先日、京都鉄道博物館に行ってきました。それにしても、突然じゃないですか? 何か特別なことでもあったんでしょうか?
ハイ、3月から入館料が1500円になるというから、シブチンの私としては1200円のうちに行っておきたかったんです。そして、これからはもう行かないことにします。よほどのことがない限り、絶対に行きません!
別に主義・主張があるんじゃなくて、ただ3回目はいいかなという、消極的な理由です。その前の交通科学館というのが、大阪の環状線の弁天町の駅の下にあるときは、何度も行かせてもらったし、小さい時からそれはもう数限りなく行きました。
高校は、その近くだったので、高校時代は一切行きたい気持ちを封印して(というか、どうしてそんなとこに行くの? という気取った気持ちでしたね。でも、弁天町駅も改良されて、少しだけシースルーになったガラス窓ができた時は、上から科学館を眺めて、何だかシンミリしたものでしたけど、もう、そういうのを通り越してしまいました……)、いつでも行けると思っていたら、京都に持っていかれたんでした。そりゃ、蒸気機関車はたくさん保存してあるし、あの立派な倉庫がある限り、絶対に京都だと思います。
でも、ひがみ根性というのか、いじけ魂というのか、大阪びいきというのか、大阪から自分の好きなものが移転していく度に悲しい気持ちになります。まるで今の大阪は、私の好きなものがなくなってしまった、ビルだけはそれなりに立派な近代的ではあるけど、世の中の流れから取り残された、中国の植民地的になってないのかどうか……。
とにもかくにも、中国の人たちに愛される街づくりをめざしているのかなあ。もう大阪の独自性なんかよりも、たくさんの旅行客を受け入れて活性化するしか道はないんだろうか。
京都に行く前に、少しだけ梅田駅(大阪駅)の北側に出てみました。
変てこなカエルさんが疲れたみたいに休んでいました。
まさにこれ、大阪は迷走し、巨大化し、近代化はしているけれど、何だか疲れている。街には人がたくさんいるところと、ションボリしたところと二極化している。
うちの実家の方は、さびれていて、商店街も開いている店がポツリ、ポツリとあるばかり。何十年もやっている果物やさんも、店主がひとりで品物を見つめておられました。息子さんも知ってるけど、息子さんはきっと家業継がなかったでしょう。それが私の街の現状です。みんな今までやってたことを諦めて、自分の道を模索しているはずです。
若い人が、親たちがしてきたようにして生きられない街になっていました。
商店街のアーケードはいつか取り壊され、店はすべてなくなって、みんなどこで買い物をしたらいいのかどうか、ゲリラ的に生まれたお店で買い物のすべてをまかなうんでしょうか。
何でもあふれる、巨大なターミナルと、疲弊していく街、これが大阪の二つの顔です。
それなのに、うちの母なんかは、今も昔の生活スタイルを守って生きて行こうとしている。それはいいんだけど、何だか不便そうです。
京都は、日本の文化の中心のひとつです。だから、世界中の人に来てもらわなくちゃいけないし、京都タワーは何となく無粋な建物ではあったけれど、もうすっかり町に馴染んで、まるで未来的な建物のように見えてきます。
京都駅は、リニューアルされてから、なんと改札と外とは同じフロアーになるなんて、改札を出たら、そのままあちらこちらに向かうバスに乗れたり、そのまま歩いて行けたりする。
大阪駅みたいに、上がったり下がったりしなくてもいいなんて、もう信じられない自由さでした。
今さら言っても仕方がないですね。京都と大阪のキャラは違うんです。だから、比べるのが間違っている。
(園長先生みたいな人が、子どもたちのリュックの番をしていました。このあと、みんなでお弁当食べたんだろうな。ソーシャルディスタンスを守りつつ)
鉄道博物館は、たくさんの子どもたちが遠足に来ていました。あの子たち、電車・機関車・客車など見ても面白かったかなあ。
展示されている車両はみんな引退したものばかりで、あの子たちがどんなに動いている姿を想像できたとしても、実物が動いているのは見られないなんて、それが博物館というものの常識ではあるけれど、古いパッとしないものばかり見せられたという印象でなければいいなあ。実はみんな輝いていて、私なぞは、それはもう胸をときめかせて見上げ、ごくたまにしか乗れない、憧れの電車ばかりだったんですけど……。
小さな子どもたちと、くたびれたオッサンの思い入れなんて、比較するのがおかしいね。小さな子どもたちは、そのリュックの中に、新しい希望を持っているはずです。でも、あんまりゲームに洗脳されてほしくないなあ。