万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘ユダヤ人’は他民族の自決権をも尊重を-ユダヤ人国家としてのイスラエル

2018年07月20日 11時17分40秒 | 国際政治
「イスラエルはユダヤ人国家」 賛否分かれる新法が可決
 1948年5月14日、イギリスの委任統治領であったイスラエルは独立を宣言し、ディアスポラ以来、‘流浪の民’となっていた‘ユダヤ人’は、念願の祖国を持つに至りました。今日、そのイスラエルにおいて、同国を‘ユダヤ人’の国家と再定義する法案が国会で可決されたそうです。

 ヨーロッパにあって、‘ユダヤ人’には長きにわたって迫害されてきた歴史があります。反ユダヤ主義はナチス政権下のドイツにおいて極致に達しますが、歴史を具に観察しますと、‘ユダヤ人’は専ら被害者であったわけではなく、選民意識の強さからか、異教徒、あるいは、異邦人の立場から一般の人々を苦しめた加害者としての側面もあります。しばしば債務者の人生を破綻させる金融業の独占的支配のみならず、世界大の奴隷売買や麻薬密売等にも関与しており、一般の人々から危険視されるだけの理由はあったようなのです。そして、今日、‘ユダヤ人’が批判される理由の一つは、他民族の民族自決主義に対する非寛容性です。この側面は、今般の法案成立にあってはアラブ語を公用語から外すといった国内的な排除作用として表面化しましたが、対外的、あるいは、国際的には、他の民族の枠組を融解させる方向に強力に作用しています。

‘流浪の民’であった故に、‘ユダヤ人’は、長きにわたる年月を費やして人的ネットワークを全世界に張り巡らしてきました。こうした世界大の民族・宗教的なネットワークを有するのは、唯一‘ユダヤ人’のみです(もっとも、‘ユダヤ人’は、その発祥からして混成民族であった可能性が高く、かつ、今日では、定住地での混血や改宗等を通して構成が多様化している…)。‘ユダヤ人’のみが、現実の歴史をも裏から動かし得る国境を越えた‘プラットフォーム’を保有しているのです。仮に、こうした‘ユダヤ人’のネットワークが民族的出自を同じくする人々による親睦的な組織であれば、あるいは、啓蒙思想等が内包する人類愛と結びついていた時代には、然したる問題は起きなかったかもしれません。ところが、そうとばかりは言えないようなのです。

世界大のネットワーク、並びに、金融業等で成した莫大な資金力を擁する故に、‘ユダヤ人’の影響力は絶大です。各国の世論を誘導し得るマスメディアの多くもユダヤ系です。その隠然たる組織力とマネーの力を以ってすれば、外交・安全保障政策や移民政策など、裏から各国の政治家をコントロールし、歴史を裏から動かすことは決して不可能ではありません。また、カール・マルクスを始め、‘ユダヤ人’の中には、民族の固有性に関心を払わず、‘唯物的世界観’や‘世界市民主義’的な理想論を掲げる思想家も少なくありませんでした。常に諸国にあって‘異邦人’であった‘ユダヤ人’には、おそらく、他の一般の国民に対する反感や否定的な感情が、迫害に対する恨み、あるいは、逆恨みと混然一体となって染みついているのでしょう。

同法案は、その意図するところの解釈に難しさがありますが、「イスラエルはユダヤ人にとって歴史的な母国であり、民族自決権はユダヤ人の独占的権利」と書かれており、一読しますと過激な表現にも思えます。しかしながら、逆に、民族自決権が他民族にも開放されれば、植民地支配や異民族支配、あるいは、移民支配は簡単に成立しますので(もっとも、イスラエル居住するアラブ系国民は先住している…)、何れの国の固有民族にあっても、民族自決権は、‘手放したら最後’となる死活的権利です。今日の基本的な国際体系は、人類の人種・民族・民族的気質の違いによる枠組を基礎とする国民国家体系ですので、歴史的民族の枠組の消滅は、国家、即ち、祖国の消滅をも意味しかねないからです。

法文に見られるイスラエルの民族自決権への執着は、ある意味において、自らの祖国を維持したい全ての民族の自然な思いの極端な形での表現なのですが、‘ユダヤ人’が、移民推進政策を世界規模で後押ししていることを踏まえますと、民族自決権力を自らの民族にしか認めようとはしていないようにも思えます。ここに、‘ユダヤ人’の選民思想の問題点としての深刻なダブル・スタンダードが見て取れるのです。神から選ばれた‘ユダヤ人’だけが、唯一の民族、あるいは、超人類であり、他の民族は雑多な‘烏合の衆’としてその被支配者か、あるいは、下等な別種として扱いたいのでしょうか。仮に、そうでありましたならば、この傲慢で冷酷な態度こそ、ユダヤ人迫害、あるいは、反ユダヤ主義を引き起こしているとも想定されます。あるいは、現在、‘ユダヤ人’は、自らも国民国家の一つとなることを認めるイスラエル派と全世界支配を目指す非イスラエル派に分裂しているのでしょうか。

人とは、‘自らを尊重する相手を尊重する’とされていますが、果たして、‘ユダヤ人’は、対等な立場から他の民族を尊重し、隣人として暖かい眼差しを以って接してきたのでしょうか。‘ユダヤ人’もまた、自らの来し方を自戒すべきなのではないかと思うのです。

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コメント (2)
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