短すぎる北国の(自営業の)夏
8月1日。あああ~気持ちよく眠れた。暑さがひと息ついたのもひとつだけど、何よりもきのう出かける間際に配達されたテンピュールのマットレスパッドの功績。かかとが触れていてもそんな感じがなくて、おかげで痛みで目を覚まさずにすんだ。たった3センチかそこいらのパッドでこれなら、うん、マットレスをそっくり取り替えたら、赤ちゃんみたいにすやすやだろうな。ときどき頚椎の古傷が痛むから、テンピュールの枕も買っちゃおうかなあ。年をとるにつれて寝心地のいいベッドは何ものにも代えがたいもんね。とうに買い替え時を過ぎているマットレスを買い替えるときは、メモリーフォームにするだろうな・・・
今日から8月。まだ暑い方ではあるけど、30度までは上がらない予報。うん、猛暑日はもう十分に満喫?したからいいよ。8月といえば、月半ばには恒例の「PNE」が始まり、それと共にジンクスの雨が降り始める。やっぱり北国の夏は短い方がいい。夜空の花火みたいなもので、暑ければ暑いほど短い方が美しいのだ。北国の生まれ育ちだからそう感じるのかもしれないけど、見ようによっては、短い桜の季節を美しいと感じるのと同じ日本的な美感なのかな。バンクーバーの桜の季節は2ヵ月くらい続くから、「あら、まだ咲いてるの?」って感じだけど、10月ともなれば来日も来る日も雨がしとしとの「暗い冬」が半年以上続くから、ぱっと来てぱっと去る夏への思い入れが強くなってあたりまえかも。
きのうは7月分の月末処理で請求書をまとめ書きして、仕事ログを見たら、去年の10月末の水準まで行っている。てことは、今年はあと2ヵ月だけ仕事をして店じまいしてもいいか・・・なんて言ってみたいけど、円とアメリカドルとカナダドルの三つ巴の為替相場に左右されるから売上の金額で比べてもしょうがない。出来高(語数)で見れば去年の8月末の水準で、つまるところは単価の高い仕事が多かったということで、ビジネスとしては効率アップ。だけど、だけど、やっぱり、まとまった夏休み(秋休みでもいいけど)がほしいよなあ・・・
オフィスのカレンダーをめくったら、あらまあ、猛暑ボケしているうちに、いつの間にか7件も仕事が入っている。おまけに納期が同じ日なんてのが3つもある(しかも2つは明日の午後!)。し~らないよ、もう。し~らないから。短い北国の夏がさらに、さらに短くなってしまうじゃないの。家におこもりなら、まるで線香花火の夏。考えたら、まだぜ~んぜん夏休みをやってない。暑すぎるのは別としても、休みを取ってない。ふ~ん、日本のお盆休みっていつなんだろうなあ。ご先祖たちの霊も帰省して極楽も空っぽになるらしいから、ワタシも便乗して「休暇」としゃれこむとか・・・
人見知りオーラ
8月2日。どっかり座っていた内陸の超高気圧も息切れしてきたのか、どうやら平年並みに近いところまで気温が下がってきた。午後4時で24度。これならいたって快適。これだけ「暑い、暑い」を聞かされたら、外に出なくても「暑さバテ」みたいな気分になってくるものらしい。木曜日には待望の雨の予報。ああ、やれやれ・・・。
なんとか庭仕事のできる気温になったので、カレシは買い物の予定を変更して、ワタシが日本みやげに買ってきた唐草模様の被り物をして、庭へ出て行った。きゅうりは相変わらずで、今度はトマトの収穫期。だけど、今日の収穫のニュースはこれ。[写真]。春にバジリコだと思って種を蒔いたら、どうしてもハーブには見えない大きな葉っぱがにょきにょき育って、「すわ、カリフラワーだったのか」と期待感いっぱい。でも、いくら茂った葉の中をのぞいてもカリフラワーは兆しさえない。何なんだろうなあと思案しているうちに、茎の葉の付け根に小さなたんこぶがぽつぽつ。あはは、バジリコのつもりでカリフラワーを植えたと思ったら実は芽キャベツだったのか。大豊作、し~らない。ま、正真正銘のバジリコの方も大豊作だから、いっか・・・。
いつものように悩み多い小町のタイトルを見ていたら、『欧米ではって・・・(苦笑)』というのがある。たしかにこの「欧米では~」が翻訳原稿に登場すると(すんなり英語にならないので)「やめて~」と思う。でも、なんか皮肉っぽいタイトルだなあと思ってトピックを開いてみたら、職場で何かにつけて「欧米では」とやるオヤジにうんざり、というもの。書き込みが100本以上ついて、ああだこうだとけっこうにぎわっている。ま、トロントの人間が「トロントでは」とやるとバンクーバーっ子は「うぜぇ」となるから、そういう人間の感情はどこの誰でも同じようなものかな。こういう攻撃は何らかのコンプレックスの裏返しなんだろうけど、でも、トピックへの書き込みをざっと読んだだけで、「日本の人には何も言えないなあ」という気持になる。そう感じるのは他のトピックでもしょっちゅうなんだけど、何も言えないと感じるのは、表面的には発言に対する反論でも、行間からは「他人」全般に対する嫌悪感のようなオーラが伝わってくるからで、今の日本の人って人間嫌いが多いのかなあと思ってしまう。その気持の理由を説明してくれたような書き込みがあった。
『自分の周りのことにしか興味がないから、欧米はおろかとなりの市の話さえ嫌な人が多いんですよね。最近の日本は不況で守りに入っているのかそういう方が多いですが・・・』
人さまの言動をあれこれとあたかも一般論のように批判するトピックも、結局はトピックを立てた人が「例」として挙げた人個人が嫌いなんだろうとしか思えないことが多い。思い切り極端に勘ぐるなら、その「人」に消えていなくなって欲しいと思っているんだろう。精神的に閉塞してしまうと、自分の感情にしか関心が届かなくて、その自分とは違う周りの人間は不快な存在としか思えなくなってしまうのかもしれない。だけど、自分はいい子でいたいから、面と向かって攻撃しないで、その人の行動を「常識外れだ」として排除しようとするのかもしれない。これも「自分を守る」心理の裏返しなのかなあ。人見知りオーラってところかな。攻撃的なうつ病もあるそうだけど・・・
やっぱり社会全体にかなりの閉塞感があるんだろうな。限られたメディアという「節穴」からのぞいているだけではあるけど、ここ数年特に若い人たちの世界がどんどん偏狭になっているように感じていた。遠く離れて、外から見ているからそういう印象が際立つのかもしれないとしても、それを「私はそう感じるのですが」とさえ言えない雰囲気になりつつあるような気がする。匿名掲示板の知らない人たちの書き込みなんだから何も言う必要はないし、友だちには「こう思う」、「そう感じる」と言えないということはない。だとすれば、何も言えないというよりは、どんな風に表現したら通じるのかわからなくなったということかもしれない。ワタシが日本語を忘れたわけではないと思うけど、だったら、いったいどういう風に言えというのか・・・。
ここのところ「日本では~」、「日本の人は~」みたいなことをあまり書かないでいたら、このブログへのアクセス数がぐっと増えるという現象が起きていた。まあ、どうでもいいんだけど、なんとなく何でだろうなあと考えていて、う~ん、なんとなくわかったような、わからないような・・・。
人見知りオーラの正体は
8月3日。そういえば今日は三連休の月曜日。さして意味のない祭日で、まあ、ハッピーマンデイのカナダ版といったところか。炎々と続いた酷暑も和らいで、どうやら少し暑いと感じる程度だけど、相対湿度は47%でまだちょっと高めの感じ。この暑いのに加えて州全体がからからに乾燥しているそうで、そういうときに限って、スタンレーパークで立ち木に火をつけて回っているバカがいるらしい。400ヘクタールもある公園は原始林ではないけど森林地なんだから、燃え広がったら山火事になってしまう。今のところは大事に至らずに消し止められているけど、喫煙さえ禁止されているのに放火もなにも、バカも休み休み・・・いや、永久に休みにして欲しいもんだ。
ウィスラーを通り抜けてさらに行ったところにリルエットというかわいらしい名前の町がある。その昔のゴールドラッシュの拠点だったところだけど、落雷で発生した山火事が4千ヘクタール近くを焼き尽くし、今町から1キロのところまで迫って、2300人の町民に避難命令が出ている。なのにまだ100人くらいが避難を拒否して留まっているとか。その前に避難勧告が出たときは、避難を呼びかける町のラジオで、避難しない人は歯医者の名前を教えて欲しい、遺言状が家にあるならそのコピーを預からせて欲しい、と怖いことを言っていた。歯医者というのはもちろん遺体の身元確認のためで、避難しないなら死ぬ覚悟をしろというわけ。それが命令に変わって、町全体が消失してしまうかもしれない事態なのに、頑固に家を離れようとしない人たちがいる。「いくらホースで水をかけても、
1500度の炎に太刀打ちできるはずがないのに」と、消火作業の指揮官は嘆く・・・。
きのう、「日本の人には何も言えない(どのように表現したら通じるのかわからない)」と感じる、と言ったあと、いつかどこかでこんな気持を抱えていたことがあったような気がしていた。日本にいた頃のことかな。たしかに、政治や経済の話をしては「そんなことをしゃべったら嫁に行けなくなる」とオトナにたしなめられた記憶はある。でも、息苦しさを感じる雰囲気があったとは思えない。「だったらおヨメなんか行かない」とか何とか言いながらのんきに天体望遠鏡をのぞいていたくらいだし。いつかどこかで抱えていた「何も言えない」気持・・・『彼の機嫌を常に気にしないといけないし、波風立てない為には不安や不満があっても言えない状態』。これは「婚約者との生活が楽しくない」というトピックを小町に立てた女性の言葉。そうか、カレシと結婚して10年目くらいから徐々に感じ始めた「息苦しさ」を思い出していたんだ。
どんな風に言ったらわかってもらえるのか。どんな風に言ったら攻撃されずに話を聞いてもらえるのか。あれは自信がもてなくて不安な自分を守りたいカレシの人見知りオーラにまかれて、その気持を先取りすることを何よりも優先させて、「自分」を見失って行った過程だった。こんなことを言ったらキレるから言わないようにしよう。これを聞いたらキレるから聞かせないようにしよう。これを見たらキレるから見せないようにしよう。でも、自分の意志でどうにもならないことまで、聞いてしまったら、見てしまったらどうしようと怯えたことがどれほどあったか。あの精神的重圧はやがて人の心を押し潰してしまう。会社機能のすべてを自分でする個人事業主という形で仕事をしていなければ、あのまま救いようのないところまで潰れてしまったかもしれない。
うん、たぶん、小町に描き出される職場や家庭や世間や社会にあの「重圧」を感じたんだろうな。閉塞感、抑圧感、鬱屈感、屈折感・・・なんと呼んでもいいけど、人見知りオーラがスモッグのように立ち込めていかにも息苦しそうな気配を感じたんだと思う。迷惑!非常識!許せない!ウザい!臭い!うるさい!そんな圧迫的なオーラを触発しないようにと、首を引っ込めて上目使いに、迷惑でしょうか?非常識でしょうか?いいでしょうか?ダメでしょうか?どうしたら、どうしたら・・・とご機嫌うかがい。それじゃあ息苦しい。うつ病にもなる。世の中もいつまでも明けない梅雨のようにどんよりと停滞・・・と、外国の話だからと黙っていればいいものを長い間圧迫されていた反動からか、何も言えないなあと言いながらもついよけいなことを言ってしまうのがワタシ・・・
思うように行かないこともあるさ
8月5日。おお、今日は涼しい。シーラとヴァルが掃除をしてくれている間に、カレシは外でシュレッダのエンジンをかけている。修理に持って行くつもりだったけど、念のためにもう一度ということらしい。おお、一発で轟音。青い煙も出ないし、ガソリン臭くもないし、息切れもしない。なあんだ、故障してないじゃないの。やっぱりオイル切れが原因だったんで、足したオイルがひと晩たって落ち着いて、「故障」はなくなったというところ。
なにしろきのうはガソリンを入れるポンプがうまく動かないことから始まって、シュレッダの排出口のプレートがうまくはまらなくなり、エンストが起き、とうとうエンジンがかからなくなり、しょうがいないからと生垣の刈り込みにかかったらトリマーの調子が悪い。とにかくあれもこれもとうまくいかないことばかりで、イライラ、ぶつぶつ。ワタシは納期を睨みながら仕事をしているというのに、手を貸してくれ。ちょっと見てくれ。あのさぁ・・・。結局、寝てから何度もトイレに起きたり、足の裏がチリチリしたりで、あまりよく眠れなかったらしい。起き抜け一番に「やっぱりストレスになってたんだなあ」と妙に感心したようなことを言っているからおかしい。ま、何をやってもスムーズに行かないってことは誰にでもあることだし、「bad hair day」ということで、ひょいと肩をすくめてしまえばいい。きのうはきのう、今日は今日。あしたはあしたの風が吹くっていうじゃない。(だから、天気予報が当たらないのかも・・・?)
おかげで重いシュレッダをトラックに積み込む必要がなくなったけど、それでもきのうすれ違って「不在通知」が入っていた荷物を引き取りにトラックを出した。荷物の中身はワインを50何本か貯蔵できる組立式の棚。けっこう大きな箱だし、女手では持てない重さがある。これを普通の郵便配達で持って来たけど、塀越しに庭に押し込むにはちょっと重すぎたんだろうな。手が空いたらさっそく組み立てなくちゃならないけど、置き場所になるところにはもう10年以上も古いビール瓶のカートンがいくつも積んである。自家製のビールを作っていた頃に貯め込んだもので、ずんぐりむっくりの茶色の瓶はもう使われていないから、酒屋も引き取ってくれない。この前郊外で原料の供給元を見つけはしたけど、もう自家製ビールを作ることもなさそうということで、ゆうに20ダースはあるビール瓶はぜんぶリサイクル行きとなった。あとは組立係のワタシがいつ休みを取れるか・・・。
今日の仕事はなんだか内容がどよ~んと重い。不可解に思うところが多いけど、なんだか小町の相談を読んでいるような感じだし、ローカルの掲示板でも似たような話があったから、つまりは今どきの日本女性の現実なんだろうな。自分の「いや」という感覚に敏感なのはいいけど、そこに注意が一点集中になってしまうのか、自分の行動にまでは注意が行き届かないらしい。根本的には、受動態の「自分」しかないから隙だらけになるんだけど、それは子供の無防備さと同じじゃないのかなあ。いくら自分を大切にしたいと思っても、その「自分」がわかっていなければ肯定のしようがない。う~ん、自分を大切にすると言うのはかなりのエネルギーを要する「能動的」なことなんだけど、受動態でいることを求められる環境ではもっと莫大なエネルギーが必要かもしれない。それは疲れるよなあ。ストレスもたまるはずだ。ま、気が滅入ってくる前にさっさと片づけて、次、行こ。
秋立ちて、夏、ひと休み?
8月6日。ゲートのチャイムがピンポンと鳴っているような気がしたけど、むにゃむにゃ。そのうちカレシがもそもそ。え、また眠れないの?と思っているうちに、起き出してしまったので、ワタシも半分寝ぼけ眼で起きた。午前10時半。やっぱりまた「不在通知」が入っていた。今度のは果物や野菜の保存容器。ふたを閉めるたびに自動的に空気を排出して、真空状態で長持ちさせると言うもの。明日また引き取りに行ってこよう。まあ、通販の配達予定はこれが最後だからいいけど。
寝ている間からずっとエアコンがいらない涼しさ。起きてみたら17度しかない。まさかもう秋の気配というわけではないだろうけど、日本の暦では「立秋」らしい。季節だって時間の流れなんだけど、あんまり急がないでほしいなあ。加齢族だけじゃなくて、子供たちもきっとそう思ってるだろうな。そろそろ「Back to school sale(新学期セール)」のコマーシャルが流れ始めた。新学年の学用品や、靴、衣料品を買い揃えるときで、クリスマスショッピング並みに大変らしい。ワタシは子供ができなかったから経験がないけど、神様の思し召しと感謝した方がいいかな。
朝食後いの一番にカレシの運転免許証を更新しにでかけた。免許を取ったのが16才のときというから、運転歴は50年!おじいちゃんの車を遺産としてもらったから、16才になってすぐに免許を取ったんだそうで、ひと月も経たないうちにご近所の庭に突っ込んで塀をぶっ壊したとか。自分の落ち度で起こした事故はそれが最初で最後というから大したもの。大学へ行く前に市役所の交通課に勤めていて、交通事故の現場調査に立ち会わされたせいで、事故の怖さが良くわかっているからだそうな。それにしては、せっかちな運転をするよねえ。いつまでも反射神経に頼っているわけにも行かないと思うけどなあ・・・。
昼休みどきだったので、順番待ちの番号をもらって30分待ち。いろんな人が待っているから、ながめているだけでワタシは退屈しない。にこやかな美人(名札によるとリサーチ会社のヴェルヴェットさん)が新しい特殊な免許証についてアンケート。運転免許証にパスポートの情報を収録したチップを埋め込んだもので、普通の免許証より30何ドルだか高い。車でアメリカへ行くのにパスポートを持ち歩かなくてもいいというだけで、国境での処理時間が短縮されるわけではないし、飛行機でのアメリカ行きには使えないから、うちは「けっこうです」。免許証の更新そのものは5分で終了。写真のない黄色い紙の「臨時」の免許証をもらっておしまい。それにしても、4月に免許証を更新したワタシは75ドルも払ったのに、カレシは「シニア」だからって、たったの17ドル!まあ、ワタシだってこの次に更新するときにシニア割引の恩恵にあずかるわけだけど、5年先・・・。
帰ってきて、しんどい仕事をささっと片づけて納品。報告を受けた方がどう対応するかしらないけど、あまりにも突っ込みどころ満載の日本人的な対処なので、どう見ても分が悪い。小町に相談したら「あんたにも下心があったんじゃないの?自己責任!」という書き込みが並ぶかもしれない。ほんとにどうなってるんだろう、今どきの(日本の)女性は。背中をどん!とどやしつけて喝を入れてやりたいところだけど、「内柔外柔」のやわやわで脆い質らしいから、そんなことをしたら潰れてしまうかもしれないな。あくまでも、やさしく、やさしく、かあ・・・。
大規模な山火事がすぐそこまで迫っていたリルエットの町。窮余の策の「向かい火」が成功して、避難していた町民に帰宅許可がでたそうな。向かい火というは火の手の進行先に人工的な山火事を起こして燃料を絶つという、高度な技術が要求される消火方法で、失敗すれば逆に火災の規模を広げてしまう危険な作業。着火装置を下げて飛んで行くヘリコプターの後を一筋の火の帯が追って行く光景は思わず息を呑んでしまう。消火作業の指揮官は、「10点満点のできだ」と満面の笑み。おりしも、オーストラリアとニュージーランドから応援の消防隊が到着したというニュース。そうか、今年2月のヴィクトリア州の大火災のときにカナダの消防隊が応援に行ったっけ。BC州内では山火事による森林の焼失面積が今年はもう7万ヘクタールをゆうに越えている。東京都にたとえるなら、23区を焼き尽くしてまだ燃え広がっている勘定になる。う~ん、早く秋が来てくれたほうがいいのかなあ・・・
ゆとりにもいろいろあって
8月7日。曇り、曇り。雨はまだかなあ。明日あたり、降るかな?まだ降らないかな?
安眠しすぎて、起床は正午過ぎ。イチゴとブルーベリーにシリアルを加えたような朝食をして、きのう不在通知をもらった荷物を取りにでかけた。たいして大きくも重くもないはずだからと、カレシを車に残して、郵便局へ。通知を渡したら、「まだ届いていません」。え?きのうの朝に来て、今日の「午後1時以降」と書いてあるじゃないの。「配達は今日になってますよ」。え?よ~く見たら、あらほんと。日付が「8月7日」になっている。入れて行ったのはきのう6日なんだけど・・・と、ねばっても、そこにないものはない。郵便局といっても、いわゆる街角の「契約郵便局」。カウンターのお兄ちゃんは申し訳なさそうに「今日の夕方には来ると思うんですが」と言うものの、金曜日だから、先だってのクーリアの例もあるし、カナダポストだってあてにはならないよねえ。
手ぶらで帰ってきて、カレシは雨が来る前に刈り込んだ枝葉を処理してしまおうと、シュレッダをフル回転。ニオイヒバとはよく言ったもので、玄関を開けると、轟音と共にうわっとむせるような匂い。ワタシは鼻がむずむずするから家の中に引っ込んで仕事の算段にかかる。仕事メーターは「3」。日本はとっくに週末。余裕があるから(と思って)、まずはのんびりと小町の井戸端会議を冷やかしてみる。
『欧米では~』のタイトルがまだあるのを見つけて、郵便局でのやりとりを思い出した。これがローカルの日本人だったら、「日本ではこんな対応はありえない」とか「日本では責任感を持って仕事をするのに」とかやりそうだなあと思ったら、おかしくなってひとり笑い。いや、実際にローカル掲示板にはそういうのが満載だった。外国に滞在していて「日本では~なのに」とやるような人たちが、日本へ帰ったら「カナダ/欧米では~」とやって日本人のヒンシュクを買っているんじゃないかという気もする。だけど、そういうのは(日本では)明治の文明開化の頃からやっていることなんで、聞くほうは興味がなければ「へえ、そうなんだ~」と流しておけばいいのに、なぜか聞き流せないんだろうなあ、これが。
比べられて「だから~は(NG)」と言う話で「ばかにするな」と思うのはわかるんだけど、単に「りんごはこうだけど、オレンジはこう」と、異質なものを対照しているにすぎないようなことでも、必ずと言っていいほど「見下している」、(外国関連なら)「外国かぶれしている」という苦言がたくさん出て来るから、「聞き流せない」というより「聞き逃せない」人が多いのかもしれないと思えてくる。何かと対照されることを「(優劣を)比べられている」と受け取るから聞き逃せないんだろうけど、やっぱり何らかのコンプレックスの裏返しというか、少なくとも「守りの体勢」のように見える。これも、バブルの絶頂期に始まったらしいゆとり教育とやらで「みんないっしょに並んでゴールイン」と、やさしく、やさしく「内柔外柔」に育てられたのが、社会に出てみたら「並んでゴールイン」なんて真っ赤なウソで、社会は変わっていないどころか、今やなんでもかんでもがランキングゥの「日本型競争社会」だったから・・・かな?
バブル絶頂期に、ワタシがいた職場に門前市をなすがごとく札束を抱えて押し寄せた日本人たちと、とにかく「優しい」人間を育てるという柔軟(やわやわ)教育が共存している構図はワタシには想像できないんだけど、結果的に心に「ゆとり」のない人が増えてしまったように見えるのは、その「ゆとり教育」から根本的に重要なものが欠けていたからだと思う。だから、横に並べた対照も縦にしか見られないらしい人たち、「○○では~」を聞き逃せない人たちは、その教えられなかった「重要なもの」が何なのかを模索しているところのかもしれないな。ゆとりにもいろいろあって・・・
カレシのバースデイ
8月8日。ハッピーバースデイ、カレシ!「誕生日なんてさぁ~」というのがカレシだけど、生まれた日が8月の8日という末広がりみたいな日。あんがい、年をとったら良運が向いてくるよ~という意味の末広がりなのかもしれないよ。今日で66才。バースデイカードには、昔の大ヒットした『ルート66』の歌詞をちょっともじった言葉を添えた。
When you feel you’re vexed and stressed,
Take the highway that is best.
Get your kicks on Route 66.
まだ十代だったワタシが夢中になって見ていたテレビドラマの『ルート66』は、今どき風に言うなら「自分探しの旅」。シカゴに発してロスまでの3755キロ。アメリカの気の遠くなるような「広さ」がまぶしかった・・・。
まずは、久しぶりのマティニで乾杯して・・・
今日のメニュー: アミューズブーシュ(ロコあわびとしめじ)
ほっき貝とスナッパーの潮汁風スープ
イカの唐揚げとししとうの素揚げ
ホタテとキウィのスタック、アスピック、アスパラガス添え
(サラダ-トマト、きゅうり、フェネル)
デザート(ブルーベリー、パイナップル、チョコレートいちご)
ワインはきのうの残りの南アフリカ産ヴィオニエ。2杯目が欲しいときのために冷やしたもう1本はオカナガンのシャセラス/ピノブラン/ピノグリのブレンド。シャセラスはスイスやアルサスで栽培されている品種だそうで、きりっとした清涼な感じの白ワイン。
[写真] ロコあわびは早めに大根といっしょに火にかけて、柔らかくなるまでとろ火で煮た。途中でほっき貝も加えて、出汁の大半をボウルに空けて、水と醤油を足してまた煮る。終わり近くでしめじと枝豆を入れて、食べ際にスライス。
[写真] ロコあわびの出汁をベースにして、塩と醤油で軽く味付けた潮汁風のスープ。ほっき貝をこっちに移して、タイの一種らしいスナッパーのひと口切り身を落としてでき上がり。
[写真] カレシの好物のイカの唐揚げ。醤油と酒と生姜に漬けてを味をつけた。ほんとうはゲソだけ欲しいんだけど、今のところ巷で手に入るのはカットしたイカ。ししとうはそのまま何もせずに油に放り込んで揚げた。
[写真] 今日のメインコースは直径が5センチ以上あるジャンボホタテ。厚さは3センチ以上あるので、3枚にスライスして、ライムジュースとゆず入りの唐辛子に漬けておいた。これをさっと強火で焼いて、スライスしたキウィと交互に重ねてみたら、なかなか合う。
アスピックは涼しげで夏らしい(今日は異常低温だけど)からいい。ロコあわびの出汁で軽く風味を添えたゼラチン液に、きゅうり、パイナップル、エビを入れて固めたものだけど、あら、しっかりと固まってくれなくて、盛り付けたらでれ~ん。水の方が多すぎたのかなあ。おいしかったけど、さいころに切れるくらいに固まらなかったのはちょっと失敗だな。ま、思いつきの行き当たりばったりだから、駄作もあるってことで・・・。
[写真] 今日は久しぶりにデザートまで行こう。盛大に1キロ容器で売っている地物のブルーベリー、ミニパックで売っているパイナップル、カリフォルニアのイチゴ。せっかく誕生日なんだから、カレシが大好きなダークチョコレートを、メインコースとサラダを食べている間に溶かしておいて、イチゴをディップ。これでただの果物もかっこよく「フルーツ」に変身というところ。
マティニが出る前にだいたいの下ごしらえを仕込んでおいて、ゆっくりコースごとに料理しながらのディナー。おかげで終わるころになっても心地よく満腹で、食べ過ぎた感じがしない。おいしいものを食べた後は、気合を入れて仕事にかからないと・・・
国際結婚て、二国同盟のこと?
8月9日。雨が降った。起きた頃にはすでに止んでいたけど、道路はまだ濡れていたし、緑も汚れを落としてきれいさっぱり。季節外れに涼しいことには変わりはないけど、雨上がりの空気はやっぱりいい。週明けの火曜日までは雨の予報。予想最高気温は20度以下で平年より5度も低い。7月の終わりに観測史上最高気温を記録して大騒ぎしていたのに、最高気温があのときの最低気温よりも低いんだから、なんだか騙された気分。喜んでいるのはずっと回りっぱなしだったエアコンだけ?
水曜日に納期が来る仕事2件。Wordのファイルは順調に行ったけど、Excelのファイルを開けてみたら、やだ!表でもなんでもなくて立派な「文書」。それをシート数枚に分けて、おまけに文の途中でいちいち「行」を変えてある。ま、それでも「改行」には違いないんだろうけど、なんでWordでやらないのかなあ、もう。よけいな手間がかかるってのにぃ~。まあ、こういう「400字詰め原稿用紙」型の思考は今に始まったことじゃないけど。どっちみちWordに落としての作業だしセルサイズの再調整が必要になるから、Excelファイルは見出しだけを英語にして、「後はそちらでコピーしてくださいね」とWordファイルを送っちゃおう。この仕事が片付けば「仕事メーター」は1にダウン。おりしも日本はお盆休み。そのままうまく行けば・・・?う~ん、胸算用の通りにいくかどうかは神様ならぬお客さましだい、か。
と、グチっぽく始まった日曜日。空は雲がだんだんに薄くなって、切れ目ができて、ちょっと水っぽい青空がのぞいてきた。仕事の算段が終わったところで、小町の井戸端を通りすがる。今日は国際結婚のトピックが多い。ワタシにも状況が理解しやすいテーマということもあって、この手のトピックはつい読んでしまうけど、『国際結婚の難しさとは?』という問いかけは、それ自体がおもしろい。今年国際結婚したばかりで「破綻する理由とはどんなことが多いのでしょうか」と言う件には「おいおい」と思ったけど、「相手が外国人だからというよりも、日本人同士と同じような理由ではないか」と言うあたりはなかなかの洞察。カレシとの35年を振り返れば、ワタシもそう思うもの。
問いに対する応答もいろいろでおもしろい。「日本人同士でも難しいんだから、国が違えばもっと難しいだろう」と言う人がいれば、「相手が外国人とはまったく意識しい」という主に対して、食の好みの違いから自分の夫を「この人はやっぱり外国人」と思うという人がいる。(日本人同士だって食の好みは違うと思うんだけど。)別の人は「国際結婚を意識しすぎる」ことを挙げていたけど、生涯の伴侶をいつまでも「外国人」と思っていたら、夫婦の間に「国境線」を引いたままのようなものじゃないのかな。だったら、毎日の意志の疎通、意見のすりあわせは二国間交渉のようなもので、それじゃあ国際紛争も起こるし、戦争も起こるだろうなあ。(ま、少なくともEUみたいな関係には発展するかもしれないけど。)でもねえ、夫の国に住んでいて、その夫を「外国人」として見ている、というのはなんだかヘンだなあと感じるんだけど・・・。
文化の違いは大きな障害という人もいれば、「文化の壁」は問題を転嫁する言い訳だという人もいる。(日本国内だって文化の壁はあるけど。ワタシは初めて関西に行ってカルチャーショックを感じたもの。)言葉の壁が大きな障害だという人もいるけど、恋愛中は「愛し合っていれば言葉なんか必要ない」とのたまう人は多い。結婚に到達できるだけの「言葉」はあったんだろうけど、察してもらうことがあたりまえという人が言うべきことも言わなかったら、いつまでたっても言葉の「壁」は低くならないかもしれない。人間は必要になれば下手くそでも変でもとにかく「言ってみる」と思う。それをしないなら、(相手の)言葉の壁じゃなくて、(自分の)文化の壁の問題ってことにならないのかなあ。(まあ、そういうアングルは誰も考えないようだけど・・・。)
じゃあ、国際結婚はほんとうに難しいのか。ちっとも難しくないと思う。相手が外国人だから「国際結婚」といういかにも特別そうな名前がつくだけのことで、結婚は相手さえいればできる。難しいのはその先の人生をどうするかだろう。考えたら、「外国人」はカレシの国に来たワタシの方だったんだけど、カナダの水が肌にしっくり合って、違和感がほとんどなかったもので、そんな風に考えたこともない。カレシと会ったときに「この人!」と感じたのと同じに、カナダに来て「ここ!」と感じたんだろうな。それにしても、この「国際結婚」という表現、なんとかならないのかなあ・・・
雨の日の、午後の目線は・・・
8月10日。ゴミ収集車の轟音で目が覚めて、ガーデナーの芝刈り機の轟音で起きだしたら雨が降っていた。こんなに本気で降っているのを見るのは久しぶりだけど、ジェリーはその雨の中で歩道の芝生を刈っていた。(市の歩道沿いの芝生だけど、めんどうを見るのは家の持ち主の責任・・・。)それにしても、寒い!ポーチの温度計は正午で12度。平年より10度も低い。先々週は平年より10度も高かったのに、なんてこった。「マザーネイチャーは更年期かも」とカレシはにたり。おいこら、女をばかにしたらあかんよ。特にマザーネイチャーはコワイんだから。でもまあ、ワタシも更年期だったときは熱くなったり寒くなったりだったけどね。あれって、サーモスタットが壊れたようなものだったのかな。(雨もずいぶん降ったし・・・これは、言葉のあや。)
まずは荷物を引き取りに郵便局へ。ふたを閉めるたびに自動的に空気を抜いて、果物などを真空状態で3倍くらい長く保存できるというもの。バナナとキウィを入れてふたを閉めたら、ガガ~っと空気抜き。それから、酒屋、青果屋、スーパーと巡回するのに、トートバッグを4つ持って再度おでかけ。酒屋の駐車場はがら空き。カレシ、「ひょっとして休みじゃないのか」と。まさか。今日は月曜日だからでしょ。月曜日の日の高いうちから酒屋の駐車場がいっぱいになったら世も末じゃないの(と、「この人、大丈夫?」という目線でカレシを見る)。カートンいっぱいのワインの空き瓶を返して、改めて2本。ついでに切らしていたカルヴァドス。カレシは「トラン先生がいいと言ったから」とギネスを半ダースといっしょにアーガイル模様のトートバッグに。
モールの外側にある青果屋へ。雨が降っているからもう少し近いところに車を止めればいいのに、先まで行ってなかったら困るからと、反対側。あの~、月曜日の午後なんだけど・・・(と、「この人、何を考えてんの~」という目線でカレシを見るワタシ)。ま、いっか。店までせいぜい50メートルくらいだし、「雨降りじゃあ、濡れて行こう」と粋に構えるのがバンクーバーっ子だもんね。ひと山の野菜、果物は一番大きなトートバッグに。地物のトウモロコシを試しに1本だけ買ったけど、まだ実の入りはあまり良くないような。ブルーベリーはまだ盛大に並んでいたけど、まだ前回のを食べきっていないから、今日はパス。緑、赤、黄色、オレンジのピーマンの他に濃い紫のと白っぽいのがある。次はブルーだったりして・・・?
最後の「寄港地」のスーパーは建物の反対側なのもので、そっちの駐車場へ車を移動。「雨だから」と、カレシ。「あっ、そう」と、ワタシ。「ひまわりの種、買ってね」とカレシ(と、「あ~あ、やれやれ」という目線で見上げるワタシ・・・)。量り売りのひまわりの種は、レバーを引いて出口の下に当てたビニール袋に欲しいだけ出して、商品番号を書き込んだツイストタイで口を閉めるだけの簡単なしくみなんだけど、いくら説明してもカレシはこのしかけをマスターできないらしいから不思議。こ~んなに簡単なのにぃ・・・と考えていたら、ありゃ、ずいぶん大量に出してしまった。ワタシの買い物リストは真夜中のランチの食材で、二人して気に入っているのが野菜バーガー。大豆タンパクをベースに赤ピーマンやにんじん、じゃがいもを混ぜたもので、肉の代用品と謳っていないから、野菜の味がそのままで、すっかりはまってしまった。他にいろいろ買い込んで、2つのトートバッグがいっぱい。
買い物を終えてモールの駐車場から出るのに、前になかなか道路へ出ようとしない車。「運転のしかたを見たら、頭の中身とか性格がわかっちゃうよなあ」と、カレシ。「ほんとにそうだねえ」と、しげしげとした目線でカレシを見るワタシ。雨、止みそうな気配・・・。
2分間の名声を求めて
8月11日。きのうはずいぶん雨が降ったらしいけど、今日はまた晴れ。広がった青空の色、ちょっと見にはなんとなく秋の色のような印象もないではない。でも、まだ夏が終わるのは早すぎるよなあ。壊れたなんとかみたいにしつこく言ってるけど、ワタシはまだ夏休みをしていないんだもん。
日本のお盆休みと言うのがだいたいいつからいつまでのことをいうのかわからないけど、台風に地震と、それこそ地獄の釜のふたがパッカリと開いたような災難。いつもながら感心する「何十キロ渋滞」というのも、真夏ということを考えたら灼熱地獄みたいなものかもしれないな。ワタシはなぜか子供の頃の「お盆」を思い出せない。お寺がずらりと並んでいるところに住んでいたんだけどなあ。うちに仏壇があったかどうかも覚えていない。父方の祖父の小さい写真に見覚えがあるし、小さな高杯のようなものに盛られたご飯にも見覚えがあるから、仏壇もあったのかもしれない。まあ、我が家は「帰省」とは無縁だったし、盆踊りはあったと思うけど、釧路の夏の夜は霧がかかって寒すぎたし、きっと子供心には印象に残らなかったんだろうな。
先週だったか、ユーチューブで3人の男が湖の鴨をライフルで狙い撃ちしてはげらげら笑っているビデオが見つかって、大騒ぎになった。動物保護協会などから「逮捕」の協力者に賞金が出されて、捕まってみたらサスカチュワン州の実の兄弟2人と義理の兄弟の3人組。禁猟期で当然無許可の狩猟ということで、即刻有罪。ライフルを没収された上でそれぞれ数千ドルという高い罰金を言い渡された。まあ、全国の話題になったもんだから、当然マスコミが田舎の裁判所に押しかけたけど、見たところ20代かな。図体から見る限りはオトナには違いないんだろうけど、やっぱりみんないかにもバカっぽそうな顔をして歩いていた。
その前はケベック州で、父親が7歳の息子にミニバンを運転させて、横からビデオを取ったのを、やはりユーチューブに投稿していたのが見つかった。田舎道で他に車はいなかったそうだけど、父親が「いいぞ、いいぞ、その調子だ」と、けしかけるようなことを言っていた。後の席には母親と幼い子供たちが乗っていて、全員シートベルトなし。警察が道路交通法違反で父親を逮捕することを検討しているという話に発展して、全国からヒンシュクを買った父親はかなり反省していたようだけど、っとにもう、いったい何を考えていたやら。
まあ、いい年をしてバカなことをする人間は老若男女、世界のどこにでもいるけど、自分のバカさ加減を喜々としてビデオに撮って(もらって)、おまけにユーチューブなんかに喜々として投稿して、「オレってこんなにもおバカ。すげえだろ~」と世界中にお披露目しちゃうなんて、いったいどういう神経なんだろうな。まあ、インターネットの普及と並行して、現実空間と仮想空間の区別がつかない人たちが増えたのは確かだろうし、「現実空間の自分は仮の姿で、仮想空間の自分が本当の自分」なんて、SFじみた人もずいぶんといるらしいから、自分のバカっぷりに自己陶酔するってのは単なるアホなんだろうけど、何百万年も、何十万年もかけて「進歩」してきた人類が、ここに来て今度はナノ秒のスピードで「退化」・・・なんてことになったら、この地球はどうなっちゃうの?なんか人類の未来に暗雲が立ち込めてきたような気がするんだけど、それって杞憂だよね、杞憂?
雑念、雑感、雑考
8月12日。また、いい天気だ。この調子なら、夜になったらペルセウス流星群が見られるかなあ。まあ、ふっと見上げたときにすぅ~っと空を流れる星は趣があっていいし、願いごとをするチャンスもあるけど、流星群になって、あっちへすぅ~、こっちへすぃ~とわんさか流れてくると、どれに願いごとをしていいやら。数撃ちゃ当たるってわけにいかないだろうし、欲張ると何もお願いしないうちにみんな消えてしまいそうだし。お願いをしすぎるのも、なんかロマンがないなと言う感じがするし・・・
そんなことよりも、午後が納期の仕事が2つ。発注元は同じなんだけど、英語訳の他に、なぜか「ついでに」と日本語訳の仕事も送ってきた。英語訳の方はああだこうだとわめいていたExcelのファイル。結局、ワタシは「DTP」はやりませんてことで、Wordのファイルで送っておしまい。でもなあ、表計算ソフトであるExcelをワープロソフトが代わりに使うのはやめてほしい。使ってもいいんだけど、契約とかマニュアルの文書はExcelの得意技じゃないってことをわかってほしい。Excelが得意技の人は、ひょっとしたらそれしか使えないとか・・・?
久しぶりの日本語訳は、shall、shall、shallと出てくる、見たところ何の変哲もない契約書。翻訳デビューしたての頃はうんざりするほどやったから、これもシャラ、シャラ、シャラと滑るがごとく、簡単、簡単・・・と、思ったら、あれ、な~んかヘン。まあ、作成元がアジアの某国の弁護士事務所らしいから、現地語が混じっていなければ、ヘンな表現があっても強引に読み進めるのに、これはどうしたことだろうと、よく見たら、コンマがあるべきところにない。コンマが品不足だったのかどうか、まるで将棋倒しの文章を読むみたいな気分。このコンマってのは、うっかり見落としそうな豆ポッチだけど、あるべきところになかったり、よけいなところにあったりしたばかりに戦争が起きかねないくらい重要なものなんだから、もっと尊重してやってよね。それにしても、近頃の日本語訳はひと昔のワタシの頃よりもっと難しいかもしれない。だって、英語だからといって、非英語圏のどこの国の誰が書いたものかわからないし、生粋の英語人でさえ、日本の「ら抜き」、「さ入れ」と同じく近頃は怪しげだから、すごい推理力が要求されそう・・・
というわけで、午後いっぱい自分のしっぽを追いかける犬みたいにきりきり舞い。くたびれるなあ。ここのところ、なぜか血圧が下がり気味。きのうもけさも上が100以下、下も70以下。血圧って、ストレスになると上がるんじゃなかったのかなあ。ワタシはあまのじゃくだってことは重々自覚しているけど、仕事でカリカリ、きりきり、イライラしているのに、どうして血圧が下がっちゃうんだろう。そのせいでよけいにカリカリするのかなあ。今夜はストレス解消に寝酒でもあおるか・・・。
テレビのニュースを見ていたら、オンタリオ州のブランプトンというところで、女性と子供2人が落雷で大怪我をしたと報じていた。なんでも、青空がのぞく穏やかな午後の公園で、何の前触れもなくドカンという音と共に火花が散って、3人が倒れたという。「青天の霹靂」という言葉はたとえ話だと思っていたけど、ほんとうにあることなんだ。窓際に立って雷雨を眺めていた人にガラス越しに落雷したという話も聞いたことがあるし、雷は侮れない。ん?明日はこっちでも雷雨発生の可能性があると言ってる・・・どうしよう?
仕事メーターは「2」。どっちも納期が週明けで、どっちもそれまでは仕事を送って来ない(はず)。ちょっとひと息入れて、明日はワイン棚を組み立てよう。TIME誌に「エクササイズの神話」とかいう記事があった。ある研究で、減量のための激しい運動をすると逆に体重が増えるという結果が出たんだそうな。たしかに運動すれば筋肉が増える。筋肉は脂肪より重いから、最初のうちは体重は増えるだろうな。実際に、ワタシも体重が増えて、服のサイズが下がったし。先に勝手に納得して記事を読んでびっくり。フィットネスジムなどで激しい運動をすると、これだけやったんだから、よけいに食べてもいい、という「自分にご褒美」的な心理になって、つい食べ過ぎてしまうとか。それもありだろうな。減量にはいつもまめに(掃除をしたり、庭仕事をしたり、歩いたり)体を動かすのが一番効果的なんだそうな。つまりは日常の家事やレクリエーションか。トレッドミルで過激にやるよりは楽そうなのに、やらない人が多いみたいなのはどうしてかなあ・・・。
足らぬ足らぬは何が足らぬ
8月13日。朝方、ふっと目が覚めたら、みごとな雷雨。このゴロゴロで目が覚めたらしい。ざざぁ~っとかなりの勢いで雨が降っている。(おかげで気温も上がらない・・・。)ベッドルームで安眠用に「雨」の音を奏でる?サウンドマシーンは、ぽしょぽしょ、ちゃぷちゃぷ。屋根の上の雨はざぶざぶ、バタバタ。午前9時半。ワタシは内と外の雨の二重奏を聴きながらまた眠りについて、起きたのは正午すぎ。本当に雷雨だったのかなあというくらい、拍子抜けの青空。
腹ごしらえをして、ワイン棚の組み立てにかかる。アメリカの通販で見つけたものだけど、箱には「スウェーデン製」と書いてある。開けてみたら、ほわ~んと松材の香り。穴の開いた支柱4本、桟を取り付けてある棚6枚、天板1枚、底から振り出した箱にはスチールの棒14本とTナット28個、ナットドライバ2本。そしてぺらっと1枚の組立て説明書。中国製の靴箱のときは何語だかわからない説明で四苦八苦したから、まずじっくりと読んでみる。(英語圏で売るなら、説明書くらいはまっとうな英語で書いてほしい。それがだめなら、せめてイラストと説明内容と一致させて欲しい。でないと、そのうちPL法で訴えられるかも・・・。)
説明書はごく普通の英語なので、安心して組み立てにかかる。スウェーデンの組立家具は、初めからしろうとが簡単な道具だけで組み立てることを前提にデザインされているらしいから、手順が理解できれば作業は楽々。部品の種類と数の多さからIKEAとして最も複雑なデザインだと言っていた大きなテレビキャビネットも、2日がかりではあったけど、組立てそのものはワタシの女手ひとつで楽々。ワイン棚も大汗をかいたけど、1時間かからずに完了。玄関下の納戸のがらくたを片づけて、コンクリートの床をざっと掃除して、ワイン棚を置くまでの作業の方が時間がかかった。なにしろ天井まで140センチしかないから、おちびのワタシでさえ腰を屈めての作業で、また大汗。それでも、組立作業にかかってから約1時間半で我が家の「ワインセラー」が完成・・・[写真]
上においてあるのが結婚祝いにもらってずっと使っていたワインラック。合わせると63本のワインを貯蔵できる勘定になる。2日に1本の割で飲むと、たった4ヵ月分・・・。横の金庫の上にあるのはワタシ自慢の1948年産アルマニャック。65才になったら引退祝いに開けるつもりで後生大事に寝かせてある。アルマニャックと言えば、月曜日に酒屋で1910年産のを見つけた。二十世紀の世界大戦の戦火を二度もくぐり抜けてきた百年のヴィンテージの値段は2550ドル。ああ、せめてグラスから立ち上る芳醇な香りだけでも・・・。
そんなことより、ポーチに積み上げてあるがらくたを早急に何とかしないと、玄関先までがゴミ屋敷のようになってしまう。まあ、家の中はとっくにそれに近い状態になっているけど、カレシの「男手」を動かすためにはひと工夫もふた工夫も、いや何工夫もいるのだ。そういえば、太平洋戦争中に、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という標語ポスターがあちこちに張られていたのが、誰かが「工」の一字を消したそうな。「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」・・・今どきの人たちにはダサい昔話かもしれないけど、なんだか形を変えて生きているような感じもする。それはさておき、我が家はと見ると、ふむ、「夫」の方はまあ不足はないけど、「工」の方がどうも・・・
極楽とんぼは本人です
8月14日。今日は少しのんびり。といっても、日曜日の午後が期限で2日くらいかかりそうな仕事があるから、あんまりだらけているわけにも行かない。そうは行かないんだけど、やっぱりだらけ気味なのはどういうことだろうな。このところ血圧がなんか低いのと関係あるのかなあ・・・と言ったら、カレシ曰く、「毎日測るから気になるんだよ」。(自動翻訳:「オレは測らないから気にならない」。)
なるほど、そういわれると一理がないでもないな。カレシのために買った血圧計なのに(グッドアイデアと言ったくせに)、当のカレシは「よけい血圧が上がるから」と言って、頑として使おうとしない。それで、せっかくだからというわけではないけど、ワタシがずっと毎日まじめに測っている。あれ、これって、子供がもういらないというお菓子をもったいないと言って食べているママみたいな感じもするんだけど・・・。
月曜日からいよいよ新しい地下鉄が開通するんだって。最初は11月と言っていたのが、10月になり、9月の三連休になり、いつのまにか8月17日。まあ、オリンピックまで後半年だし、予定が遅れるよりは良いことに決まってるけど。当日は「開通記念」で運賃がただになるらしい。ただし、午後の何時間かだけらしいのはケチな話だなあ。だけど、この新路線も「改札口」がないから、特別に無料なんて言っても意味がないかも。86年万博で作ったスカイトレインの伝統?なのか、無賃乗車が横行していたのに、今回も初めから計画させなかったというから呆れる。ま、落ち着いたらそのうち(切符を買って)乗ってみるか。
サイモンフレーザー大学が、剽窃・盗作を防止するために「FD(不正により落第)」という評価を導入することにしたとか。ネットでググれば何でもある時代だから、そういう横着も横行していて不思議はない。あらゆる科目のレポートや論文を載せて、コピーして使えるようにしているサイトもあるし、お金を払えば代筆してくれるところもある。そういうのを見つけたら評価は「FD」。しかも卒業後2年間は成績表に明記されるそうだから、大学院への進学や就職に差し支えるだろうな。カレシに、就職するのに成績表も要求されるって知らなかったと言ったら、「封をしたまま出せというところもある」という返事。へえ、そうなんだ。まあ、高卒のワタシの就活範囲は人材会社でタイピングのテストする程度のレベル。でも、あれはその場でやるからごまかせなかったけど。
高卒と言えば、小町に、「かなりのレベルの大学を出て、人も知る大手企業で働いていた」人が、優秀な人の後任として採用されたのはいいけど、その「優秀な人」は高卒で、この先高卒の前任と比べられて働くのに耐えられそうにないからやめたいという人がいて、えらい剣幕で「普通、高卒者に「優秀」という言葉を使いますか?出来る人だなんて、口が裂けても言わないと思います」な どと言ったもので火だるまになっている。高卒より「優秀」な高学歴なんだから、その人がやってた仕事なんかへのかっぱだろうに、人間はおもしろい。ワタシも大学卒であることが「あたりまえ」になっている業界にいるもので、「大学はどちら?」とよく聞かれる。「あ、大学行ったことないです」と答えたときの反応がけっこうおもしろい。ほんとは「大学卒でTOEIC900点以上」でなければできないって職業でもないんだけど。(ワタシはTOEICもTOEFLもIELTSも受けたことがないので、自分の「英語」のレベルは皆目わかりませ~ん。)それにしても、なんだかんだと「優劣」にこだわる人、やっぱり多いのかなあ。だから詐称だの偽装だのが横行するのかもしれないな。
小町にもうひとつ、すごいトピックがあった。友だちがトピックの主の家や料理の写真を自分のものとしてブログに載せているというもの。プロフィールの写真まで主の後姿だというから、ここまで来ればりっぱな「なりすまし」じゃないの。しかも、ある程度の作り話はあたりまえだと思っているらしい。(ブラジルでは犯罪報道番組のホストが、視聴率を上げるために人を雇って殺人をやらせていたそうだけど。)まあ、作り話はいいとしても、「ブログはやりたし、ネタはなし」だったからかどうかは知らないけど、人さまの家を自分の家、人さまの料理を自分の料理、(後姿とはいえ)人さまの写真を自分、というのは、ちょっと怖すぎるなあ・・・
行かなかった道40年
8月15日。カレシに起こされて目を覚ましたら正午。寝たりない。それもそのはずで、4時過ぎから5時半すぎまで、家の上空をぐるぐると飛行機が飛んでいて眠れなかった。どこかへ飛んで行ったかなと思って眠りに落ちかけるとまたブゥ~ン。しばらくして静かになったからうとうととし始めるとまたぞろブゥ~ン。っもう、迷惑!空港に近いもので大気の状態によっては丑三つ時に発着するジェット機の音が聞こえるけど、こっちは気にならないのに、なぜか低空で飛ぶ小型機にはイライラする。こんな時間に空の散歩も何もないもんだろうに。まったく、やぶ蚊よりもうるさい。対空砲があったら一発で撃墜してやる・・・と思いつつやっと眠りについたのだった。
今日は「ウッドストック」から満40年だそうな。ベトナム反戦、愛と平和のアピール・・・スローガンはどうあれ、ポップ文化としては画期的なことだったのは確か。だけど、当時のファッションに身を包んだメタボおじさんたちがウルウルと遠い目をして「青春よ、もういちど~」みたいなことを言っているのを見ると、40年も何して来たんかいな、マリファナの吸いすぎでハイになったまま人生が過ぎてしまったんと違うんかいな、と思ってしまう。
ワタシも同世代だから、反体制運動、反戦運動、学園闘争のイメージは記憶に焼きついている。大人になりたてで、政治や社会の革新に大きな期待をかけたこともあった。なんとなくヒッピーに傾倒していたところもあった。しがらみや足かせから自由になって、世界を放浪したいとも思った。だけど、ある反戦デモの翌朝、まだ消えやらぬ催涙ガスで目をしょぼしょぼさせながら大通り公園を横切っていて、ふっとヒッピーや活動家、社会主義思想というものにどうしようもない幻滅を感じてしまった。どうしてそう感じたのかは未だにわからないけど、あの時代を象徴する「ウッドストック」の映像を見ていて、あの朝のことをかなり鮮烈に思い出した。あのとき、いったい何にあれほどの深い幻滅を感じたのか・・・。
まあ、あの泥だらけの農場を埋め尽くした50万人も今生きていれば60代。今どきの若者から煙たがられる年頃だけど、その後の人生はきっと50万の流れ星のような軌跡を描いたことだろうな。ワタシの人生だってあの朝から前の日とは違う軌跡を描いて流れて来たんだろうと思う。「ニューヨークには・・・800万のストーリーがある」というのは昔のテレビドラマのナレーションだけど、人生ってふたつとして同じものはないだろうと思う。そういうひとつひとつの人生にも「The road not taken(行かなかった道)」がいくつもあるだろうな。もしもあのとき、あっちの道を行っていたら・・・。
もしも、もしも・・・。もしも今ここにこうしていなければ、ワタシはどこで何をしていただろうか。恋愛がしたいわけでも、結婚がしたいわけでもなかったから、独身のままかなあ。ひとつだけ確実なのは、カナダに来なかったら、いずれはひとりで東京へ出るチャンスがあったということだけど、きっと仕事を終えて安アパートに帰って、売れない小説を書いていただろうな。もちろん、ある日突然売れっ子になって、芥川賞をもらって、今頃は文壇でのさばっていたかもしれない。まあ、ワタシはその時代としては「人があまり通っていない道」の方を選んだわけだけど、2本の道があまりにも大きく分れていたもので、その後の人生がどれだけ大きく違ったかは、想像のみで知る由もない。おかげで後悔することもなく、選んだ道をひたすらに歩いて来れたのかもしれないけど、それで良かったじゃないかと思えるのは、やっぱり年を取ったと言うことなのかなあ。ということは、あのときの深い幻滅感はひとえに若かったからということになるのか・・・