今日、19時半ころに帰りました。奥さんは、夏井いつきさんの番組を見ているみたいでした。夕ごはんを作りながら、芸能人たちの俳句を見ていたようです。奥さんは俳句もできるすごい人ですからね。お花だってしちゃいますよ!
ふと気づくと、NHKに変わっていて、「ファミリーヒストリー」という番組になっていました(いつの間にかチャンネルが変わっていた!)。私は、BSの鉄道の方を見たかったのだけれど、彼女の家族話好きは知っているので、そのままNHKにしてあげました。
夏木マリさんのご先祖様をたどるようで、父方の曾祖父は岡山の美作地方の名士だったそうです。そこの次男だった祖父は、東京に出てビジネスで成功し、東京で祖父を知っておられる方たちから取材したインタビューの場面も出てきます。そうした場面を重ねて人物像を描くやり方があるんですね。編集がむずかしいかもしれないけど……。
マリさんは、お祖父さんの活躍する様子をイキイキして見ておられるようでした。祖母は、八丈島出身で、八丈島あたりでは、日本人がやって来る前には、捕鯨やらの米国人やら、いろんな外国にルーツのある人たちがいたそうで、マリさんのお祖母さんもどことなく外国風の顔立ちだったそうです。マリさんはニコニコして、その様子を見ています。
そして、やがて京都に出て、そこで亡くなり、お墓は知恩院にあることが判明し、親戚も京都にいることなどが映し出されます。
さて、今度は、お父さんとお母さんのことで、特にお父さんは、夏木マリさんを陰日向なくサポートし、ずっと応援し続けていたという証言があり、同僚がマリさんのお父さんを語ります。すると、突然マリさんは気持ちがこみ上げてくるようでした。
どうしておばあちゃんの話だとニコニコして、どうしてお父さんの話だとこみあげてきちゃうんでしょう。これは不思議だなと思いました。たぶん、私だって、父の話だと泣き、祖父母の話だと目をキラキラさせて見ているはずです。珍しいし、見ていておもしろいというのもあるでしょう。父の話は、あまりに身につまされるところがあるんですね、きっと。
マリさんのお父さんは57で亡くなってしまうのでした。
親は、いつかは亡くなるものだし、それが順番だし、親はいつも子どものことを気にかけて、子どもの幸せを祈るものなんだと思います。
そして、それを子どもはたいてい面倒くさがり、あまり感謝しないままについウッカリしていることが多い。あとからそうした親の思いにふれると、とても切なくなって、今のウッカリしている自分が情けないやら、どうにもできない気持ちになる。
だから、祖父母のことは、遠い昔話のようで、見聞きしていると冒険譚のようで、ウキウキしてしまうのに、親の話となると、つい子どもとしては、そういう親の姿を気づいていなかったのが悲しくなって、感謝と申し訳ない気持ちがこみあげてきて、つい涙が出てしまう。そういうことがあるのかなと思います。
私は、父に関して言えば、うっかり過ごして、父に何かしてあげるチャンスを失い、父と何かもっと話をすればいいのに、それもしないままに過ごしてしまった。それは、いつでも話すときが来るさ、というわけのわからない自信というのか、サボる気持ちがあったような気がします。
父母の金婚式、2人は50年以上も夫婦としてやってこれたのに、子どもとしてはそれをぜひ祝ってあげればよかったのに、それもうっかり放置してしまった。いつか何かしようと思っているうちに、何もできないままに父を亡くしてしまった。
もう反省しても反省しきれない。とりかえしはききません。
また、母に電話でもしましょう。母は、写真の父しか話し相手がいなくて、このままではまだ若いのにボケてしまいそうです。なんとかしなくちゃ!
思ったときに、何か行動を起こさないといけないです。ことばでモソモソ言うだけではダメだ。言葉はいらない。行動あるのみです!
ふと気づくと、NHKに変わっていて、「ファミリーヒストリー」という番組になっていました(いつの間にかチャンネルが変わっていた!)。私は、BSの鉄道の方を見たかったのだけれど、彼女の家族話好きは知っているので、そのままNHKにしてあげました。
夏木マリさんのご先祖様をたどるようで、父方の曾祖父は岡山の美作地方の名士だったそうです。そこの次男だった祖父は、東京に出てビジネスで成功し、東京で祖父を知っておられる方たちから取材したインタビューの場面も出てきます。そうした場面を重ねて人物像を描くやり方があるんですね。編集がむずかしいかもしれないけど……。
マリさんは、お祖父さんの活躍する様子をイキイキして見ておられるようでした。祖母は、八丈島出身で、八丈島あたりでは、日本人がやって来る前には、捕鯨やらの米国人やら、いろんな外国にルーツのある人たちがいたそうで、マリさんのお祖母さんもどことなく外国風の顔立ちだったそうです。マリさんはニコニコして、その様子を見ています。
そして、やがて京都に出て、そこで亡くなり、お墓は知恩院にあることが判明し、親戚も京都にいることなどが映し出されます。
さて、今度は、お父さんとお母さんのことで、特にお父さんは、夏木マリさんを陰日向なくサポートし、ずっと応援し続けていたという証言があり、同僚がマリさんのお父さんを語ります。すると、突然マリさんは気持ちがこみ上げてくるようでした。
どうしておばあちゃんの話だとニコニコして、どうしてお父さんの話だとこみあげてきちゃうんでしょう。これは不思議だなと思いました。たぶん、私だって、父の話だと泣き、祖父母の話だと目をキラキラさせて見ているはずです。珍しいし、見ていておもしろいというのもあるでしょう。父の話は、あまりに身につまされるところがあるんですね、きっと。
マリさんのお父さんは57で亡くなってしまうのでした。
親は、いつかは亡くなるものだし、それが順番だし、親はいつも子どものことを気にかけて、子どもの幸せを祈るものなんだと思います。
そして、それを子どもはたいてい面倒くさがり、あまり感謝しないままについウッカリしていることが多い。あとからそうした親の思いにふれると、とても切なくなって、今のウッカリしている自分が情けないやら、どうにもできない気持ちになる。
だから、祖父母のことは、遠い昔話のようで、見聞きしていると冒険譚のようで、ウキウキしてしまうのに、親の話となると、つい子どもとしては、そういう親の姿を気づいていなかったのが悲しくなって、感謝と申し訳ない気持ちがこみあげてきて、つい涙が出てしまう。そういうことがあるのかなと思います。
私は、父に関して言えば、うっかり過ごして、父に何かしてあげるチャンスを失い、父と何かもっと話をすればいいのに、それもしないままに過ごしてしまった。それは、いつでも話すときが来るさ、というわけのわからない自信というのか、サボる気持ちがあったような気がします。
父母の金婚式、2人は50年以上も夫婦としてやってこれたのに、子どもとしてはそれをぜひ祝ってあげればよかったのに、それもうっかり放置してしまった。いつか何かしようと思っているうちに、何もできないままに父を亡くしてしまった。
もう反省しても反省しきれない。とりかえしはききません。
また、母に電話でもしましょう。母は、写真の父しか話し相手がいなくて、このままではまだ若いのにボケてしまいそうです。なんとかしなくちゃ!
思ったときに、何か行動を起こさないといけないです。ことばでモソモソ言うだけではダメだ。言葉はいらない。行動あるのみです!