@animanma 目玉に手の平当てて、ゆっくり呼吸。感覚のみ意識。なんとかなるのを自覚。おやすみ😘
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 01:16
「ヨガホリック」という言葉があって、自分をコントロールする快楽でキマってしまう状態です。これは普通に見たらもはや修業に熱中する行者ですね。その発端が「痩せたい」だったことを思うと、現代の「痩せる」というのは、神に奉仕するように、身体に奉仕する現代の宗教的熱情と言えるかもしれません
— 東畑開人 (@ktowhata) 2017年5月13日 - 10:44
【動物】アルマジロ。「トランスフォームする瞬間」 pic.twitter.com/nPYeyuBMPI
— orangeflower08 (@orangeflower08) 2017年5月12日 - 04:03
42歳「脳が壊れた」ルポライターのその後〜私が障害を受容するまで #現代ビジネス gendai.ismedia.jp/articles/-/502… gendai.ismedia.jp/articles/-/502…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 12:26
大阪WSの紹介をしていただきました。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 20:10
サキさんの、この文章好きだなあ。
ありがとうございます。 twitter.com/emptiesaki/sta…
@susuharai アハハ!斬新。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 20:48
でもまさにそうなんだよなあ。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 20:52
どこでもなく、どこでもある。
いつでもなく、いつでもある。
言葉ではうまく書けないけれど。
そういうことすら超えるというか。
そういうことも同じことであるというか。
いちはらアート×ミックス2014、当時、大所帯の指輪ホテルのために、楽屋として提供いただいた小湊鐵道の大会議室。いまこちらでは、歴史展やってます。百年! pic.twitter.com/OmpJamkHyl
— 指輪ホテル (@YUBIWAHotel) 2017年5月13日 - 11:18
お会いしたかったな… twitter.com/YUBIWAHotel/st…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:15
庭を通過するごとくの小湊鐵道列車。 pic.twitter.com/CJTXUH0jnc
— 指輪ホテル (@YUBIWAHotel) 2017年5月13日 - 17:08
@susuharai いや、わたしもその後ひとりごちたのですが、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:16
そうそう、と思ったのです。
ハッとしたのです。
@susuharai はい、なんというか、まだぴったりくる言葉が見つからないのですが
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:26
いつでもあり、いつでもない。
どこでもあり、どこでもない。
という感じがあります。
踊っていてある種の状態の時は特に。
そういう瞬間が立ち現われるというか。
2014年5月。いちはらアートミックス指輪ホテル公演の後のスナップ。市役所やサポーターの方々、小湊鉄道関係の皆様には本当にお世話になった。列車の中での上演であんなに大変だった公演はなかったけれど、毎年春になるとここの菜の花、そして… twitter.com/i/web/status/8…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:31
@susuharai たっぷり沈んできてください!
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:32
青い月の光の注ぐ、うちなる静かな湖へ。
@susuharai こちらこそいつも…
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:35
まだ言葉に結びついていない何かを喚起される時があり…
(以下ことばに変換するのがもったいないので略!)
じわじわ味わいます。
樹々のざわめきを見ていると
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 21:47
人間とは違った波長の意志や感情のようなものがあるな、
と感じることがある。
というよりそう感じつつ見ていたりする。
そもそもなぜひとが踊れる場を提供するか、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:00
ということについて改めて考えている。
自分がなんのためにでもなく踊ってきた「場」のことを思い起こす。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:01
踊るということを通して
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:02
どんなことが立ち現れてきたのか。
強烈な恥ずかしさや、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:05
思いもよらない歓喜や、
他者と引き比べての劣等感や、
言葉によらない出会いや。
その時その時の自我そのものでもあり
自我を手放す瞬間でもあり。
そして思考ではない瞬間の感情や感覚に
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:26
まずは身を委ねてみる以外にない。
できるかどうかではなく、やるかやらないかだけ。
社会的存在となってしまった限りは
それがまずむずかしいことなのだ。
だからこそ、そういう場が必要だったのだ。
いつでもどこでも、どこでもないところでも。
ダンスセラピー大阪WS vol.14「大地とつながる身体」6/2~3 お申し込み受付中です。身体能力を問うものではありません。踊りはすべてのひとのものです。まずはご自身の身体と丁寧に向き合うこ... goo.gl/Xfh4VJ
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月10日 - 22:15
どんな自分であろうとも、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:44
踊っていいんだよ。
子供の時は皆踊っていたのだもの。
ガチガチに固まっていようが、
人目が気になろうが、
理屈も言い訳もいらないんだから。
生きているということは
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:49
この自由で不自由な身体とともにあるわけで。
そして折り返し地点を過ぎれば加齢に伴う不具合も出てくるわけで。
それも含めてナマな自分でいいんじゃねえか?と思うのだ。
そういうことを許せる場を持つ、ということ。
ドス黒さとか、後ろめたさとか、弱さとか、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2017年5月13日 - 23:57
軽やかさとか、ふいっと何かする好奇心とか
全部持っているんだから。
嘘つかないでいい。
踊りは嘘をつけない。
それがいい。
すごく面白い。