万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

イスラエルの最も望ましいマネー・パワーの使い方

2023年12月15日 10時30分26秒 | 国際政治
 パレスチナの地では、今やイスラエルがパレスチナ人の息の根を止めようとしているように見えます。イスラエルのネタニヤフ首相は、今般の戦争を自らが描く‘大イスラエル主義’の総仕上げに位置づけているのでしょう。如何なる反対をも振り切って蛮行を強行しようとするその姿は、冷静かつ客観的な視点からはもはや狂信者としか見えないのですが、当事国が全世界にネットワークを張り巡らしているユダヤ人の国家であるだけに、全ての諸国、あるいは、人類は、傍観者の立場ではいられなくなります。停戦の見込みさえ薄い中、戦後のヴィジョンを語るのは、時期尚早あるいは的外れとの批判もありましょう。しかしながら、たとえイスラエルがパレスチナを武力で制圧したとしても、根本的な解決には至らず、将来的には同様の事態が繰り返されるリスクがあります。そこで、昨日の記事では、パレスチナ紛争の最終的な解決をもたらす試案を考えてみたのですが、本日の記事は、同試案の後半部分となります。

 解決案の第三は、第三次中東戦争の結果を反映する形で成立した1967年の国連安保理決議の扱いです。同決議については、武力による国境線の変更に当たりますので、第二の原則(合法性の原則)からしますと、本来であれば国際法上の強行法規違反として無効を主張し得ます。その一方で、オスロ合意にあって、パレスチナ側もイスラエル側もこの変更を承認しており、パレスチナ国が自国の領土をイスラエルに対して割譲したとする見方もできないわけではありません。しかしながら、国際法違反とする汚点は消し去ることはできず、仮に、この国境線をもって両者間の国境線を画定するならば、パレスチナ国並びにイスラエルとの間で再交渉を行ない、(3)の均衡の原則に従い、イスラエル側は、パレスチナ側に対して相応の補償を行なうべきと言えましょう。

 第四に、聖地イエルサレムについては、1947年のパレスチナ分割決議案では、国連による信託統治を定めています。今日、イエルサレムは、第3次中東戦争でレバノンから奪った東地区を含めてイスラエルによる占領状態が続いていますが、同決議に従えば、恒久化するか否かは別としても、暫くの間は、国連の委任統治下に置くべきものとなります。しかも、イエルサレムは、かつて度重なる十字軍の遠征を引き起こしたように、キリスト教の聖地でもあります。少なくとも、人類の大半が宗教を精神的な領域の問題とみなす状態に至る、あるいは、宗教というものの捉え方が変化するまでの間は、一先ず、何れの国家の領域に含めず、国際管理の下に置く方が望ましいのです。因みに、1993年のオスロ合意では、イスラエルの最終的な地位については、イスラエルとパレスチナ国の双方の話し合を経た合意に委ねています。

 もっとも、国際管理の方法については、必ずしも国連の信託統治の形態をとる必要はなく、同地を聖地とするユダヤ教、イスラム教、並びに、キリスト教の3宗教の代表によって共同管理するという方法もありましょう。真に唯一の神が平和を望むのであるならば、これらの3宗教の代表が、‘共同管理理事会’において相争うはずもないからです(各宗教の代表は、自らが神から使わされた平和の使徒であることを証明しなければならない・・・)。また、人類の全てが同3宗教の信者であるわけでもなく、仏教徒もいればヒンズー教徒もいますし、日本国の神道のように緩いながらも伝統的な宗教が基盤として存在する国もあります。さらには、共産主義国のように宗教そのものをも否定している国もありますので、国連よりも聖地としての価値を認めている宗教が、イエルサレムの平和を守る責務を負うべきなのです。因みに、エルサレムという都市名は、‘平和の御座す都市’を意味すると言います。

 以上に二回に亘って解決案について試案として述べてきましたが、特にポイントとなるのは、イスラエルによるパレスチナ国に対する償いです。言葉は悪くて恐縮いたしますが、実のところ、同案は、‘お金による解決’を提案しているのです。

 金融や貿易の才に長けているユダヤ人は、古来、全世界においてその絶大なるマネー・パワーを発揮してきました。近現代における世界大戦も革命もその裏ではユダヤ利権並びに組織的な誘導があったと囁かれるほどです。言い換えますと、マネー・パワーを駆使して様々な国や勢力間における対立を煽り、人々を恐怖と混乱に陥れることで富を得てきたとされるのですが、パレスチナ紛争にあっては発想を転換する必要がありましょう

 つまり、自らが有する強大なマネー・パワーは、自らの安全の確保、すなわち、平和の実現のために使うべきなのです。軍事費に膨大な予算をつぎ込むよりも、パレスチナ国に対する補償並びに賠償金を支払った方が、遥かに建設的なのではないでしょうか。もちろん、仮に、イスラエル側がハマス等のテロによる被害を訴えるならば、イスラエル側も、補償・賠償額から自らの被害分の差し引きを要求する権利があります。イスラエルの最も望ましいマネー・パワーの使い方とは、合意尊重、合法性、均衡の原則に沿った解決、即ち、パレスチナとの恒久的な和平のための対価の支払いなのではないかと思うのです。

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