楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。それは仕方のないことです。
お盆休みのこの日、私は写真も撮らずに(カメラを実家に忘れてしまいました)京都の街中をフラフラ歩いていたんです。
京都国立博物館、いつもなら本館とか、新館と古い門とか、お隣の豊国神社とかを訪ねたことでしょう。でも、カメラがないから、ビジュアル的なものは目をふたぎ、歩くことと何かを見つけることに必死になっていました。
さあ、奥さんにメールで「下賀茂神社の古本市はやってる?」と訊ねてみました。彼女、こんな私のどうでもいいような質問にも答えてくれて、「やっている」と教えてくれました。だったら、行くしかありません。
でも、最近思うのは、古本市で探している本って、いったい何だろう、ということです。とりあえずは、干刈あがたさんの文庫本を見つけることを目標にしています。大半は持っているんですけど、あと何冊かを持っていない。だから、探すのでした。
だから、背表紙で岩波・ちくま・中公はすぐにわかってしまいます。古本屋さんは、集めてくれていて、そこはスルーします。欲しい本があれば、その文庫のところへ行くんですが、今のところそういう本が見つかりません。
あがたさん以外に目標はあるんでしょうか?
本なんて、ほとんど読み切れないくらいにたくさんあるし、私の興味なんて狭い範囲でしかないので、ボーツと背表紙を見ていて、自分の知らない世界を教えてくれそうな本とか、全くノーマークで、ポンと飛び込んでくる本をヒョイと買う時があるんですね。それが楽しみで古本市に出かけます。だから、単行本は全く見なくて、安い掘り出し物ビジュアル系の本とか、そういうのを買う時もあります。まあ、出会いを大切にしている、というふうに言えばいいのかな。
京阪の清水五条から出町柳に出ました。
駅を降りた時だったのか、どこかで案内を見たのか、たぶん、改札を出たところに案内があって、それで京都国立博物館で百万遍の知恩寺のこと(秋の古本市のあるところ)には心惹かれていたので、迷わず京都大学の北隣になるはずの百万遍という地名のところまでフリマを訪ねることにしました。
古本市は最後に二時間ほど見て、それで帰ろうと決めてしまいました。
朝が早かったから、お昼ごはんにはまだ早かった。
知恩寺までは十分程度、どうにかたどりついたお寺は、入口はそんなに広くはありませんでした。小さな門が京都大学に向かって開かれていました。でも、その奥には本堂までずっしりとお店が出ているようでした。
フリマなので、それぞれ一坪ほどのスペースに、雑貨・小物・かばん・衣服・パン・お菓子・ジュースなど、思い思いのお店がありました。
奥さんへのプレゼントにかばん、いいのがないかな? そういう気持ちはありましたが、大きな荷物を抱えて実家に帰ると、すぐに母にチェックされてしまうし、お金もあまり持ってないし、ひやかすだけで淡々と境内のいたるところにあるお店を一通り見ました。
その中で、うちにはもうたくさんあるのに、それでも気になったのが、何の変哲もない白いうつわでした。三つで1080円ということでした。再び通り、三度目か四度目、とうとうそこの若い人に声をかけてみました。
「これ1つはいくらですか?」(ほしいけど、たくさんは要らなかったんです)
「四百円です。今なら四つで1080円です」
……四つも要らないし、どれか一つでいいんだけれど……
「それなら、違うのがいくつかあります」と、ストックから出してくれました。
……ああ、こんなにたくさんあるのか……
私は、その白いうつわで何をしようというんでしょう? ヨーグルトを食べる時のうつわにしよう! 実家にも一つ置いておこう。もう四つ買ってしまおう!
そう決めて、一つだけ焼酎の水割り用に買い、あとの三つはヨーグルト用に買ってしまった。奥さんそっちのけで、自分のつまらないルーティンのためのものを買い込みました。
「どこで焼いておられるんですか?」(信楽だったら嬉しかったんでしょう。また、どこかで会えるかもしれないし……)
「北山の方で焼いています。今日はいつもよりお店も少なくて、三割くらい減っています。時々やってますから、どうぞまた来てください」
ああ、四つも白いうつわを買ってしまった。しまうところはないのに、一日に何度あるかわからないのに、自分ではちっとも洗わないのに、気まぐれで買ってしまった。本当にわたしったら!