震から、まだ1ヶ月後で、男らはポケットに手こそ突っ込んでいないが、いかにも暇そうな顔を並べて、私を迎え入れた。
そして停まったエレベーターに乗り込むと3、4人が一緒に乗り込んで来た。私の顔をそれぞれが、帽子の頭から顎の下まで覗き込んでいる。
『私たちは田舎の消防団』
何か、自ら自己紹介でもしているかのような連中である。倫理観以上の理由もあって、仮に犯罪の誘惑を目の前に並べられても、犯罪の臭いの染み着く事だけは他人よりも避けて来た。しかし一方、ここまで新聞記者、ライターとして最も近い場所で種々の犯罪を起点から終わりまで見て来た。おそらく場数だけは、彼らより上である。この自信が、これからの無駄を作った事も決して否定は出来ない。
我が家の階でエレベーターを降りると、予想通り彼らは玄関のドア前まで付いて来た。
そして壊れかけた非常階段を上がって来た後発組が着くと、取り囲んで、1人が名前を確認し、令状を提示して「20万円の恐喝容疑で家宅捜索します」と告げた。これが担当のI 刑事。
私は、「どうぞ、」と招き入れ、彼らは、震災跡の乱雑した部屋を片付けるようにして一巡すると、まだ家宅捜索に3、40分も経っていなかったが、I 刑事が「任意同行をお願いしたい」と言って来たので、それに応じて、私もK 警察署に同行した。 
後から「何故、拒否しなかった。何故、弁護士に連絡せず対応したのか」と、周囲からは疑問の声も上がったが、震災後で弁護士どころではなかったというより、訪ねて来た事案そのものが直ぐに全く関わりのない話と気付き、その自信もあって、また暇で自由な罹災者という環境も後押しし、表現は悪いが「初めての遠足気分」であった。
先に結論を述べるのは、どうかと思うが、令状に基づく容疑は不起訴であった。それでは、何を背景に私の逮捕を駆り立てたのか…この点である。
だいたい、あの熊本大地震から1ヶ月後、急を要する殺人事件ならともかく7、8人の捜査官を要するなら、他に被災地の窃盗事件の取り締まりとかあったはず、そうした声も後で出たが、そもそも彼らの側で7、8人の捜査官を要する重要な事案なら、事前に事情聴取があっても良いはずだが、それも全く無いプロセスでの強制的な家宅捜索。
それに最も不可解に思ったのは7、8人の捜査官が関係していて、誰1人として何んら疑問を持つ者もなく、そこまで来たという捜査。多分、家宅捜索は担当刑事だけが知る事案内容で他は全員、昔の二、二六事件や五、一五事変での一兵卒と何ら変わらない、そういう感想に至った。
K 警察署に入ると、I 刑事は事情聴取を始めた。
『20万円を脅して受けとりましたね』
「いいえ、ファミレス店に呼び出されて待っていると、遅れて入って来て『朝から腹を壊して、帰ります』と椅子にも座らず、テーブルの上に茶封筒を置いて直ぐ出て行ったのだ。封筒の中を見ると、金品だったので、直ぐ追っかけて電話も3回したけど繋がらず、そこで知り合いの本庁(警察本部)刑事に相談して、現金書留で返金」
そう応えると、
『1度は20万円を持ち帰ったでしょう?』
「それは置き去りにした金品にせよ、店に放置出来ないから持ち帰った。しかし返金している…」
彼らも確認しているはずの返金を再び繰り返すと、
『1度は手にした。お~い、逮捕だ』
別の捜査官を取調室に呼ぶと、時刻を確認し、それを告げて、I 刑事は『逮捕』と手錠を掛けた。
市民の中には、空恐ろしい気分が浮上する人も居るかと思うが、3500人も居る熊本県警察の中には、こんなI 刑事のような人間も居るという事である。それでは、彼をそこまで駆り立てたものとは何だったのか。
実に漫画のような世界だが、私も逆に私の方から憤怒の災害化にしてやると、そう意気込みして震災時では最適なここに居候を決めた…。(第2回へ続く)