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ブッククラブ回さんのFBページで
エックハルト・トールの「観察する人」を紹介していた。
その中にこんな一文があった。
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自分の心の状態を「観察する人」になってください。
とりたてて何も「する」必要はありません。
「気づく」だけで十分です。気づきによって、変容と自由がやって来るのですから。
- エックハルト・トール - 『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルな教え』
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そうなのだ。
観察に始まり、
観察に終わる、
と言っていいくらい
それに尽きる。
観察には感情を必要としない。
観察にはジャッジを必要としない。
観察には愛も光も神の声も関与しない。
ただ、ひたすら観察を続けるのである。
どんな時も。
悲しみに打ちひしがれていようが、
怒りでいっぱいになっていようが。
自分への言い訳もしない。
そして、観察が進んでくると
さらに深く、奥の方までを見通していくことができる。
続けていくと
その場の感情に瞬間的に反応してしまう
「何かの要因」があることや
毀誉褒貶で一喜一憂していたことに気づく。
思い込みに気づく。
そういう自分を間主観的に眺めてみる。
それを続ける。
ただそれだけなのだが
それを続けていくと
自分や社会をただ見てみる、という姿勢が身につく。
自分への態度や自分の意志が見えてくる。
それは世界への視線と態度にもつながっていく。
観察という行為がミクロとマクロをつなげると自分は感じている。
自分が変わらずに世界への批判ばかりしていても
何も変わらないから。
そしてただただ、死ぬまで続けていくのです。
ひとつの淡々とした作業として。