先日、訪日されたチベットのダライ・ラマ14世は、11日に沖縄県を訪問して講演をされたそうです。中国が、沖縄領有まで口にするようになる中、ダライ・ラマ14世の沖縄訪問は、沖縄の人々に何を語ったのでしょうか。
1951年5月、脅迫と甘言でチベットの代表に「17条協定」に署名させた中国は、その年のうちに、人民解放軍をチベットに侵攻させ、チベット全土を支配下に置きました(後に中国は、「17条協定」の効力を否定…)。表向きは、両国間の協定締結による平和的によるものですが、その背後には、軍事侵攻があったことは言うまでもないことです。以降、チベットは、統治権を失うのみならず、チベット仏教や伝統文化の徹底した破壊を受けてきました。一部の中国系住民や共産党の賛同者を除いて、チベット人に対する過酷な弾圧は、今日まで続いています。仲井真知事が久米村出身の中国系であることもあって、沖縄では、親中派が勢力を伸ばし、中国との関係強化に動いているようです。しかしながら、たとえ、平和的な協定に基づくものとなっても、中国系ではない一般の沖縄の人々が、虐殺や弾圧の対象となり得ることは、既に歴史が示しています。DNAの解析によると、沖縄県民の多くはY染色体においてD系列に属しており、漢人とは、民族が違うそうです。異民族に対する中国政府の残酷性を思い起こしますと、チベット人やウイグル人を襲った運命は、明日のわが身でもあるはずなのです。中国系の住民や協力者は、たとえ沖縄が中国の支配下に入っても、自分達だけは保護されると信じているのでしょうが、それは、他の沖縄の人々を犠牲に供するようなものです。
ダライ・ラマ14世は、沖縄訪問に際して、直接的には政治的な発言はなさらなかったかもしれません。しかしながら、この時期に、敢えて沖縄を訪問されたところに、言葉で語らずとも、チベットの悲劇が繰り返されぬよう、身をもって、その教訓を沖縄の人々に説かれたように思えるのです。
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ダライ・ラマ14世は、沖縄訪問に際して、直接的には政治的な発言はなさらなかったかもしれません。しかしながら、この時期に、敢えて沖縄を訪問されたところに、言葉で語らずとも、チベットの悲劇が繰り返されぬよう、身をもって、その教訓を沖縄の人々に説かれたように思えるのです。
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