Wayne Shorter / Wayning Moments ( 米 Vee Jay VJLP 3029 )
想えば若い頃から既に巨匠の雰囲気が漂う不思議な人だった。外見の風貌にもそんなところがあったが、何より彼が演奏に参加した途端、
音楽からはそれまで聴き慣れたものとはどこか違うムードが漂った。演奏そのものは革新的だったというわけではなく、どちらと言えば
オーソドックスなプレイの側に立脚していたけれど、操る言語はそれまでのテナー奏者とは明らかに違っていたし、演奏から発せられる
匂いのようなものが独特で、それがその音楽を今まで見たことが無いような色彩に染めてしまうようなところがあった。
だから、ウェイン・ショーターの魅力とは何か、を語るのは難しい。そして、その難しいという点にこそ彼の魅力の核心があったように思う。
簡単に言葉で説明できる特徴ではなく、その「妖しさ」のような抽象性に惹かれるのだ。
そういう妖しいムードはマイルスの下ではっきりと開花するわけだけど、それ以前の演奏でも既に十分過ぎるほど染み出ていて、
アート・ブレイキーだろうが、ウィントン・ケリーだろうが、そのリーダーのそれまでの音楽をひっくり返してしまうような内容にしてしまう。
ただ、そういうムードも「何となく」という適当さではなく、若い頃に受けた音楽教育が基礎部分に硬い岩盤のように横たわっており、
音楽そのものを堅牢なものにしている。理論的な抽象性というか、冷酷に徹底された妖しさのようなものに貫かれているのが見て取れる。
だから彼はフリーやアヴァンギャルドに走る必要がなかったし、常にシーンの中央にいることができたのだろうと思う。時点時点で常に
何をすればいいのかがわかっていたような全能感があったような印象があり、そういうところも不思議だった。
彼のアルバムは近年のものも含めて基本的にはどれも好きだが、その中でも1番好きなのはこの若い頃のレコードだ。フレディ・ハバードとの
2管編成で、エディ・ヒギンズら格下とも思えるバックとの釣り合いが悪いのではと思いきや、これが何とも新緑の芽吹きを想わせるような
新鮮でみずみずしい演奏になっていて、聴くたびに深い感銘を受ける。
難解さは皆無のわかりやすい音楽で、ちょうどコルトレーンのプレスティッジ時代に相当するような作品だ。ただその音楽は既に完成度が
非常に高く、ほんのりと漂う妖しさがそれまでのハードバップとは一線を画す見事なアルバムとなっている。テナーのプレイはコルトレーンの
影響をまだ色濃く感じるところがあるが、音色は大きくなめらかで素晴らしい。彼の普通のジャズアルバムとしてはこれが完成形だった。
20年ほど前に来日して野外のスタジアムで演奏した彼を見たが、大きな身体で音数少なく慎重に選びながら吹くその演奏はマイルスの吹き方に
よく似ていた。やはり、彼はマイルス・チルドレンなんだなあと思ったことを憶えている。
R.I.P ウェイン・ショーター。これからもあなたの音楽を聴き続ける。
SONGと言う曲が好きで、時々取り出して聴きます。20年前頃だったか、ジャケットの暖色ツートーンがいいなあと思って買う時に、店のマスターが「これ、フリー寄りの演奏だけど、ラストのLOVE.SONGって言う曲いいんだよね...。」と教えてくれました。そのマスターも今は逝去され、お店もありませんが、レコードを聴きながら、いい曲だ...と独り言を言う時もありますね。トニーはこの時19歳!スゴい演奏だなあと思います。
私はトニーのブルーノート2作はあまり好きではありません。
オーネットやセシル・テイラーのような「やらざるを得ない」という切実なものを感じないからかもしれません。
とにかく、当時の最先端だったフリーをやりたくて仕方なかった、という理由だけで作られたような印象を覚えます。
まあ、まだ19~20歳の青年だったわけですから、気持ちはわからないでもないんですが・・・