本日の日経新聞朝刊の第一面には、混迷を深めるアメリカ大統領選挙に関して、「問われる民主主義の真価」と題する記事が掲載されておりました。この見出しを目にした瞬間、すっかりバイデン陣営の不正選挙疑惑を反民主的行為として批判しているものと早合点したのですが、内容を読んでみますと、その倒錯ぶりに愕然とさせられてしまいました。この記事、バイデン陣営を糾弾しているのではなく、強権的な態度を以って選挙結果に言いがかりを付けているとして、トランプ大統領側を反民主主義的であると決めつけているのです。
仮に、アメリカが、民主主義国家ではなく、中国のような共産党一党独裁国家であれば、司法が不正選挙の有無を判断することは不可能であったことでしょう。そもそも、権力分立が否定され、司法が独立していない独裁体制では、普通選挙という制度そのものが存在していないのですが、百歩譲って、たとえ選挙というものが実施されていたとしても、その結果に異議を唱えることは許されないのです。如何に露骨で酷い不正が行われ、選挙結果が捻じ曲げられていたとしても…。
今般のアメリカの状況を見ますと、民主党のバイデン陣営、並びに、その応援団であるマスメディアの方が、余程、共産主義国家、あるいは、全体主義国家の行動様式に近いように思えます。バイデン候補は、既に政権移行への準備を表明し、‘我々が勝者、間違いない’として事実上の勝利宣言を行っていますし、日経新聞社のみならず日本国内のマスメディアの大半を見ましても、正式に確定しているわけでもないにも拘わらず、バイデン候補の勝利を既成事実として報じているからです。常々、共産主義者やリベラル派の人々は、暴力革命をはじめ、既成事実化を以って人々に自らの意思を押し付けてきました。他の多くの人々の意見や倫理・道徳との合致、さらには正当性など全く問題にせず、先に‘事実’を造り出した方が‘勝ち’であると考えているのです(‘事実’は捏造であっても構わない…)。バイデン陣営にとりましては、たとえ不正行為の結果としての数字であっても、‘数字の上では勝者’という‘事実’が大事であり、‘目的のためには手段を択ばず’なのでしょう。
一方、誰から見ましても、今般のアメリカ大統領選挙には不正選挙を疑われて然るべき点が多々見受けられます。おそらく、日本国内のネット上でも騒動となるぐらいですから、アメリカの民主党支持者であっても、僅かでも常識や良心があればバイデン陣営の票数を疑うことでしょう。郵便による投票自体が不正の温床になりやすいのに加え、州によっては、トランプ陣営優勢が伝えられながら開票終盤に至って突然に大量のバイデン票がカウントされるとなれば、‘疑うな’と言う方に無理があります(この懐疑心さえ許さないとする態度が共産主義的で恐ろしい…)。政治的スタンスの違いに拘わらず、一般的な人の常識的、かつ、合理的な認識力からしましても、明らかに異常と見なされる現象が観察されているのですから(アメリカの郵便投票制度は、郵便書留制度であり幾重にも署名がチェックされるので、少なくとも‘水増し’は不可能とする指摘があるものの、公開された開票所の映像からは丁寧な署名の照合作業が行われているようには見えず、また、州によって投票方法も違うのでは…)。
幸いにして、アメリカは、権力分立に基づいて建国された民主主義国家ですので、大統領選挙にあって不正行為の疑いがあれば、司法に判断を委ねることができます。独裁国家にあっては疑うことさえ許されませんが、民主主義国家では、同体制を支える主要な基盤となる選挙にあって不正行為があれば、体制そのものが破壊されてしまいますので、中立・公平な立場にある司法機関が、厳正、かつ、徹底した捜査・調査を実施し、証拠に基づいて事実を確認し、そして法律に照らして判断することができるのです。法廷は公開されますので、全ての国民が、不正の有無を確かめることもできます。こうした民主主義体制の仕組みは、一党独裁体制よりも遥かに優れており、人類の叡智の結晶とも言えましょう。
アメリカが、司法による‘審判’の道が保障されている民主主義国家であるからこそ、トランプ大統領は法廷闘争に訴えることができるのであり、この選択を非民主的として非難するのは、あまりにも的外れのように思えます。法廷闘争こそ、民主主義国家の証でもあるのですから。日本国も、自由で民主的な国家なのですから、不正疑惑がある点を誠実に報道した上で、選挙結果は未定であるとし、法廷における公平・公正な決着こそ支持すべきではなかったかと思うのです。
*最初の投稿時には、週によっては登録者数を超える投票者数があった旨を記しましたが、この情報は正確ではないとのことですので削除しました。