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傷を持たない人間はいない。
だから、誰しも自分のその傷の傷跡や残滓を見続ける必要がある。
それは自分自身が少しずつ変わっていけることを
教えてくれるものでもある。
経験が体験化され
体験が意識につながって行くと
自分がものを見る「層」が変わっていく。
生まれてきて色々な体験を積む、
という醍醐味はそこにあるのではないか、と思う。
憎みっぱなしも恨みっぱなしも人のせいにしっぱなしも
それで苦しむのは自分なのだから。
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怒りそのものは大きなエネルギーなので
怒りが収まらない人にはやはりそれを昇華する表現行為が必要なのだと思う。
細かくいうと、最初は表出。ただただ噴出されるのみで、
そこにはどう出したらいいかという方法論は見当たらない。
それをもっとうまいやり方や
人にそのことをちゃんと伝えたいと思った時に
怒りを適切な方法での表現に変えていくことができる。
出しっぱなしではなく、どのような形にして伝えるか、
何をどのように伝えたいか、誰に向けて伝えたいか、
伝えるためには何が必要か、
ということに考えが及んでいきます。
その時に初めて、恨みや怒りでもない、
それを受け止めさせる存在ではない「他者」が出現します。
脅かす存在でもなく、愛してくれる存在でもなく
ただの他者。
ただの他者、という存在がいることを獲得できた時に
穏やかな世界の片鱗が見えてくると思う。