新元号 首相「心寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」
本日4月1日、新天皇即位に伴う改元を前にして、日本国政府より新元号が発表されました。自ずと皇室に対する国民の関心も高まるのですが、マスメディアの論調は、現代という時代における天皇の存在意義やそのあり方については深く踏み込もうとはしておりません。しかしながら、天皇の代替わりという節目の年を迎えた今日こそ、二千年を越える日本国の長き歴史を振り返り、天皇について熟慮するに適した時期はないのかもしれないのです。そこで、まずは、天皇の国制における位置づけをめぐって繰り広げられている祭政二元体制対祭政一元論の論争について考えてみたいと思います。
祭政二元論とは、日本国の国制のユニークな特徴としてしばしば指摘されており、精神的な権威と政治的な権力とを分離させた体制を意味しています。日本独自の形態ではあるものの、中世ヨーロッパでは、国家の世俗権力と教会の宗教権力が分離していましたし(キリスト教の二剣論による…)、近代以降では、合理主義の下で政教分離の原則が定着しましたので、精神世界と世俗の政界を制度的に分離する形態は、人類に普遍的に見られる一種の知恵なのかもしれません(企業などでも、実権を持たない名誉職が設けられることがある…)。何れにしましても、日本国の歴史を見ますと、古代にあっては女王卑弥呼と弟の難米升や推古天皇と甥の聖徳太子の関係、あるいは、幼年天皇の即位等に二元体制を見出せますし、中世以降になりますと、摂関政治、院政、幕政などの何れもが権威と権力が分離する二元体制として理解されます。天皇は、神仏に国家と国民の安寧のために祈ることはあっても、直接に統治権力を行使することはなかったのです。歴史においては二元体制の時期が大半を占めており、この意味において、日本国は祭政二元体制であったと見なすことができます。
その一方で、祭政一元論を唱える人々も少なくはありません。一元体制とは、祭祀の長である天皇が直接に統治権をも行使したとする立場であり、記紀に見られる古代天皇や後醍醐天皇の事績が根拠となります。幕末における王政復古とは、西欧の立憲君主制をモデルとしながらも、基本的には祭政一元体制の再現を意図したものです。しかしながら、上述したように、長期に亘って天皇、あるいは、朝廷に統治権がない体制が定着しておりましたので、歴史的な事実としての祭政二元体制を否定するには無理があります。そこで、一元論者の中には、天皇と統治者との関係を前者の後者への委任、あるいは、奉仕として捉え、両者の上下関係を以って説明しようとする試みもあるのですが、この説も、統治者への委任であれ、統治者からの奉仕であれ、天皇が国民に対して統治機能を提供したり、あるいは、政治的問題を解決してはいませんので、人々を納得させるほどの説得力があるわけではありません。
大雑把であれ、祭政二元論と祭政一元論との相違点を描いてみましたが、歴史的事実を基準としますと、祭政二元論に分があることは言うまでもありません。そして、民主主義の価値に照らしますと、政治と切り離された天皇であればこそ、今日の日本国の国家体制にあってその地位を維持し得るとも言えます。権力世襲の弊害は誰もが理解するところであり、世俗的な政治権力の行使こそが天皇家を危機に陥れるとする説が主張されるのも、アクトン卿が述べたように‘権力は必ず腐敗する’ものですし、政争に巻き込まれたり、国民からの恨みをも買うリスクが高いからです。また、日本国憲法が定めるように天皇が統合の象徴であれば、皇族の腐敗や堕落、あるいは、内紛は、最悪の場合、国家や国民の分裂を招きかねないのです。
そして、ここで一つ、疑問となるのは、祭政二元論が歴史的事実にも合致し、かつ、最も民主義国家との軋轢が低いにも拘らず、何故、かくも根強く祭政一元論が唱えられているのか、という点です。一元論は、実のところ歴史的事実とは無関係であり、上述したように過去において例外的に成立していた一元体制を根拠としております。その意図を推測して見ますと、そこには日本国の国制を変革したいとする願望が見え隠れしているように思えます。この意図が表面化した途端、歴史学上の論争にも見える二元論と一元論の対立は、日本国の将来に向けた国家ヴィジョンをめぐる極めて今日的な論争へと一気に時代の最先端に駆け上るのです。昨今、一元論が流布されている目的が、日本国に北朝鮮と同様の全体主義的な天皇親政体制を確立するところにあるとしますと、日本国民は、『日本国憲法』の定める自由、民主主義、基本権の尊重、並びに、法の支配といった諸価値を失いかねない危機にあるとも言えましょう。
なお、新元号は「令和」と公表されましたが、漢和辞典を引きますと(『新選漢和辞典』第五版、小林信明編、小学館)、令の解字として「…天子が諸侯を集めて、方針を示して、新しく辞令を出すこと。一説に、…令は、人を集めて命令を下し、屈服させることをいう。」とあります。令の一文字を見た最初の国民の印象も、命令の‘令’であったのではないでしょうか。また、日本国政府は、令には良いという意味があると強調しておりましたが、同解字では、「令は霊と通じて「よい」という意味にも使われる」としています。確かに、ご令息やご令嬢といった使い方が日常的にされてはいますが、この用法は、本来の意味からしますと主流ではないようなのです。「令和」の元号の名称は、一体、何を日本国民に語っているのでしょうか。
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本日4月1日、新天皇即位に伴う改元を前にして、日本国政府より新元号が発表されました。自ずと皇室に対する国民の関心も高まるのですが、マスメディアの論調は、現代という時代における天皇の存在意義やそのあり方については深く踏み込もうとはしておりません。しかしながら、天皇の代替わりという節目の年を迎えた今日こそ、二千年を越える日本国の長き歴史を振り返り、天皇について熟慮するに適した時期はないのかもしれないのです。そこで、まずは、天皇の国制における位置づけをめぐって繰り広げられている祭政二元体制対祭政一元論の論争について考えてみたいと思います。
祭政二元論とは、日本国の国制のユニークな特徴としてしばしば指摘されており、精神的な権威と政治的な権力とを分離させた体制を意味しています。日本独自の形態ではあるものの、中世ヨーロッパでは、国家の世俗権力と教会の宗教権力が分離していましたし(キリスト教の二剣論による…)、近代以降では、合理主義の下で政教分離の原則が定着しましたので、精神世界と世俗の政界を制度的に分離する形態は、人類に普遍的に見られる一種の知恵なのかもしれません(企業などでも、実権を持たない名誉職が設けられることがある…)。何れにしましても、日本国の歴史を見ますと、古代にあっては女王卑弥呼と弟の難米升や推古天皇と甥の聖徳太子の関係、あるいは、幼年天皇の即位等に二元体制を見出せますし、中世以降になりますと、摂関政治、院政、幕政などの何れもが権威と権力が分離する二元体制として理解されます。天皇は、神仏に国家と国民の安寧のために祈ることはあっても、直接に統治権力を行使することはなかったのです。歴史においては二元体制の時期が大半を占めており、この意味において、日本国は祭政二元体制であったと見なすことができます。
その一方で、祭政一元論を唱える人々も少なくはありません。一元体制とは、祭祀の長である天皇が直接に統治権をも行使したとする立場であり、記紀に見られる古代天皇や後醍醐天皇の事績が根拠となります。幕末における王政復古とは、西欧の立憲君主制をモデルとしながらも、基本的には祭政一元体制の再現を意図したものです。しかしながら、上述したように、長期に亘って天皇、あるいは、朝廷に統治権がない体制が定着しておりましたので、歴史的な事実としての祭政二元体制を否定するには無理があります。そこで、一元論者の中には、天皇と統治者との関係を前者の後者への委任、あるいは、奉仕として捉え、両者の上下関係を以って説明しようとする試みもあるのですが、この説も、統治者への委任であれ、統治者からの奉仕であれ、天皇が国民に対して統治機能を提供したり、あるいは、政治的問題を解決してはいませんので、人々を納得させるほどの説得力があるわけではありません。
大雑把であれ、祭政二元論と祭政一元論との相違点を描いてみましたが、歴史的事実を基準としますと、祭政二元論に分があることは言うまでもありません。そして、民主主義の価値に照らしますと、政治と切り離された天皇であればこそ、今日の日本国の国家体制にあってその地位を維持し得るとも言えます。権力世襲の弊害は誰もが理解するところであり、世俗的な政治権力の行使こそが天皇家を危機に陥れるとする説が主張されるのも、アクトン卿が述べたように‘権力は必ず腐敗する’ものですし、政争に巻き込まれたり、国民からの恨みをも買うリスクが高いからです。また、日本国憲法が定めるように天皇が統合の象徴であれば、皇族の腐敗や堕落、あるいは、内紛は、最悪の場合、国家や国民の分裂を招きかねないのです。
そして、ここで一つ、疑問となるのは、祭政二元論が歴史的事実にも合致し、かつ、最も民主義国家との軋轢が低いにも拘らず、何故、かくも根強く祭政一元論が唱えられているのか、という点です。一元論は、実のところ歴史的事実とは無関係であり、上述したように過去において例外的に成立していた一元体制を根拠としております。その意図を推測して見ますと、そこには日本国の国制を変革したいとする願望が見え隠れしているように思えます。この意図が表面化した途端、歴史学上の論争にも見える二元論と一元論の対立は、日本国の将来に向けた国家ヴィジョンをめぐる極めて今日的な論争へと一気に時代の最先端に駆け上るのです。昨今、一元論が流布されている目的が、日本国に北朝鮮と同様の全体主義的な天皇親政体制を確立するところにあるとしますと、日本国民は、『日本国憲法』の定める自由、民主主義、基本権の尊重、並びに、法の支配といった諸価値を失いかねない危機にあるとも言えましょう。
なお、新元号は「令和」と公表されましたが、漢和辞典を引きますと(『新選漢和辞典』第五版、小林信明編、小学館)、令の解字として「…天子が諸侯を集めて、方針を示して、新しく辞令を出すこと。一説に、…令は、人を集めて命令を下し、屈服させることをいう。」とあります。令の一文字を見た最初の国民の印象も、命令の‘令’であったのではないでしょうか。また、日本国政府は、令には良いという意味があると強調しておりましたが、同解字では、「令は霊と通じて「よい」という意味にも使われる」としています。確かに、ご令息やご令嬢といった使い方が日常的にされてはいますが、この用法は、本来の意味からしますと主流ではないようなのです。「令和」の元号の名称は、一体、何を日本国民に語っているのでしょうか。
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