リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

誕生日は太陽の周りを76周したお祝い

2024年04月26日 | 日々の風の吹くまま
4月25日(木曜日)。🌧。よく降ってるなあ。これから1週間は雨模様だって。でも、今日はワタシの76歳の誕生日。へその緒を巻いていていたために難産の末に仮死状態で生まれたので、いつも冗談半分に「半分死んで生まれたの」と言っていたけど、思春期のあたりからずっと漠然と何かが欠けているような気持があったな。それでも大人になってがむしゃらに働いて燃え尽きそうになったときに「生まれた時に生きなかった半分」と再会してやっと自分が完成した気がして、そんなこんなで頑張っているうちに76年も生きたと思うと、何か不思議な力が働いているのかもしれないと思ってしまう。やっぱり春に生まれた子には新しい命が芽吹く春の生命力のようなものがあるのかな。

雨の中をウォーキングに行って来て、夜のご馳走に備えてランチはちょっと軽め。午後にシャワーをして、よそ行きのしたくをして、カレシのしたくができたら時間を見計らってウーバーを呼ぶ時間。夕方のラッシュだから走っている車が多いのか、ずらりと並んでいる車はどれも到着まで「あと2分」。リストのトップをクリックして手配、ピックアップの場所(マンションの前)を確認。エレベーターを待ちながらスマホを見いていたら、地図の上で車のアイコンが7番ストリートを上がって来て「あと1分」。あと100メートルになって、ロビーに下りたところで「あと0分」になって、間もなく玄関前にサイトの写真と同じ白い車が横付け。今日はトヨタのEVプリウス。ウーバーは個人が所有する車だから実に多種多彩で、いろいろと違う車を試して見られるのがボーナスかな。バンクーバー市内に入ったところでかなりの渋滞。雨の中を家路を急ぐラッシュアワーだからしょうがない。それでもレストランの前に着いたのは予約の10分前で、所要時間56分。カレシが運転していたらこうは行かなかなかったな。渋滞でイライラして2人ともストレスいっぱいで、間に合ってもせっかくの誕生日に水を差された感じになりそう。

カレシがオンラインでBlue Water Caféに予約を入れたときに、「特別の日ですか」という欄に事前に「誕生祝い」と入れたので、テーブルに着いたら、担当のサーバーさんが突き出しのパンと2種類のパテと一緒に手書きのカードを持って来た。(このために予約の時に前もって聞いておくわけ。)このレストランはシーフードがメインだから、ワインはニュージーランドのソヴィニョンブランをカラフで注文。前菜はお二人様シーフードサンプル。ホタテのセヴィチェが一番下で、次にカニとエビのサラダ、白まぐろのタルタル、スモークサーモンのテリーヌと小皿がタワーに積み上がっていて、なかなかの趣向。メインは、カレシはホタテ、ワタシはギンダラの酒味噌焼き。ごまとシイタケの入った「ダシ」がおいしかった。(このレストランには日本人のシェフが担当する寿司バーがある。)






サーバーさんに写真を撮ってもらって、冗談をかましながらの軽いやりとりを楽しんで、おいしいディナーに感激して、デザートはサーバーさんおススメのチョコレートラヴァケーキ。ラヴァ(lava)というのは溶岩のことで、こんもりとした温かなケーキに穴を開けるとチョコレートがとろぉ~っと流れ出て来る。カロリーが高そうだなあと言いながらも2人とも大いに満足。エスプレッソで仕上げたら、いつも出て来るひと口スィーツが今夜は「シェフが作った」2品。お皿にチョコレートでハッピーバースデイと書いてあって、火の点ったろうそくが1本。「お願い事してね」とサーバーさんに促されて、ムニョムニョと考えてろうそくの火を吹き消したけど、お願い事はヒ・ミ・ツ。支払いをして、ウーバーを呼んで、雨を避けてオーニングの下でスマホを見ながら待機。車はキア(起亜)フォルテ。行きと打って変わって我が家まではすいすいと33分。うん、気分もおなかもハッピー。ワタシにとって誕生日はまた1年生きたこと(Arts Club流では「太陽の周りを1周したこと」を祝う日。よぉし、あと24周してやるぞぉ。




誕生日前夜~後期高齢者の自分観察

2024年04月26日 | 日々の風の吹くまま
4月24日(水曜日)。🌧☁。予報通りの雨。ワタシの「バースデイ・イヴ」なんだけど何か寒々として風景。もっとも、ワタシが生まれた日には雪がちらついていたそうなので、雨がしょぼついているくらい何てことはないか。誕生日のメッセージがいくつか届いていて、本番は明日だというのにもうハッピーバースデイの気分。

毎年手作りのEカードを送ってくれる妹が今年は「シンプル・イズ・ベスト」と言ってうきうきしてしまうようなすてきなカード。ワタシがねずみ年なので、いつもかわいいねずみのイラストが入っているのがご愛敬。ほんとに、ねずみのようにいつもちょこまかちょろちょろなところは、この年になってもちっとも変わってない気がする。まあ、年令的には少しは落ち着きが出て来たんじゃないかなあとは思うけど、傍目には今どきの日本語でいう「天然」ということになるのかな。でも、この(日本では「後期高齢者」と呼ばれる)年になったら、ありのままのワタシでいるのが一番疲れなくていいの。いつもいつも周りから振り当てられた「役」を演じていては神経をすり減らすばかりだから・・・。



でも、「天然」とは何なんだとググってみた限りでは、空気を読まないとか話や行動が周りからズレているとか、果ては天然ボケなんて言葉も出て来て、どうもほめ言葉ではないみたい。それでも、「天然だけど頭がいい人」という表現があって、天然なのは問題だけど頭が良ければそれで相殺してもらえるらしいので、必ずしも悲劇的な性格ということでもなさそう。もっとも、「頭がいい」の定義そのものがあやふやだから、どれだけ頭がいいと天然でもオッケーなのかもわからないわけで、人を仕分けするのは至難の業。そう言えば、小学校5年生のときに通知表について来た紙切れのグラフは衝撃的だったなあ。テストの点はクラス上位だったから、ワタシの評価を示す×印が釣り鐘カーブのてっぺんになくて、「坂を転がり落ちたどん底のさらに先の端っこ」にあったことがすごいショックで泣いてしまったっけ。今でいう「偏差値」を表す図らしいけど、親も偏差値なんて言葉さえ聞いたことがなかった時代の話。



ワタシが小学校2年生だったときに知能テストと読書力診断テストがあって、ワタシとしてはちょっと変わったテストをするだけの1日が目新しくて楽しかったんだけど、開校以来最高のIQと読書年齢中学2年という結果で母が校長に呼び出される騒動に発展。「女の子なのが非常に残念。将来が思いやられるからあまり本を読ませないように」と忠告されたんだそうな。昭和31年の話で、ワタシがその話を聞いたのは小学校を卒業した後だったけど、中学高校を通して「規格外れ」と言うことでエライ目にあったから今でも恨めしい気持。高校時代にまじめにテスト勉強をやったのは英語だけで、他の赤点すれすれの教科の教師に呼び出されては「頭がいいのに何でできないんだ」と責められて、今でいう不登校すれすれの心境。うるさく進学を勧められたけど、さらに4年も学校に行くなんて耐えられないと断固拒否したしだい。それでも生きて来れたわけで、「人間」の頭の良し悪しというのは、生来の資質や性格、育った環境、社会文化や宗教などの影響が生まれつきの能力という「人生の種」を何重にも覆っているから、偏差値やテストの成績と言う無機質な物差しだけで判定できるものではないと思う。まあ、76回目のハッピー・バースデイイブってことで・・・。