逮捕された翌朝、それを地元紙(20万円を恐喝)と朝日新聞が報道したが朝日は、日頃のコピペ記事を証明して
これを恐喝容疑とする逮捕は、その出来事から約1年後であるが、実は、その出来事と同じ時期の2015年6月頃、私はK市庁舎の建設に向けた入札に疑惑が持たれているとして、その調査取材に入っていた。
「100万円くらいは出せるだろうと脅し、20万円を恐喝」
I 刑事の作成した原稿をそのまま字にして報道。
勿論、私は釈放後にこれを知ったが、旧知の間柄である他の3紙は「人柄からして疑問だし、情報を貰ったとしてもウラが取れるまでは記事にしなかった」
後追いもしなかったと、信用を語った。たまたま朝日と地元紙とは疎遠の時期で、それが記事化となったが、事実無根の報道に地元紙からは謝罪があったものの、朝日はその要求にも応えはなかった。
余談ながら地元紙は、電話1本で事件の加害者名を伏せてくれる場合もあるが、全国紙にはそれがない。だが例え、それが誤報であっても告訴でもしない限り、会社一丸となって無視する。
結果は誤認逮捕、無罪放免ということで話にもならないが、その意味のない表上の容疑背景を改めて簡単に語ると、相手は県警も関心を持っていた業者(I 刑事は県警別グループの捜査内容を業者サイドで見解)への取材で始まり、その1回目が終わっての容疑という中身も極めて簡単な背景。
1回の対面取材から1週間くらい後、ファミレス店に呼び出されて、彼は待っていたテーブルの席にも着かず、『茶封筒の置き去り』である。実に不可解な話で、そこで旧知の本庁刑事らに通知した上で、その金品は返却。
これを恐喝容疑とする逮捕は、その出来事から約1年後であるが、実は、その出来事と同じ時期の2015年6月頃、私はK市庁舎の建設に向けた入札に疑惑が持たれているとして、その調査取材に入っていた。
参考までに語るが、駆け足のように新聞記者、週刊誌のライターとして過ごし、地方で情報発信(県内外の購読会員による機関誌発行)を最期の場と考えた時、『大事件のきっかけは小さな情報誌にある』というのを自覚、認識して、それを趣旨として機関誌を発行。
ここで、この際に断っておくが、情報の発信は、地方において自称する俗にいう新聞ではなく、会費制に基づく広告他の営業を要しない機関誌である。ここに匿名からの情報提供というシステムが構築され、その利点が存在。
この機関誌の記事内容、その結果で、これまでに3人の町長が辞任し(百条委員会から出席を求められ拒否し、その告発で2ヶ月の逃亡・地方では残念ながら第三者の証言は特別調査権を有する議員の発言と比べ極めて弱い)、また某ゼネコンの九州支店長は退職後、「貴方の記事が理由で50億円前後の仕事を2件失った」と皮肉まで言われた活動歴もある。サラリーマンなら皮肉で済まされるが、個人事業の場合、その善し悪しはともかく、相手が地獄に陥る場合のある事も理解している。
また、大手ゼネコン23社が関わっていた事業において、その代表格から「経費分を負担するから取材中止の要請」を受けた事もあるが、社会的には大きなミスながら事件性は薄い事で、それに応じた事もある。これも後日、その代表格が退社後、「貴方が承諾した金額は当方(23社)が準備した10分の1であった」と聞かされた時程、自分の性格を悔しく思った事はなかった。ただ、この時、人間性を認めて貰った事が替わりの救いともなった。
若い記者時代、「能力を誇示する者ほど能力なく、素性の解らぬ者ほど力有り」と教えられたが、肩からカメラを下げて夜の街に入ったり、夜の街でも名刺を配っている新聞記者らの姿を見る時、時代は仕事抜きになったと、その様変わりをつくづく感じる。
さて仕事柄、先に述べた通り、その中身の善し悪しに関係なく、そこに怒りどころか、恨みを買う場合も当然ある。
実は、後者の災難はその逆怨みにあった…。(3回へ続く)