万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

異質なグローバリズム―20世紀と21世紀は同質ではない

2012年11月29日 15時31分20秒 | 国際経済
 1980年代とは、まさに新自由主義の黄金時代であり、イギリスのサッチャリズムやアメリカのレーガノミクスが脚光を浴び、その手法は、今日まで経済政策のお手本とされてきました。20世紀のグローバリズムは、新自由主義と一体となることで、構造改革の成功体験として語り伝えられることになったのです。

 20世紀のグローバリズムは、先進諸国の経済成長率を押し上げ、国民が豊かさを実感するところとなったのですが、21世紀のグローバリズムとは、20世紀のものとは、異質なのではないかと思うのです。前者は、経済レベルに著しい差がなく、しかも、自由主義国である先進国間で起きた現象です。一方、後者は、89年以降に冷戦構造が崩壊したこともあり、体制の異なる諸国も参加するようになりました。特に、共産主義体制を維持したままWTOに参加した中国の影響は大きく、圧倒的に廉価な労働力と通貨安を武器に、一気に輸出を拡大させ、今日では、「世界の工場」のみならず、「世界の銀行」に成長するまでになったのです。著しい経済格差ある状態でのグローバル化は、先進国にとっても初めて経験であったのですが、その結果は、先進国側の衰退であり、雇用の崩壊であったことは、アメリカやヨーロッパ、そして、日本国の現状を見れば否定のしようがありません。先進国では、雇用喪失を伴う産業の空洞化が進行するとともに、国内市場もまた、安価な新興国の製品で溢れることになったのですから。しかも、この状態から脱却すべく、80年代の成功例に倣って、さらなる自由化を進めますと、一層、新興国が有利な状況となるのです(一方、新興国の側は、自由化しない…)。全世界が参加することにおいて、後者のグローバリズムこそ本物なのですが、少なくとも、先進国にとりましては、それは、豊かさを意味しなかったのです。

 20世紀と21世紀のグローバリズム。この両者、異質な現象なのですから、対処方法もまた違うはずです。症状が違うにも拘わらず、同一の解決方法を用いますと、症状がむしろ悪化する可能性さえあります。21世紀のグローバリズムに対しては、徒に自由化を急ぐよりも、公平性を重視し、特定の国の為替操作や労働力を含めたダンピングなど…に対しては対抗措置や防衛措置を認めるべきではないでしょうか。21世紀には、公平なルールに基づく、より調和のとれた経済発展が望ましいと思うのです。

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コメント (2)
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