グーグルの検索画面には注目ニュース記事や天気予報といったサービス欄があり、利用者に様々な情報を提供しております。世相を知る上でも便利なのですが、本日、「話題のトピックス」というエンターテイメントや生活についてプチ情報を報じる欄に‘「LINEをやっていない」隠された本音とは’というタイトルの記事が掲載されていました。‘隠された本音’という表現に魅かれて開けてみたのですが、この記事を掲載した‘隠された本音’こそ、探求すべきようにも思えます。
同記事に依れば、LINEのユーザー数は2018年12月の時点で7900万人であり、この数字が正しければ、全人口の50%を越えますので、不使用者は少数派となります。私自身は、と申しますと、スマートフォンも使用していないのですから、絶滅危惧種なのかもしれません…。特に20代や30代では70%を越えるので、‘もはや使っていない人を探すほうが困難’なそうです。
そこで、同記事は、‘連絡先を交換しようと思ったら「LINEをやってない’といわれたらどうするのか、という問題について、筆者が読者に対してアドヴァイスするという相談風に書かれています。文面からはおそらく女子を対象としているとのでしょうが、同欄の掲載記事は、不特定多数のグーグル・ユーザーの目に留まりますので、男性を含めた一般読者をも意識していると推測されます。
それでは、上記の問題について同記事は、どのようにアドヴァイスをしているのでしょうか。同記事の大前提は、‘大多数の人々がLINEのユーザー’ですので、まずは、‘婉曲なるお断り表現’と回答しています。つまり、本当のところはLINEを利用しているものの、連絡を取りたくない口実としてLINEを使っていないと嘘を吐いているとしているのです。この場合、相手の意図を読み取って‘諦めよ’ということなのですが、問題となるのは、次なるケースです。それは、社交場の嘘ではなく本当にLINEを使っていない場合の回答です。同記事では、個人的な意見として断ってはいるものの、実際にLINEを利用していない場合、大勢に逆行するような人は‘偏狭な方’に違いないので、おつきあいしない方が良いとアドヴァイスしているのです。
このアドヴァイス、幾つかの点で問題があるように思えます。第一に、同回答こそ、まさしく異質な者を排除する論理に他ならない点です。しばしば、学校等を舞台にLINEが虐めの道具と化しているとも指摘されておりますが、その理由が同回答を読んで分かったようにも思えます。‘LINEを使わない人とは偏狭だから付き合うな’というメッセージが広く伝われば、その人は、コミュニティーから仲間はずれにされてしまいます。いとも簡単に、この回答は、排除作用として働くのです。マスメディアでは、しばしば異質な者の包摂や多様性の尊重を謳い、社会的なモラルとして寛容を説いていますが、この方向性とは真逆と言えましょう(LINEの不使用者を‘偏狭’として貶めている同記事こそ‘偏狭’なのでは…)。
第2の点は、LINEを使わない人は、必ずしも偏狭とは限らないことです。目下、全世界レベルで重要課題となっているのはIT大手による個人情報の独占問題です。GAFAに注目が集まるものの、反日政策を国策としている韓国の企業の子会社であり、日本国民の個人情報を独占的に集めているLINEもまた、当然に規制対象となる可能性があります。このことは、十分な個人情報の保護がなされていない現状を示しており、LINEの利用に対して懐疑的な立場の人も少なくないのです。つまり、情報弱者ではなく、‘情報強者’であるからこそ、LINEを敢えて使わない人もいるのです。この場合、LINEを使用していない人は、危機管理に優れた人として評価こそされ、‘おつきあい’を避けるべき人ではなくなります。
第3として挙げられる点は、同記事が、日本社会におけるLINE使用の促進を目的として書かれたのではないか、とするステルス・マーケティング(ステマ)の疑いです。同記事を鵜呑みにした人には、‘他の人々から偏狭な人物とは見られたくない’とする心理的な圧力が加わることでしょう。つまり、同記事には、LINE使用に関する同調圧力が働くように作成されているのです。もしかしますと、第2点で述べたように、規制強化の方向性に危機感を感じたLINE側が、LINE離れが起きないように予防線を張ったのかもしれません。
以上にLINE関連の記事について述べてみましたが、果たして、LINEの不使用者は、おつきあいすべきではない‘偏狭な方’なのでしょうか。それとも、同記事こそ、‘偏狭’なのでしょうか。日常のコミュニケーション手段としてLINEを愛用されておられる方々からしますと、本稿の指摘は不愉快に感じられるかもしれず、申し訳ない限りなのですが(ごめんなさい…)、あるいは、同記事に違和感を感じている私が‘偏狭’なのでしょうか。
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同記事に依れば、LINEのユーザー数は2018年12月の時点で7900万人であり、この数字が正しければ、全人口の50%を越えますので、不使用者は少数派となります。私自身は、と申しますと、スマートフォンも使用していないのですから、絶滅危惧種なのかもしれません…。特に20代や30代では70%を越えるので、‘もはや使っていない人を探すほうが困難’なそうです。
そこで、同記事は、‘連絡先を交換しようと思ったら「LINEをやってない’といわれたらどうするのか、という問題について、筆者が読者に対してアドヴァイスするという相談風に書かれています。文面からはおそらく女子を対象としているとのでしょうが、同欄の掲載記事は、不特定多数のグーグル・ユーザーの目に留まりますので、男性を含めた一般読者をも意識していると推測されます。
それでは、上記の問題について同記事は、どのようにアドヴァイスをしているのでしょうか。同記事の大前提は、‘大多数の人々がLINEのユーザー’ですので、まずは、‘婉曲なるお断り表現’と回答しています。つまり、本当のところはLINEを利用しているものの、連絡を取りたくない口実としてLINEを使っていないと嘘を吐いているとしているのです。この場合、相手の意図を読み取って‘諦めよ’ということなのですが、問題となるのは、次なるケースです。それは、社交場の嘘ではなく本当にLINEを使っていない場合の回答です。同記事では、個人的な意見として断ってはいるものの、実際にLINEを利用していない場合、大勢に逆行するような人は‘偏狭な方’に違いないので、おつきあいしない方が良いとアドヴァイスしているのです。
このアドヴァイス、幾つかの点で問題があるように思えます。第一に、同回答こそ、まさしく異質な者を排除する論理に他ならない点です。しばしば、学校等を舞台にLINEが虐めの道具と化しているとも指摘されておりますが、その理由が同回答を読んで分かったようにも思えます。‘LINEを使わない人とは偏狭だから付き合うな’というメッセージが広く伝われば、その人は、コミュニティーから仲間はずれにされてしまいます。いとも簡単に、この回答は、排除作用として働くのです。マスメディアでは、しばしば異質な者の包摂や多様性の尊重を謳い、社会的なモラルとして寛容を説いていますが、この方向性とは真逆と言えましょう(LINEの不使用者を‘偏狭’として貶めている同記事こそ‘偏狭’なのでは…)。
第2の点は、LINEを使わない人は、必ずしも偏狭とは限らないことです。目下、全世界レベルで重要課題となっているのはIT大手による個人情報の独占問題です。GAFAに注目が集まるものの、反日政策を国策としている韓国の企業の子会社であり、日本国民の個人情報を独占的に集めているLINEもまた、当然に規制対象となる可能性があります。このことは、十分な個人情報の保護がなされていない現状を示しており、LINEの利用に対して懐疑的な立場の人も少なくないのです。つまり、情報弱者ではなく、‘情報強者’であるからこそ、LINEを敢えて使わない人もいるのです。この場合、LINEを使用していない人は、危機管理に優れた人として評価こそされ、‘おつきあい’を避けるべき人ではなくなります。
第3として挙げられる点は、同記事が、日本社会におけるLINE使用の促進を目的として書かれたのではないか、とするステルス・マーケティング(ステマ)の疑いです。同記事を鵜呑みにした人には、‘他の人々から偏狭な人物とは見られたくない’とする心理的な圧力が加わることでしょう。つまり、同記事には、LINE使用に関する同調圧力が働くように作成されているのです。もしかしますと、第2点で述べたように、規制強化の方向性に危機感を感じたLINE側が、LINE離れが起きないように予防線を張ったのかもしれません。
以上にLINE関連の記事について述べてみましたが、果たして、LINEの不使用者は、おつきあいすべきではない‘偏狭な方’なのでしょうか。それとも、同記事こそ、‘偏狭’なのでしょうか。日常のコミュニケーション手段としてLINEを愛用されておられる方々からしますと、本稿の指摘は不愉快に感じられるかもしれず、申し訳ない限りなのですが(ごめんなさい…)、あるいは、同記事に違和感を感じている私が‘偏狭’なのでしょうか。
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