日付から言えば、今日は死んだ実家の犬を火葬する日である。斎場がフル稼働なのだから、墓がどうなのかまでは聞かない方がいいだろう。
決然と 護法に一人 立つセンセイ 死屍累々と 後ろに屍
これはある板に投稿した、顕正短歌である。とある顕正会員のブログにて、浅井会長は最後(最期?)まで会長職を全うされるであろうという意見に対し、それだけ若い会員の人生が犠牲になるという私の意見を短歌にしたものである。意味は分かる人には分かって頂けるものと思う。私のように適当に楽しんで、ただのトラウマも無く宗門に移ったのは私くらいのものではないか。もっとも、その代わり活動への原動力は無く、ちょっとしたトラブルで退転したのは皮肉であろう。
私は他の元顕正会員とは違う。どちらかというと、生粋の法華講員の中にいた方が良かったのではないかというのは後の祭りである。因みに今は、お寺には参詣していない。新たなブログのタイトル、“冨士参詣深夜便”というのは、私の愛読紙が産経新聞と夕刊フジ、それと競馬【お察しください】。そのフジ・サンケイグループをもじったというのは表向きで、白状すれば「いずれはまた大石寺に参詣したい」という思いが半分、なかなか埒が明かないことから原点回帰、つまり、「冨士大石寺顕正会への参詣再開」の意味が半分ある。これには理由があって、適当に楽しむのではなく、罪障をあえて積むことにより、仏罰に悩んだところで勧誡するのもアリかなと考えたからである。勧誡後の原動力にもなろう。もっとも、それとて何かのきっかけを必要とするものであり、とどのつまり、今の私は人生成り行き任せ、風の吹くまま、野となれ山となれといった状態といった皮肉なものである。
決然と 護法に一人 立つセンセイ 死屍累々と 後ろに屍
これはある板に投稿した、顕正短歌である。とある顕正会員のブログにて、浅井会長は最後(最期?)まで会長職を全うされるであろうという意見に対し、それだけ若い会員の人生が犠牲になるという私の意見を短歌にしたものである。意味は分かる人には分かって頂けるものと思う。私のように適当に楽しんで、ただのトラウマも無く宗門に移ったのは私くらいのものではないか。もっとも、その代わり活動への原動力は無く、ちょっとしたトラブルで退転したのは皮肉であろう。
私は他の元顕正会員とは違う。どちらかというと、生粋の法華講員の中にいた方が良かったのではないかというのは後の祭りである。因みに今は、お寺には参詣していない。新たなブログのタイトル、“冨士参詣深夜便”というのは、私の愛読紙が産経新聞と夕刊フジ、それと競馬【お察しください】。そのフジ・サンケイグループをもじったというのは表向きで、白状すれば「いずれはまた大石寺に参詣したい」という思いが半分、なかなか埒が明かないことから原点回帰、つまり、「冨士大石寺顕正会への参詣再開」の意味が半分ある。これには理由があって、適当に楽しむのではなく、罪障をあえて積むことにより、仏罰に悩んだところで勧誡するのもアリかなと考えたからである。勧誡後の原動力にもなろう。もっとも、それとて何かのきっかけを必要とするものであり、とどのつまり、今の私は人生成り行き任せ、風の吹くまま、野となれ山となれといった状態といった皮肉なものである。