“参院議員定数6増”参院特別委で可決
近代イギリスの歴史家にして思想家、そして政治家でもあったアクトン卿は、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」とする有名な格言を残しています。かくも厳しい権力批判の言葉を吐いたのですから、左派思想の持ち主と思いきや、アクトン卿こそ、フランス革命を否定し続けた保守系に連なる知識人であったのです。
政治的スタンスや信条に拘わらず、権力腐敗の格言は全ての政治家が肝に銘じなければならないのですが、今日の日本の政治状況・政界を見ておりますと、自ずと脳裏にこの言葉が浮かんできます。与党であり、かつ、保守系の政権である自民・公明連立政権の現状は、権力の恣意的濫用において遂に腐敗の域に達しているように思えるからです。
一般国民の意向を無視した政策が散見される中、今般、参議院で可決された公職選挙法改正案も、露骨すぎるほど党利党略が優先されています。いわば、自民・公明のための選挙法改正であり、到底、国民の支持が得られるとは思えません。
第1に、国民の大半は、国会議員の定数を増やすことを望んでいません。高給を食みながら国会議員がその職務を全うしていない現状に国民の多くは呆れており、むしろ定数削減こそ民意なのではないでしょうか。政策立案能力や法案を可否をめぐるディベート能力などの政治家としての資質や能力は関係なく、法案の採決における‘数’だけが問題ならば、議員の定数は、大幅に減らしても構わないはずです。
第2に、定数6増の理由として、参議院の定数の格差を最大で3倍未満に抑えるため、と説明されています。両院制の場合、特に一方の議院において一票の格差が生じるのは当然のことであり、アメリカでは、‘合衆国’と連邦制を採用しているとはいえ、上院は、人口数に拘わらず、憲法において議員の定数は各州2名と定められています(第1条3節1項)。‘3倍’という数字は、裁判所が主観的に示した基準に過ぎず、合理的な根拠はないのですから、議員定数を変更するならば、参議院議員の代表原則こそ先に議論すべきです。また、一票同価値の原則に固執しますと、人口数の多い都市部が全てを決してしまい、人口数の少ない地方の意向が無視されるという別の弊害も生じます(むしろ、多方面から視点が求められる参議院では、地方代表をも代表原則として確立すべきでは…)。
第3に、極め付けとなるのが、一部ではあれ、拘束名簿方式による特定枠の導入です。参議院選挙の比例代表制は、有権者が党の作成した名簿から候補者を選択し得る非拘束名簿式が導入されている点において、より民主的であるとする評価を受けてきました。国民の多くは、衆議院選挙にも非拘束名簿式の導入を望んでいます。ところが、今般の改正案は、逆方向を向いております。同制度の導入については、合区対象県から候補できない候補者を救済するため、とする意味不明の説明がなされています(ストレートに合区を廃止した方が国民には分かりやすい…)。結局は、有権者ではなく政党に当選者決定権がある拘束名簿式を参議院にも広げたいとする思惑が見え隠れし、党利党略の怪しさが倍増しているのです。
自民・公明両党による連立政権は、野党側の‘体たらく’ぶりに救われる形で長期政権を保っています。いわば有権者の消去法による政権なのですから、その権力が腐敗しますと、国民の不利益は計り知れません。アクトン卿の格言の正しさを立証するような今般の選挙法改正は、保守層をも含む国民の多くを失望させるだけではないかと思うのです。
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近代イギリスの歴史家にして思想家、そして政治家でもあったアクトン卿は、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」とする有名な格言を残しています。かくも厳しい権力批判の言葉を吐いたのですから、左派思想の持ち主と思いきや、アクトン卿こそ、フランス革命を否定し続けた保守系に連なる知識人であったのです。
政治的スタンスや信条に拘わらず、権力腐敗の格言は全ての政治家が肝に銘じなければならないのですが、今日の日本の政治状況・政界を見ておりますと、自ずと脳裏にこの言葉が浮かんできます。与党であり、かつ、保守系の政権である自民・公明連立政権の現状は、権力の恣意的濫用において遂に腐敗の域に達しているように思えるからです。
一般国民の意向を無視した政策が散見される中、今般、参議院で可決された公職選挙法改正案も、露骨すぎるほど党利党略が優先されています。いわば、自民・公明のための選挙法改正であり、到底、国民の支持が得られるとは思えません。
第1に、国民の大半は、国会議員の定数を増やすことを望んでいません。高給を食みながら国会議員がその職務を全うしていない現状に国民の多くは呆れており、むしろ定数削減こそ民意なのではないでしょうか。政策立案能力や法案を可否をめぐるディベート能力などの政治家としての資質や能力は関係なく、法案の採決における‘数’だけが問題ならば、議員の定数は、大幅に減らしても構わないはずです。
第2に、定数6増の理由として、参議院の定数の格差を最大で3倍未満に抑えるため、と説明されています。両院制の場合、特に一方の議院において一票の格差が生じるのは当然のことであり、アメリカでは、‘合衆国’と連邦制を採用しているとはいえ、上院は、人口数に拘わらず、憲法において議員の定数は各州2名と定められています(第1条3節1項)。‘3倍’という数字は、裁判所が主観的に示した基準に過ぎず、合理的な根拠はないのですから、議員定数を変更するならば、参議院議員の代表原則こそ先に議論すべきです。また、一票同価値の原則に固執しますと、人口数の多い都市部が全てを決してしまい、人口数の少ない地方の意向が無視されるという別の弊害も生じます(むしろ、多方面から視点が求められる参議院では、地方代表をも代表原則として確立すべきでは…)。
第3に、極め付けとなるのが、一部ではあれ、拘束名簿方式による特定枠の導入です。参議院選挙の比例代表制は、有権者が党の作成した名簿から候補者を選択し得る非拘束名簿式が導入されている点において、より民主的であるとする評価を受けてきました。国民の多くは、衆議院選挙にも非拘束名簿式の導入を望んでいます。ところが、今般の改正案は、逆方向を向いております。同制度の導入については、合区対象県から候補できない候補者を救済するため、とする意味不明の説明がなされています(ストレートに合区を廃止した方が国民には分かりやすい…)。結局は、有権者ではなく政党に当選者決定権がある拘束名簿式を参議院にも広げたいとする思惑が見え隠れし、党利党略の怪しさが倍増しているのです。
自民・公明両党による連立政権は、野党側の‘体たらく’ぶりに救われる形で長期政権を保っています。いわば有権者の消去法による政権なのですから、その権力が腐敗しますと、国民の不利益は計り知れません。アクトン卿の格言の正しさを立証するような今般の選挙法改正は、保守層をも含む国民の多くを失望させるだけではないかと思うのです。
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