万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

本当は非情な自由貿易理論-淘汰なき国際通商体制は可能か?

2018年07月17日 14時25分24秒 | 国際政治
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比較優位説、あるいは、比較生産費説は、今日にあっても自由貿易を支える基本中の基本の理論です。其々優位分野が違う国家間のおける貿易が、如何にして相互に利益をもたらすのかを端的に説明しており、誰もがこの説を持ち出されますと納得してしまいます。しかしながら、原点に返って考えても見ますと、案外、非情な理論なのではないかと思うのです。

 何故、非常なのかと申しますと、必然的に、この理論に従えば、各国とも相対的に競争力の弱い分野が淘汰されることを、全面的に肯定しているからです。理論としては正しくとも、人間社会において一部の産業やその従事者の淘汰を是認するとなりますと、本来であれば、どこかに良心の痛みを感じるはずです。ところが、比較優位説という権威ある名の下で国際貿易理論として不動の地位を築いてしまいますと、この理論には、倫理・道徳的な問題が潜んでいることが見逃されてしまうのです。否、この説を批判しようものなら、‘異端者’扱いされて迫害されかねないのです。

 例えば、極めてシンプルな事例として、A国とB国との間の貿易にあって、A国には工業製品に優位性があり、B国には農産物に優位性があったとします。比較優位説に忠実に従えば、A国が工業製品の輸出を増やす一方で農業分野を見捨て、B国では、工業製品の生産を諦めて農産物の輸出を増やせば、両国間で最適な国際分業が成立しますし、両国とも優位分野での輸出増により一定の貿易上の利益を獲得できます。一見、完璧な国際分業体制が成立しているように見えるのですが、その実、両国ともに、劣位産業において、すなわちA国では農業が、B国では工業が深刻なマイナス影響を蒙ってしまいます。そして、それは、その特定産業の衰退とそれに伴う失業の増大を意味するのです。

 もちろん、劣位産業で生じた失業者が優位産業に移動する、あるいは、新たな産業に吸収されれば、ある程度はマイナス効果を低減することはできるのですが、それでも、産業間の労働力移動は簡単なことではありませんし、上記の事例におけるA国のように、農業が劣位産業となる場合には、農村の存続や国土利用の問題とも直結します。自由貿易の結果、A国内では、長い歴史を経て育まれてきた共同体的な村落が崩壊し、農地も荒れ果ててペンペン草が生えるか、あるいは、太陽光パネルが敷き詰められるという殺伐とした光景が広がるかもしれないのです。必ず貿易相手国の誰かを犠牲にしなければ成立しない理論には、首を傾げてしまうのです。

 比較優位説とは、本当は劣位産業に対して極めて冷たい理論であるとしますと、今後とも、この理論を基礎とした自由貿易体制を維持することには疑問があります。相互に相手国の一部産業や国民に犠牲を強いることのない、一般の人々に対してより優しい国際通商体制こそ構築してゆくべきなのではないでしょうか。こうした意味での保護主義の復活、あるいは、新たな体制に向けての出発であるならば、それは、全人類にとりましても大いに歓迎されるべきことではないかと思うのです。

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コメント (2)
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