心象スケツチ 春と修羅(大正十一、二年)
序
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
どうして「春と修羅」の序なのか? それはテレビで見て、なかなかおもしろいと思ったので、貼り付けてみました。
この四行だけでは、まだ分からないけど、「わたくし」は、青い光を出している生命体らしいのです。そして、ただの人間というのではなくて、それはいろんな魂(幽霊)の複合体なのだ、というのです。おもしろい考え方・言い方だな、とも言えるけど、何だか「わざとらしい」と思う人もいるでしょう。
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
「わたくし」が生命活動を続けるということは、どういうことなのか?
それは、風景と共にあって、いろんな自然や生き物、人々との交感の中で生きていくということでした。だから、ションボリもするし、元気にもなるし、私の持っている光源は灯っているのは確かなんだけど、エネルギーの強弱があるようでした。
命の電気は、いつも同じように流れるというわけではないようです。確かに、そうかもしれない。この命の光は、心のあたりで灯っているようです。
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
「春と修羅」という詩集は、農学校の教師の時代の二年くらいに書かれたものなんだそうです。だから、「二十二箇月」の間に書かれたものである、というのを説明している。パソコンはないから、紙とインクで書いたものらしい。
そして、生きるということは、光の当たる部分と、光の当たらないところとを行ったり来たり、ずっと暗い所を歩く人もいるし、光の当たるところだけを選んで歩こうとする人もいる。
賢治さんは、わざとらしいことはしないから、なるべくウソはつかないで、人のためになることを考え、特に農業で損ばかりしている人たちを助けるため、自分にできることを探した。また、とても熱心に宗教というものを考え、祈ることも生活の中の大きな部分を占めさせていました。
そうした賢治さんの人生における心のスケッチとは、何が書かれているんでしょう?
これらについて人や銀河や修羅や海胆(うに)は
宇宙塵(うちゅうじん)をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟(ひっきょう)こゝろのひとつの風物です
突然話が変わった感じですけど、すべてのものたちが、いろんなものを吸収して生きているという確認をしています。そうした生命全体の流れの中に、「わたくし」がいて、すべてのものたちと同じように、外のものを取り入れ、自らの生命を維持している、その大きな流れを述べています。そして、あまりに大きくて、それをとらえるためには、実はとても小さな自分の心を使ってやっていくしかないのです。
あまりに大きなものをつかまえるための、あまりに小さな心、これだけが唯一のたよりなのでした。
つい人間様は、「オレの生きざまは……」「私の人生観は……」と、つい「私」というものが前面に出るけど、そんなのはちっぽけなもので、それにこだわってては、生命なんて見えない。淡々と心に映る風景を感じたいと宣言するのです。
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
大きな自然の流れ・時間の流れの中で見てみたら、それらをスケッチなのだと割り切ってみたら、それは、悲しいこと、辛いこと、虚しいこと、嫌なことなど、あまりいいものはないのかもしれないのです。
でも、だからといって否定しても仕方ないし、それは流れの中にあった「わたくし」の心の中に見える風景だったのです。そこに感情はありましたけど、泣いたり、わめいたりしたかもしれないけど、それらをありのまま受け入れる心になりたい。
ニュートラルな心で、いろんなことを受け入れてみたら、「わたくし」個人が見えた風景だったはずだけど、それは実は、みんなも同じように感じてもらえる風景ではないのか、そう思えたのです。
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈(はず)のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
賢治さんは、現代に生きて、人と自然と時間と生き物の流れの中で、心でとらえた風景をことばで真面目にスケッチしようとしたのだ、というのです。
賢治さんがスケッチに取り組んだ期間は二年足らずです。でも、その中で戦い(それが「修羅」なのかもしれない)、短いような、永遠のような時間の中で、家族の辛いことも乗り越え、何か、見えたものを書こうとした、それはみんな同じように感ずるものではないのか、というのです。
そうかもしれない。でも、簡単には分からないし、簡単に「うん、わかる、わかる」なんて言って欲しくもない。
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
私たちは、いろんな物事を総合しながら生きていて、私たちにとって「情報・知識」って、すごく大事なものである、という認識があります。知恵があってこそ人間なのです。
でも、それらって、永遠のものではなくて、とても移ろいやすいものである、というのも私たちは感じている。
昨日の真実が、今日のデタラメになることなんて、しょっちゅうなのです。
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日
時代が過ぎて行けば、今ある大地は大きな変動を受けて、全く違ったものに変わっていく。
私たちは、自分の短いスケールでしか世界を計ることはできないから、何千年、何万年過ぎようとも、同じように人間たちの世界が続いて、自分たちの世界の延長のものがそこにあって欲しいと思うけれど、大きな時間の流れからすると、私たちがいる世界というのは、とても変わりやすいものであるらしい。
大地は動き、海が山に変わっていく。大陸が水没し、南の果てにあったものが、北の海に沈むとか、そういうことはごく当たり前に起こることなのかもしれない。
私たちは生きるため、家族のため、人間文明の発展のため、民族全体のためと、いろんな理由をつけて、いろんなことをしていくでしょう。もちろん、時には個人の利益のために、ウソをついて、たくさんの人々をだまして、個人的な利益を追求する人だっていることでしょう(そういう人ばかりがニュースに出ているかもしれない)。
大きな時間の流れの中で、いろんなものは流されていく。「わたくし」は、その流れを見つめようと、自らの心の中のいろんな葛藤たちと悪戦苦闘して、見えてくるものを探した二年間があった。
それを、心のスケッチとして提出したいし、「わたくし」が見たものを改めてみてみたいと思う。
そんなふうに賢治さんが言っている気がしたのです。