とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

「戦国武将の生きざまに学ぶ」小和田哲夫氏

2009-12-05 14:52:32 | 社会人大学
先日の社会人大学の卒業式の後、静岡大学名誉教授・文学博士の小和田哲夫氏による「戦国武将の生きざまに学ぶ」という講演会があった。小和田氏は執筆、講演活動のほかに、NHK『その時歴史が動いた』や教育テレビ『日本史』などで解説を務め、NHK大河ドラマのうち、1996年放映の『秀吉』、2006年放映の『功名が辻』、2009年放映の『天地人』の時代考証を監修している。

私は、卒業式では最前列の中央付近に座っていたので、小和田氏とは直ぐ目の前である。おかげで、眠ってしまうなんて事は到底出来ず、じっと前を見つめ講演を聞き続けた。この先生は子供の頃から歴史が好きで、いろんな人に「歴史に対する興味を持ってほしい」と言う意図で読みやすい本をいくつも書かれているらしい。また、戦国史と現在のビジネスマンの生き方を比較するような著書や公演を多く行っており、歴史研究者と言うよりも歴史評論家としての活躍が大きいようだ。今回は3つほどテーマを取り上げてくれた。

1.失敗を恐れないチャレンジ精神

「朝倉宗滴話記」の世界。朝倉宗滴という武士の話を記録した書である。戦国時代の武将は、子供や家来に自分の経験談を語ることを大事な役目として続けていたそうだ。これは武辺咄(ぶへんばなし)という。特に失敗した話等は今後の戦に役に立つことであり、後のものには伝なければならないことである。「朝倉宗滴話記」はこの武辺咄を記録した書として貴重なものである。

また、名将といわれる人ほど一度は大きな敗北をしている。大きな失敗を乗り越えてこそ大きく成長するのだという。やはり、最も当てはまる人物といえば徳川家康である。徳川家康は、三方原合戦で惨めな敗北を負い、その後逃げた自分の惨めな姿を像にしたという。それが「神君おしかみの像」といい、家康は自分に慢心がある時はこれを見て反省したという。失敗を成功に変える気持ちの持ち方が家康を成功に導いた。そして、「家臣こそ我が宝」として部下を大事にしたことが、のちのちの徳川幕府の安定に導いたといえる。

2.好奇心と既成の概念にとらわれない発想

 種子島への鉄砲伝来。ポルトガル人が種子島に流れ着き鉄砲を献上したのだが、時の種子島の領主種子島時堯は、ただ受け取るだけでなく2丁あるうちの1丁を地元のものに分解して同じものを作らせたという。若い領主であったので好奇心が強く、日本人の手で作らせたことで日本中に鉄砲が広まったといわれる。種子島の砂浜は黒く砂鉄を多く含んでいた。この島は昔から製鉄の島として栄えていたことが幸いして鉄砲を作りやすい環境だったのだ。このことで辺境にあるはずの種子島が当時は大いに栄えたという。

 織田信長は、常識を超えた人だったという。それまでの戦国武将は剣術等の武術が優れたものを重用していたが、信長は情報力を第一にしたという。今でこそ、情報は最大の武器とされているが、当時そのことに気付いた人は信長だけだったのだ。また、部下の扱いにおいても、話術の巧みな秀吉を重用したことにも現れている。新しい価値観を最初に見出した信長は天才であったともいえるのだ。

3.求めるべきは友

「天地人」の主人公、上杉家の家老・直江兼続と、豊臣家の懐刀・石田三成。同じ歳で参謀という立場の二人は、互いの生涯に大きな影響をおよぼしあうほど親密な友情を深めたという。戦国時代とはいえ、友情を深めるべき友があったというのは素晴らしいことである。特に辛口の批評をいってくれる人ほど大切にすべきと教えられた。

以上3つのテーマについて話された。もっといろいろ話したいようであったが、時間もきて終わりとなった。歴史が好きな人にとっては、この先生の話をもっと聞きたかったのではないだろうか。戦国武将の生き様は今の社会においても大いに通じるところがあるはずだ。1時間半ほどの講演であったが、いろいろ参考になった。