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精神的に辛い出来事があると
それは見えなくとも生々しい傷になる。
血を流し、傷口はじくじくと痛む。
しかしそれでも日にち薬はじわじわと効いてくる。
やがて傷にはかさぶたができ、
激しい痛みは感じないようになる。
チャンスはその時なのだ。
なぜそのようなことが起きたのか
それに対して自分がどのような処置をしたのか
癒えていない部分があるのは一体なぜなのか。
そういうことを考えることは
自分というものを振り返り考える時で
(自我も含めてのものであり、自我だけではない。)
そこに「布置」されたことにも
思い至ることができる。
「布置」ということが非常に重要だ。
それを見ることができれば
その出来事が自分に何を教えてくれるのかが分かる。
傷を負うということの意味。
それを持ち越さないためにも
そのチャンスを逃さないでほしい。
見ないふりをして過ごすということは
自分に嘘をつき続けるということだから。