報恩坊の怪しい偽作家!

 自作の小説がメインのブログです。
 尚、ブログ内全ての作品がフィクションです。
 実際のものとは異なります。

羨ましい技術

2013-01-13 19:46:14 | 日記
 世の中、口の上手い者が存在する。そして、それの逆もある。いかに知識が深かろうと、それを適度に出せなくては意味が無い。私はそれで相当損をしてきた。今のところ福運はあるのか、それでクレームにまで発展したことはないのだが、あまり上手い答え方ができず、見かねた上役に出て頂き、後で何度も注意を受けることは今でもある。まあ、仕事の上ではしょうがない。どうも人に向かっては、あまりマジメな話ができないタチのようだ。因みに怪談と猥談と冗談なら、面と向かって言えるのだが。怪談は……仏教では幽霊の存在も、妖怪の存在も認めていない(つまんねーの!)。え?よくメディアなんかで、お坊さんが妖怪を調伏するシーンがあるって?違う違う。教学的に認められた存在じゃないってこと。試しに御書を見てみよう。日蓮大聖人が妖怪や幽霊と遭遇した話なんて書いてないから。では猥談は……キミは折伏の時に女の下半身ネタを出すのかね?これもボツ!では冗談……【お察しください】。
 何だかなぁ、顕正会員には揚げ足取られるわで、どうも正宗ではいいことが無かった。……と思ったのだが、冗談好きの私にはぴったりの折伏法があった。確か、“ミナミの帝王”だったかな。借金の取り立てをする際に、債務者に地獄を見せる(モノホンの八大地獄じゃないよ。そういう漫画じゃないよ)わけだが、その時主人公が、
「どうや!?早よ返さんと、いつまでも地獄に落ちたままやで!!」
 と、いつまでも借金を返さないヘタレ債務者に恫喝するシーンがある。これを読んだ私はふと、まるで罪障のように見えた。そしてアマチュア小説家としてのひらめきがあった。
(そうか!罪障=借金という感じなら……)
 但し、それに気づいた時には既に日蓮正宗を退転していた。それでも人生に悩みを抱えている人の相談に乗る時、上記のネタを話してあげた。すると皆、納得したように私の話を聞いてくれた。
 なるほど。クソ真面目に難しい話をする必要は無いわけか。因みに顕正会では、十界論を用いて折伏(という名の勧誘)をすることが多い。アンチ顕正会員が糾弾する、
「顕正会員は対象者に対し、『入信しないと地獄に落ちる』と脅している」
 というのは、ここにある。無論私とて、そんな言い方は良くないと思っていた。だからもっといい方法が無いかと探していたが、やっといい方法が見つかった時には無所属化していた。何とも皮肉である。

「罪障という借金を背負ったまま、あの世へ行こうとすると地獄へ落ちますよ。ちゃんと債務を果たしてから、臨終しましょう。え?自己破産?なに言ってるんですか。それって、自殺のことですよ。自己破産できるとでも思っているんですか?罪障という借金は、ややもすると闇金の借金と似たようなもので、どんどん膨らんでいくものなんですよ。……」(私の同人作品“ユタと導かれし仲間たち”より。ここでいうユタとは、私のHNの元になった主人公のニックネームである)

 ああ、分かっている。作者本人には、耳に痛い主人公の折伏だ。まさか、作者が自分の作品の主人公に折伏されるとはね。因みに弁護士に相談して債務整理というのも、
「ここでいう弁護士とは、猊下様のこと。猊下様からも大御本尊様に、なるべく我々の罪障を消滅して頂けるよう祈念されることです。罪障消滅を祈念して頂いてますが、実際は急に消滅するものではありません。軽くはなりますがね。だから、何度も登山するんです」
 という風になっている。2年前の自分、凄いネタ書いたなー。ていうか、“ユタ”君、その興盛な信心、作者に分けてよね。
コメント (2)
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本日の時事ネタ

2013-01-13 19:33:30 | 日記
桜宮高2自殺 バスケ部顧問を懲戒処分へ「最悪の事態、処分当然」(産経新聞) - goo ニュース

 どうも関西地方はこのテの事件が多いように見える。昔も、体罰がらみで死亡した生徒がいなかったか?向こうの気質なのか?私には合いそうに無い。そもそも体育会系自体が嫌いだ。意味不明な根性論で、何でもできると思っていやがる。もっと論理的にできないものかね?……え?なに?そういう文化系は口先ばっかりで、何もできねーだろって?そりゃどうも。命が大事な方を私は選ぶよ。脳筋増殖のスポーツ振興より、文化振興に力を入れてくれんかね。
 そういや顕正会の男子部にも、体育会系的な組織があったな。いや、むしろそっちの方が多いのか。私がいた所は文化系で良かったよ。おかげで成果は出なくて、隊長はクビになっちゃったけどね。宗教は数字的な成果ではないと思うのだが。日蓮正宗にも似たような風潮のお寺があって、それさえ無けりゃ良さそうな所なのにと思った所がいくつもある。実に残念だ。
 一郎太氏の仰るような、数字的な成果主義に捉われない文化系のお寺でも無いかねぇ……。最低でも、誓願の平成33年までは待つ必要がありそうだ。
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