最近、‘肉屋を支持する豚’という言葉を目にするようになりました。この表現、昔から伝わる諺ではなく、2009年頃から日本国内のネット上で使われるようになった比較的新しい創作のようです。意味としては、‘将来において自らを殺す者を支持する人’となり、先行きを見通すことなく、自らに不利益を与えかねない存在を積極的に支持してしまう愚かな人ということになりましょう。
言わば、洞察力や推測力に欠ける人々を揶揄する言葉なのですが、この言葉、手の込んだ欺瞞が蔓延る故に、今日、様々な場面で使われています。その一つが、共和党のトランプ大統領を支持する白人男性労働者に対するものです。米民主党は、労働者を支持母体とする政党であり、かつ、社会保障制度や福祉などの拡充を訴えているのに、前者を支持するのは、あたかも‘肉屋を支持する豚’のようなものであるとして…。
苦境にある‘ラスト・ベルト’の労働者のように、産業の空洞化により失業や賃金低下に見舞われ、中産階級から転落してしまった人々が、弱者に冷たいとされてきた共和党のトランプ大統領を支持するのは、一見、矛盾しているように見えます。アメリカの二大政党制を資本家対労働者という旧来の対立構図で見れば、この表現も、あながち間違ってはいないように思えます。しかしながら、中産階級の崩壊の原因がグローバリズム、並びに、これと同時に広がったデジタル化にあるとしますと、トランプ支持層は、再配分重視の民主党の政策ではない、別の方向性を求めているのかもしれません。
トランプ大統領がかくも多くの支持を得たのは、おそらく、荒野を切り開いた開拓者を祖先とするアメリカ人の心の奥底にある‘開拓者魂’に共鳴したからなのでしょう。民主党の政策とは、たとえ弱者に優しい政策であったとしても、その政策手法の基本は再配分にあります。富裕層に対しては思い負担を求める一方で、それを財源として弱者に対して給付するというスタイルです。もちろん、一般のアメリカ市民にあって同政策を支持する人も少なくないのですが、必ずしも、全ての人が手厚い給付を以って満足する訳ではありません。しばしば、何らの対価や報酬でもなく他者から金品を受け取ることに抵抗を感じ、自尊心が傷つく人も少なくないからです。
ましてや、開拓者の子孫であるアメリカ人の人々からしますと、再配分政策の強化よりも、自立した一個の個人としての自らの存在を支える仕事そのものを欲することでしょう。この点、中国からアメリカに製造拠点を移し、雇用をアメリカ国内に戻そうとしたトランプ大統領の政策が、自立心が旺盛な人々の心に響いたことは想像に難くありません。政府から給付金を配給されるよりも、誇りを以って打ち込める自らの仕事が存在することこそが重要なのです。
本日も、イーロン・マスク氏の個人資産が13兆円を超えたとするニュースが報じられていますが、民主党の政策は、IT富豪や金融財閥といった極一部の人々への富が集中を是認する一方で、再配分によって大多数の貧困層を宥めようとする政策です。また、仕事がなくとも時を過ごせるように、リベラル派は、ネットゲームのみならず、麻薬の解禁にも積極的です。この点、ベーシックインカムを主張している右派も方向性は同じなのですが(極右と極左はコインの裏表…)、少なくともアメリカ国民のおよそ半数は、より多くの人々が、IT分野に限らず起業であれ、就業であれ、自らの希望や特性にあった様々な仕事のチャンスに恵まれ、仕事の成果、あるいは、対価としての給与によって所得格差のより小さな社会を望んでいるのではないでしょうか。
人の心に内在する自立心や自尊心に重きを置かない人、あるいは、それを理解しない人にとりましては(共感力に乏しい?)、トランプ支持者は、愚かな「肉屋を支持する豚」に見えることでしょう。しかしながら、一個の人格としての自己を保とうとする心理に思い至れば、トランプ支持者の心情を無碍に批判はできないのではないでしょうか。そして、これらの視点からしますと、民主党支持者の人々は、「肉屋を支持する豚」のように最後には殺されてしまう‘豚’ではないにしても、「肉屋に飼われた豚」に見えるかもしれません。リベラル派は、常々多様性の尊重を謳っていますが、その実、自らに反対する人々の心情を理解しない点において偏狭であり、不寛容であるように思えるのです。