復権!高速バス 九州で路線新設、「ドアtoドア」武器に(産経新聞) - goo ニュース
清観光の浜松町〜大石寺の登山バスが無くなったのは、上記記事に書かれている「高速ツアーバスの業態を事実上、禁止した」からだと思われる。
あれも高速ツアーバスだったのだ。
即ち、どこかの法華講支部が清観光にツアーバスの運行を依頼する(貸切バス)ならいいが、清観光が独自に登山バスを運行することは禁止されたということである。
運行を続けるには、ウィラーエクスプレスや旅の散策(富士セービングバス)などのように改めて路線バスとしての認可を受けなくてはならない。
清観光としては、そこまでして収益の入るものではなかったのだろう。
大風呂敷を広げていると、大富士観光の二の舞になるとして、二の足を踏んでいるとも捉えることができる。
山門入り口さんの話では、(信徒数は増えているはずなのに)夏期講習会の回数が減っているのだという。
確かに平日の部が無く、私は参加を断念せざるを得なかった。
それが当たり前だと思っていたのだが、氏の話では昔はもっと回数が多く、平日の部もあったとのこと。
何だか違和感のある話である。
路線開業したらいい儲けになると思うのに、それをしない清観光の動きとかを見ても、登山する度に確信どころか首を傾げることが多くなってしまった。
実は以前、土曜日に登山したことがある。
さすがに平日よりは多いだろうと思った。確かに平日より多かった。でも、こんなものだろうかと思った。
外国人信徒がやたら多く、日本人信徒が少ない現状。
感激を感じない布教講演。
所属寺院を見ても……いや、これ以上はやめておこう。辛気臭くなる。
今年、添書登山の機会が無いのも、私のこういう心境を鑑みた大聖人が一回休みを命じて下さったのだろう。
山門入り口さんのブログに投稿されている本堂さん。
お互いHNなので実際に面識は無いと思うが、あのブログは何故か2文字以下のHNは受け付けてくれないので、私は4文字のペンネーム。
本堂さんは下に「です」を付けて無理くり4文字になさったのだろうと推測する。
字数制限を気にしていて言いたいことを全部書けなかったが、要はこういうことだ。
顕正会は新入信者であっても、すぐに折伏(という名の勧誘)に駆り立てる。
ソースは私だ。
私が経験したことだし、何度もその場に居合わせたことがある。
終いには、
「初心の功徳は折伏をやっている中で現れる」
と、支離滅裂なことまで言いやがる始末だ。
私がわざと先を歩いて100円玉を地面に置き、後からやってきた新入信者にそれを見つけて拾わせ、
「ほら!初心の功徳あったー!」
なんてクサいこともやったな。
あとは私の鉄道知識を悪用して……いや、これ以上は【お察しください】。
平成27年度の誓願、苦戦を強いられていることだろう。
私はヒラなので、上層部のお考えは分からない。
だが焦っているのは、会合への少ない参加数の私でも分かる。
昨年までは月誓願に達せなかったとしても(それを素直に認めるところは顕正会よりもいいと思うが)、講頭や副講頭が主管に謝るだけで済んでいた(山門入り口さんから見れば、それもおかしいことになるのだろう)。
だが、いつ何時、どうなるか分からない。
正直、今罰で苦しんでいる人を除いて、ただ単に顕正会に疑問を持っているからという理由だけで、法華講に入れていいのか迷うくらいだ。
もちろん、脱会の手助けはしたい。だが、私は最低でも平成27年度の誓願が終わるまでは、かつての顕正会上長達に声を掛けづらくなっている。
「何だ。顕正会と変わらないじゃない」
という言葉が1番怖い。
「お前は宗教やっててこの程度か!」
という怨嫉の方が何倍もマシだ。
前者は証拠を突きつけられたら何も言い返せないし(ぶっちゃけ、山門入り口さんが指摘している最近の大白法にはヒヤヒヤしている)、後者は単なる相手の主観なので、まだいくらでも言い返すことができる。
ここ最近、安心して信仰できる環境が1番の幸せのような気がしてきた。
清観光の浜松町〜大石寺の登山バスが無くなったのは、上記記事に書かれている「高速ツアーバスの業態を事実上、禁止した」からだと思われる。
あれも高速ツアーバスだったのだ。
即ち、どこかの法華講支部が清観光にツアーバスの運行を依頼する(貸切バス)ならいいが、清観光が独自に登山バスを運行することは禁止されたということである。
運行を続けるには、ウィラーエクスプレスや旅の散策(富士セービングバス)などのように改めて路線バスとしての認可を受けなくてはならない。
清観光としては、そこまでして収益の入るものではなかったのだろう。
大風呂敷を広げていると、大富士観光の二の舞になるとして、二の足を踏んでいるとも捉えることができる。
山門入り口さんの話では、(信徒数は増えているはずなのに)夏期講習会の回数が減っているのだという。
確かに平日の部が無く、私は参加を断念せざるを得なかった。
それが当たり前だと思っていたのだが、氏の話では昔はもっと回数が多く、平日の部もあったとのこと。
何だか違和感のある話である。
路線開業したらいい儲けになると思うのに、それをしない清観光の動きとかを見ても、登山する度に確信どころか首を傾げることが多くなってしまった。
実は以前、土曜日に登山したことがある。
さすがに平日よりは多いだろうと思った。確かに平日より多かった。でも、こんなものだろうかと思った。
外国人信徒がやたら多く、日本人信徒が少ない現状。
感激を感じない布教講演。
所属寺院を見ても……いや、これ以上はやめておこう。辛気臭くなる。
今年、添書登山の機会が無いのも、私のこういう心境を鑑みた大聖人が一回休みを命じて下さったのだろう。
山門入り口さんのブログに投稿されている本堂さん。
お互いHNなので実際に面識は無いと思うが、あのブログは何故か2文字以下のHNは受け付けてくれないので、私は4文字のペンネーム。
本堂さんは下に「です」を付けて無理くり4文字になさったのだろうと推測する。
字数制限を気にしていて言いたいことを全部書けなかったが、要はこういうことだ。
顕正会は新入信者であっても、すぐに折伏(という名の勧誘)に駆り立てる。
ソースは私だ。
私が経験したことだし、何度もその場に居合わせたことがある。
終いには、
「初心の功徳は折伏をやっている中で現れる」
と、支離滅裂なことまで言いやがる始末だ。
私がわざと先を歩いて100円玉を地面に置き、後からやってきた新入信者にそれを見つけて拾わせ、
「ほら!初心の功徳あったー!」
なんてクサいこともやったな。
あとは私の鉄道知識を悪用して……いや、これ以上は【お察しください】。
平成27年度の誓願、苦戦を強いられていることだろう。
私はヒラなので、上層部のお考えは分からない。
だが焦っているのは、会合への少ない参加数の私でも分かる。
昨年までは月誓願に達せなかったとしても(それを素直に認めるところは顕正会よりもいいと思うが)、講頭や副講頭が主管に謝るだけで済んでいた(山門入り口さんから見れば、それもおかしいことになるのだろう)。
だが、いつ何時、どうなるか分からない。
正直、今罰で苦しんでいる人を除いて、ただ単に顕正会に疑問を持っているからという理由だけで、法華講に入れていいのか迷うくらいだ。
もちろん、脱会の手助けはしたい。だが、私は最低でも平成27年度の誓願が終わるまでは、かつての顕正会上長達に声を掛けづらくなっている。
「何だ。顕正会と変わらないじゃない」
という言葉が1番怖い。
「お前は宗教やっててこの程度か!」
という怨嫉の方が何倍もマシだ。
前者は証拠を突きつけられたら何も言い返せないし(ぶっちゃけ、山門入り口さんが指摘している最近の大白法にはヒヤヒヤしている)、後者は単なる相手の主観なので、まだいくらでも言い返すことができる。
ここ最近、安心して信仰できる環境が1番の幸せのような気がしてきた。