最近よく父の兄(伯父)の事を思い出す。祖父の家に子供の頃、遊びに行って同居していた伯父に会った。伯父は物静かな人で、いつも縁側で本を読んでいた。食事を一緒にとる事も無く、遊んでくれる事も滅多に無く、無愛想というわけではないが、優しい眼差しで私たち兄弟をたまに見ていた。そんな静かな伯父を父はよく自慢する。どんな人だったのかこの歳になって興味がわいた。既に故人になっているためインターネットなどを駆使して色々調べてみた。東京大学農学部の教授をしていたという知識だけしかなかったが。
森山俊治さんという人の文にいきついた。伯父の人柄が表れている良い文章だと思った。下記に記す。
倉田悟の世界 1
ネイチャーインタフェイス歳時記
ヤマザクラ
大正11年、愛知県岡崎市に生まれた倉田悟は、東京大学農学部林学科卒業後、そのまま研究室に残った。どうしても植物の研究をしたかったからである。そして、理学博士号も取得した。
生涯独身を通し、日本各地の里人から樹木・植物の方言名、またそれに関わる民俗の研究に一生を捧げた。その一方、当時自然保護に世論が関心を持つようになると、樹木学者の立場から「これまでの日本は経済成長という目的を拵え、それに合うように物事を考え回してきた。それでは生活にゆとりが生まれるはずがない。自然保護の基準は、失われようとしている自然をまず真っ先に保護すべきだ」と、自然保護のルールを説いた。
ある時、私は倉田先生と本郷の天麩羅屋にいた。すると「森山君、ぼくは最近、生ビールならジョッキ1杯ぐらいは飲めるようになったよ」と、照れくさそうに言う。邪気のない笑顔であった。 この図鑑の制作途上、毎日、地方の山から、大学に枝が送られてくると、先生から私に電話がはいる。私は直ぐさま社を飛び出し、画家のもとへと枝を持って行くのだが、いつも時間帯は夕方で、電車はラッシュアワーの最中。枝に着いた花を落とすまいと、頭の高さにまで持ち上げて、相模大野やら成増、西船橋、国立などへ赴く。
そして先生は、常に言う。「ぼくの本は、森山君だけにやってもらう。他の出版社に出す気持ちはないよ」と。本当に嬉しかった。
その倉田先生も、東京大学農学部教授(林学科森林植物学教室)『日本シダの会会長』を最後に、昭和53年、病に倒れ、いまは練馬区高野台の長命寺に眠っている。享年56歳であった。
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その他著作も多く「シダの世界」では、有名人だったのだ。一つの事を極めた人だったのだ。知らなかった私が愚か者だった。早くに亡くなったのだが、今生きていれば色々相談にのってもらったり出来たのに。家には伯父の好きだったクラシックレコード(SP)を聴く時だけが、伯父との交流だ。
そういえば実家に帰った時、弟が伯父にそっくりになっていてびっくりしたっけ・・・・・・・。
森山俊治さんという人の文にいきついた。伯父の人柄が表れている良い文章だと思った。下記に記す。
倉田悟の世界 1
ネイチャーインタフェイス歳時記
ヤマザクラ
大正11年、愛知県岡崎市に生まれた倉田悟は、東京大学農学部林学科卒業後、そのまま研究室に残った。どうしても植物の研究をしたかったからである。そして、理学博士号も取得した。
生涯独身を通し、日本各地の里人から樹木・植物の方言名、またそれに関わる民俗の研究に一生を捧げた。その一方、当時自然保護に世論が関心を持つようになると、樹木学者の立場から「これまでの日本は経済成長という目的を拵え、それに合うように物事を考え回してきた。それでは生活にゆとりが生まれるはずがない。自然保護の基準は、失われようとしている自然をまず真っ先に保護すべきだ」と、自然保護のルールを説いた。
ある時、私は倉田先生と本郷の天麩羅屋にいた。すると「森山君、ぼくは最近、生ビールならジョッキ1杯ぐらいは飲めるようになったよ」と、照れくさそうに言う。邪気のない笑顔であった。 この図鑑の制作途上、毎日、地方の山から、大学に枝が送られてくると、先生から私に電話がはいる。私は直ぐさま社を飛び出し、画家のもとへと枝を持って行くのだが、いつも時間帯は夕方で、電車はラッシュアワーの最中。枝に着いた花を落とすまいと、頭の高さにまで持ち上げて、相模大野やら成増、西船橋、国立などへ赴く。
そして先生は、常に言う。「ぼくの本は、森山君だけにやってもらう。他の出版社に出す気持ちはないよ」と。本当に嬉しかった。
その倉田先生も、東京大学農学部教授(林学科森林植物学教室)『日本シダの会会長』を最後に、昭和53年、病に倒れ、いまは練馬区高野台の長命寺に眠っている。享年56歳であった。
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その他著作も多く「シダの世界」では、有名人だったのだ。一つの事を極めた人だったのだ。知らなかった私が愚か者だった。早くに亡くなったのだが、今生きていれば色々相談にのってもらったり出来たのに。家には伯父の好きだったクラシックレコード(SP)を聴く時だけが、伯父との交流だ。
そういえば実家に帰った時、弟が伯父にそっくりになっていてびっくりしたっけ・・・・・・・。