

James Moody / Moody and the Brass Figures ( 米 Milestone MLP 1005 )
ロリンズやコルトレーンが出てきたことで駆逐されたテナー奏者は多いが、ジェームス・ムーディーもそんな中の1人だろう。50年代初期は
リーダー・セッションがたくさん用意されてレーベルの看板テナーだった時期もあったが、栄光の時期は長くは続かなかった。何と言っても、
それは厳しい世界なのだろう。
そうなってくると多くの奏者は活路を見出すべく、独自の路線を模索する。マルチ・リード奏者へと変貌したり、アレンジの勉強をして
ラージ・アンサンブルを手掛けてみたり。第2線級になると、そういう過程のものがアルバムとして結構残されるようになる。
そういうものに接すると、我々は困惑する。この人は何がやりたかったんだろう、と。スコープがぼやけているように見えて、どこに焦点を
あてて聴けばいいのかよくわからなくなる。
ムーディーにもそれが当てはまる。アーゴにたくさんリーダー作を残すことができたのはよかったけれど、これが取り留めのない内容で、
散漫な印象が残ることは否めない。フルートを多用したのもこの時期だが、この楽器はジャズには向かないので、どのアルバムも評価されない。
本人は新機軸としてまじめに取り組んだのだが、聴く側というのは勝手なもので、そういうミュージシャンの気持ちなどはお構いなしだ。
そういう流れがあるので、マイルストーン時期のこのアルバムも見向きもされないわけだが、これが実にいい内容なのだ。
アレンジはトム・マッキントッシュに任せて、自身はテナーの演奏に集中している。それが良かったのだろう、その音色は深みがあって、
演奏もゆったりと泰然とした雰囲気が濃厚で、素晴らしい。
バックのアンサンブルも控えめでうるさくなく、飽くまでもムーディーの演奏をそっと支えるという風情で、これが功を奏した。
ラージ・アンサンブルがバックに付く場合はこの演奏の良し悪しが作品の出来そのものを直接左右するが、ここでの演奏は成功している。
きっちりと纏まりがあって、テンポも適切で、アンサンブルのサウンドカラーもヴィヴィッドで好ましい。
変な小細工もなく、ユニークさへの志向もなく、とてもナチュラルで気持ちのいいジャズになっている。ベテランの風格というか余裕というか、
そういうものがいい形で滲み出ていて、そこに音楽としての豊かさを感じるのだ。本人にどこまで自覚があったのかはわからないけれど、
見かけ上の技巧に走る必要などなく、自身の中に蓄積されたものを糧として音楽を続けていけばこういういい作品はおのずと出来たんじゃ
ないだろうか。このアルバムを聴いていると、そんな風に思えるのだ。