竹田の子守唄TAKEDA-NO-KOMORIUTA/赤い鳥
先日帰省していた娘が、「お父さん、赤い鳥って知ってる?」と聞いてきたのでビックリした。何で聞いてきたかというと、最近笛を習っているらしいのだが、その課題曲が赤い鳥の「竹田の子守唄」ということだった。「竹田の子守唄」といえば、いわずと知れた赤い鳥の大ヒット曲だ。姉に連れられ初めて行ったコンサートが「赤い鳥」だったので、思い入れも大きいグループで大好きだった。
本人は、聞いたこともなく譜面だけでしか曲を知らないので、早速MDやらDVDを探し出し、本物の曲を聞かせてあげた。DVDは赤い鳥から分裂した「紙風船」が新たに結成したTSU・BA・SAというグループになってからの映像だが、ボーカルの平山泰代は昔と変わらず澄んだ美しい声である。娘もきれいな声に魅了されたようだった。これで、笛の練習にもイメージが重なりうまく練習できることだろう。世代を超えて歌が伝わっていくことは嬉しいことだ。
「竹田の子守唄」解説
この曲は京都、大阪の複数の被差別に伝わる子守り歌である。この民謡・歌曲が注目されたきっかけは1969年にフォークグループの「赤い鳥」が演奏したことである。後に「赤い鳥」がこの楽曲を1971年にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとするが、被差別絡みの楽曲であった為に日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」として長い間封印されることになった。1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされている。
守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
はよもいきたや この在所(ざいしょ)超えて
むこうに見えるは 親のうち
先日帰省していた娘が、「お父さん、赤い鳥って知ってる?」と聞いてきたのでビックリした。何で聞いてきたかというと、最近笛を習っているらしいのだが、その課題曲が赤い鳥の「竹田の子守唄」ということだった。「竹田の子守唄」といえば、いわずと知れた赤い鳥の大ヒット曲だ。姉に連れられ初めて行ったコンサートが「赤い鳥」だったので、思い入れも大きいグループで大好きだった。
本人は、聞いたこともなく譜面だけでしか曲を知らないので、早速MDやらDVDを探し出し、本物の曲を聞かせてあげた。DVDは赤い鳥から分裂した「紙風船」が新たに結成したTSU・BA・SAというグループになってからの映像だが、ボーカルの平山泰代は昔と変わらず澄んだ美しい声である。娘もきれいな声に魅了されたようだった。これで、笛の練習にもイメージが重なりうまく練習できることだろう。世代を超えて歌が伝わっていくことは嬉しいことだ。
「竹田の子守唄」解説
この曲は京都、大阪の複数の被差別に伝わる子守り歌である。この民謡・歌曲が注目されたきっかけは1969年にフォークグループの「赤い鳥」が演奏したことである。後に「赤い鳥」がこの楽曲を1971年にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとするが、被差別絡みの楽曲であった為に日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」として長い間封印されることになった。1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされている。
守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆がきたとて なにうれしかろ
帷子(かたびら)はなし 帯はなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
はよもいきたや この在所(ざいしょ)超えて
むこうに見えるは 親のうち