国際協調や国際協力とは、必ずしも善いことばかりではありません。一般論からしますと、分け隔てなく誰とでも仲良くすることは奨励されるべき善行なのですが、犯罪者や暴力団と協調することが善いことなのか、と問われた時に、Yesと答える人は少ないのではないでしょうか。
一般の社会にあってさえルールを無視したり、踏みにじる人は周囲の人々から警戒され、距離を置かれてしまいます。ましてや、法に反して利己的な理由から他者に害を与えた人は、犯罪者として法的な処罰を受けます。ところが、この至極当たり前の対応が、残念ながら国際社会では見られないのです。
今般のG20を見ますと、国際協調主義が強調され、綺麗ごとばかりが並んでいます。G20が結束して取り組むべき分野としては、経済成長の回復、新型コロナウイルス対策、ワクチンの公平な分配、地球環境問題などが挙げられていますが、これらのテーマは、耳に心地よい響きがあるものの、いずれも社会・共産主義者やリベラルが理想とする世界への貢献という点において共通しています。そしてこれらは、自由、民主主義、法の支配、並びに、人権侵害といった価値観を、体よく議論の脇に置くことができる点においても共通しているのです。
たとえば、新型コロナウイルス問題を取り上げましても、本来、G20において責任を問われ、対応を迫られるべき国は中国なはずです。同感染症の発祥国でありながら、WHOと結託して情報を隠蔽し、パンデミック化を招いたのですから。未だに中国もWHOは、国際社会に約束しながら発生地である武漢の調査を実施しておらず、真相が闇に葬られそうな状況にあります。本来であれば、G20は、再発予防のために感染病に関する情報公開の徹底を議論すべきでしたし、中国も、諸外国からの批判に対して誠意を以って応じるべきでした。ところが現実には、オンラインで出席した習近平国家主席は「健康コード」なる中国発のアプリの普及を訴えたのですから、唖然とさせられます。因みに「健康コード」とは、PCR検査の結果や利用した交通機関、さらには生体情報などがスマートフォンに表示されるシステムであり、中国は、全人類のデータ管理を目指しているのかもしれません。ワクチンの「特許権プール」構想も、同枠組みを利用して、安全性に問題があるような怪しげな中国製ワクチンを他の諸国の人々にも接種させようとしているのでしょう。
結局、無法国家である中国の顔色を窺い、当たり障りのないような、否、偽善に満ちた首脳宣言を採択してお茶を濁すG20には、一体、どのような存在意義があるのでしょうか。これでは、犯罪国家の罪を不問に付すための‘国際協調’としか言いようがありません(新型コロナウイルス感染症により、現在なおも、全世界において夥しい数の人々が犠牲となっている…)。日本国は、天安門事件後にあっての天皇訪中が国際的な対中制裁を緩めるきっかけを作ったとして批判を受けてきましたが、今日の国際社会は、日本国の誤りを‘国際協調’の名を借りて繰り返しているように思えます。
議長国となったサウジアラビアは、ITを用いてG20サミットの集合写真を合成していましたが、現実と仮想現実が交差する今日の世界では、政府による如何なる偽造や誤魔化しもあり得るようで、そら恐ろしささえ感じさせます。政府への信頼が失われつつある今日、同合成写真は、中国の習主席を含め、リベラルな国際勢力によって作られた仮想現実の世界に生かされている首脳たちの幻影なのでしょうか。