「最後まで全う」意思貫く=多忙な「天皇の旅」終わりに―皇位継承
5月1日を迎えるその瞬間、今上天皇の退位と新天皇の即位を以って日本国の元号は、平成から令和へと変わります。突然の生前退位(譲位)表明から始まる一連の流れは、今日を以って一区切りとなるのですが、日本国における天皇の役割とは何なのか、という根本的な問題については、次の年号の時代に先送りにされた感があります。
1946年に制定された日本国憲法にあって、天皇は、その第一条において統合の象徴とされています。明治憲法由来の立憲君主制の流れを汲む国事行為は形式的には残されたものの、同憲法第20条が政教分離の原則を定めているため、古来の国家祭祀は憲法の条文に置かれることはありませんでした。ここに天皇が、(1)憲法にのっとった統合の象徴天皇、(2)明治以降の形式上の立憲君主、(3)古来の伝統を踏まえた非公式の国家祭祀の長という三つの役割が混在する、曖昧模糊とした存在として今日に至った要因を見出すことができます。
三つの天皇像の中で最も曖昧なのは統合の象徴、すなわち、象徴天皇です。憲法第一条に明記されながらも、象徴天皇の具体的な役割について憲法は沈黙しているからです。憲法はあらゆる公職についてその権限と活動の範囲を定めるとする厳格な立憲主義に基づけば、天皇の役割は、憲法第7条が定める国事行為のみに限定されます。それ以上の公的な活動を行えば違憲となる可能性もあるのですが、古来、天皇の権威を支えてきた(3)の伝統的な役割を果たす必要もありましたので、厳密な立憲主義を天皇の活動に適用することはできず、天皇の活動における公私の線引きは不明瞭なままに今日に至ったのです。
このため、スポットとなっている象徴天皇の役割とは何か、という問題について、国民の間でも意見が分かれるところとなります。その存在自体で十分であるとする説、伝統的な国家祭祀を以って象徴的行為とする説、さらには、立憲君主国の国家元首とみなす説など、様々な意見が湧き出たのです。こうした中、今上天皇は自らで象徴天皇の役割を探索する道を選んだようです。福祉活動に加え、内外の戦没者を慰霊するための旅や国内被災地への慰問はまさに探訪末に行き着いた象徴天皇の姿でした。
かくして、象徴天皇の役割はいわば天皇任せとなり、国民の多くも然程にはこの方針に違和感を覚えなかったのですが、令和の時代ともなりますと、果たして天皇任せで良いのかどうか、考えておく必要があるように思えます。何故ならば、中には、将来的な国家ヴィジョンとして天皇親政の実現を望む団体も存在しているからです。つまり、象徴天皇の役割の決定権を新天皇の個人的な’意思’に委ねるとすれば、日本国の民主主義が危機を迎えるリスクがあるのです。
旧弊を廃する転機として今般の令和への改元を歓迎する声も聞こえますが、改悪になるようでは、時代は暗転することとなりましょう。日本国において天皇の地位をどのように位置づけるのか、そして、天皇の役割とは何か、という根本問題については、国民のコンセンサスを形成すべく、十分な民主的議論を経て決めてゆくことこそ、現在を生きる我々すべてに託された課題ではないかと思うのです。
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5月1日を迎えるその瞬間、今上天皇の退位と新天皇の即位を以って日本国の元号は、平成から令和へと変わります。突然の生前退位(譲位)表明から始まる一連の流れは、今日を以って一区切りとなるのですが、日本国における天皇の役割とは何なのか、という根本的な問題については、次の年号の時代に先送りにされた感があります。
1946年に制定された日本国憲法にあって、天皇は、その第一条において統合の象徴とされています。明治憲法由来の立憲君主制の流れを汲む国事行為は形式的には残されたものの、同憲法第20条が政教分離の原則を定めているため、古来の国家祭祀は憲法の条文に置かれることはありませんでした。ここに天皇が、(1)憲法にのっとった統合の象徴天皇、(2)明治以降の形式上の立憲君主、(3)古来の伝統を踏まえた非公式の国家祭祀の長という三つの役割が混在する、曖昧模糊とした存在として今日に至った要因を見出すことができます。
三つの天皇像の中で最も曖昧なのは統合の象徴、すなわち、象徴天皇です。憲法第一条に明記されながらも、象徴天皇の具体的な役割について憲法は沈黙しているからです。憲法はあらゆる公職についてその権限と活動の範囲を定めるとする厳格な立憲主義に基づけば、天皇の役割は、憲法第7条が定める国事行為のみに限定されます。それ以上の公的な活動を行えば違憲となる可能性もあるのですが、古来、天皇の権威を支えてきた(3)の伝統的な役割を果たす必要もありましたので、厳密な立憲主義を天皇の活動に適用することはできず、天皇の活動における公私の線引きは不明瞭なままに今日に至ったのです。
このため、スポットとなっている象徴天皇の役割とは何か、という問題について、国民の間でも意見が分かれるところとなります。その存在自体で十分であるとする説、伝統的な国家祭祀を以って象徴的行為とする説、さらには、立憲君主国の国家元首とみなす説など、様々な意見が湧き出たのです。こうした中、今上天皇は自らで象徴天皇の役割を探索する道を選んだようです。福祉活動に加え、内外の戦没者を慰霊するための旅や国内被災地への慰問はまさに探訪末に行き着いた象徴天皇の姿でした。
かくして、象徴天皇の役割はいわば天皇任せとなり、国民の多くも然程にはこの方針に違和感を覚えなかったのですが、令和の時代ともなりますと、果たして天皇任せで良いのかどうか、考えておく必要があるように思えます。何故ならば、中には、将来的な国家ヴィジョンとして天皇親政の実現を望む団体も存在しているからです。つまり、象徴天皇の役割の決定権を新天皇の個人的な’意思’に委ねるとすれば、日本国の民主主義が危機を迎えるリスクがあるのです。
旧弊を廃する転機として今般の令和への改元を歓迎する声も聞こえますが、改悪になるようでは、時代は暗転することとなりましょう。日本国において天皇の地位をどのように位置づけるのか、そして、天皇の役割とは何か、という根本問題については、国民のコンセンサスを形成すべく、十分な民主的議論を経て決めてゆくことこそ、現在を生きる我々すべてに託された課題ではないかと思うのです。
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