27,28日と2日間にわたって「夜叉ヶ池伝説マラニック大会」に参加してきた。スタートは岐阜県神戸(ごうど)町からで、福井県と岐阜県境にある夜叉ヶ池までを往復する大会である。私は昨年に続いて2回目だが、大会自体は今回で21回になる歴史ある大会だ。
27日の朝、石哲さんと車で会場に向かった。車では問題なく会場に着いたのだが、名古屋周辺から電車で向かおうとしていた人たちは、人身事故の影響でJRが止まってしまい多くの人が会場に到着するまで大変な苦労があったようだ。心なしか、スタート10分前の神戸町役場前は前回より人が少ないように感じた。


開会式が終わると、夜叉姫にまつわる龍神様の勇壮な踊りが披露された。龍がとぐろを巻くと、おもむろに夜叉姫が龍の中から登場する。この踊りはなかなか見ごたえがあるものだ。夜叉姫が登場すると、絶好のシャッターチャンスとばかりにカメラを構えた人が前に集まっていた。


龍神様の踊りが終わり、午前11時にスタートする。この日の距離は45キロだ。いつの間にか遅れていたランナーもぎりぎり間にあったようだ。電車で来ていたよっぴーさんやうっちゃんの顔も見えた。スタートして直ぐに日吉神社に立ち寄る。入口では地元の太鼓保存会による太鼓が打ち鳴らされていた。

日吉神社の本殿でマラニックの無事を祈願してコースに戻る。

その後、夜叉ヶ池伝説で龍神に嫁入りすることになった夜叉姫の父親である安八太夫安次の子孫だという第47代「石原伝兵衛」氏宅の夜叉堂に立ち寄る。これもコースの一部だ。

その後は、緩やかだが徐々に登坂の道となり、真夏の太陽が照りつけるなか、ひたすら前に進んだ。昨年は、雨の中で気温は22~23℃と例年より10℃以上も気温が低くかったが、今回は30℃を超える気温にすでになっていた。暑くて水や氷を被ってばかりでカメラを構える余裕もなく、ひたすらゴールを目指した。もう走りたくなくなっていたが、後半になるとみどさんが追いついてきてゴールまで一緒に走る。独りだったら、ほとんど歩いていただろうが話し相手がいると走れるものだ。7時間ほどで第1ステージの遊ランドにゴールする。遊ランドでは、夜叉ヶ池伝説にまつわる道中祭が行われており、出店や出し物で賑わっていた。道中祭の会場では、顔見知りのランナーたちと一緒に弁当を食べた。お風呂にも入り、ビールを飲んで食事を終えればもう終わってしまいたい気分になる。

参考1:第1ステージのコース平面図

参考2:第1ステージのコース断面図

しかし、本当の山場は第2ステージだ。シャトルバスでこの日の宿泊先である坂内交流センターに向かう。広い体育館の中で、毛布一枚での雑魚寝の後、翌日午前2時半に起床する。30分ほどで、朝食と身支度を整えグランドに集合する。

よっぴーさんとうっちゃんも快調そうだ。

そして、午前3時30分に第2ステージがスタートする。第2ステージは、第1ステージの倍である90キロを走る。通算で、66キロ地点で林道が終ると鳥居が見えてきた。

鳥居先のエイドで、トレイルシューズに靴を履き替え、夜叉ヶ池に向かう登山道に入る。

樹林帯の中を抜けると、空が大きく開け、巨大な夜叉壁と呼ばれる岩壁と細い滝の流れが見えた。滝は、「昇竜の滝」と呼ばれ、竜が空に昇っていくように見えることから名づけられたようだ。

巨大な「夜叉壁」は、クサリやロープが続くきついのぼりである。


「夜叉壁」を登り切り、木の階段を少し下ると目的地の夜叉ヶ池に到着する。標高1,100メートルにある夜叉ヶ池は、古来より水が涸れたことがないという神秘的な池で昔から雨乞いの池、また伝説の池として知られている幽玄な池である。まさに夜叉ヶ池伝説にふさわしい場所だ。


これは、登山道途中にある「幽玄の滝」だ。看板には「夜叉姫がこの滝の水で肌を清めて聖域に入り地底へ下り、身を潜めたという。滝の水は肌を若返らせ長寿が叶うとも伝わる。仙境の地にて所在わからず、幻の滝と言われていたが、遊歩道コース新設の折に不思議と出現したものである」と書かれている。

再び登山道入り口のエイドに戻り、靴を履き替えひたすらゴールを目指す。もうかなりのランナーが下山し後続ランナーは少なくなっていた。帰りは下り坂だが、下りでもあまり速く走れない。暑いのもあるが、スタミナもなくなっていた。楽しみにしていたエイドには、スイカが売り切れとなり、かき氷機が壊れたとかで、氷の塊にシロップがかかっていただけであった。やむを得ず、氷をかじり冷たいシロップで喉を潤した。
山を下りてからは、第1ステージ同様写真を撮る余裕もなく、ただただ前に進むのみだった。ただ、昨年見た「夜叉姫お迎え岩」だけを確認したくて、そこだけを探していた。「夜叉姫お迎え岩」は川上から左に大きくカーブする左側の深瀬橋で坂内川を渡る途中橋の上右に見える。夜叉姫が龍神の元に嫁ぐ道中二人が近くに来ると、坂内川に棲む魚族はたいそう歓迎した。ここを二人が立ち去った後、普通の岩が魚の頭の姿になったと言われている伝説の岩だ。どうでしょう?魚の頭に見えませんか!

さて、その後の足の運びはまったく進まず、通算93キロ地点の坂内交流センターの関門(12時)に間に合うことができなかった。昨年同様同じ場所で、私の「夜叉ヶ池伝説マラニック」は終わりとなった。7月の暑い時期に、2日間で135キロという距離を走るのは、並大抵ではない。しかし、そんな条件下でも多くのランナーが完走していた。やはり「夜叉ヶ池伝説マラニック」は十分なトレーニングを積んだ者でしか完走できない大会だ。自分のトレーニング不足を痛感したのであった。
参考3:第2ステージのコース断面図(コース平面図はGPSの受信状態が悪く正確な図面が描かれなかった)
27日の朝、石哲さんと車で会場に向かった。車では問題なく会場に着いたのだが、名古屋周辺から電車で向かおうとしていた人たちは、人身事故の影響でJRが止まってしまい多くの人が会場に到着するまで大変な苦労があったようだ。心なしか、スタート10分前の神戸町役場前は前回より人が少ないように感じた。


開会式が終わると、夜叉姫にまつわる龍神様の勇壮な踊りが披露された。龍がとぐろを巻くと、おもむろに夜叉姫が龍の中から登場する。この踊りはなかなか見ごたえがあるものだ。夜叉姫が登場すると、絶好のシャッターチャンスとばかりにカメラを構えた人が前に集まっていた。


龍神様の踊りが終わり、午前11時にスタートする。この日の距離は45キロだ。いつの間にか遅れていたランナーもぎりぎり間にあったようだ。電車で来ていたよっぴーさんやうっちゃんの顔も見えた。スタートして直ぐに日吉神社に立ち寄る。入口では地元の太鼓保存会による太鼓が打ち鳴らされていた。

日吉神社の本殿でマラニックの無事を祈願してコースに戻る。

その後、夜叉ヶ池伝説で龍神に嫁入りすることになった夜叉姫の父親である安八太夫安次の子孫だという第47代「石原伝兵衛」氏宅の夜叉堂に立ち寄る。これもコースの一部だ。

その後は、緩やかだが徐々に登坂の道となり、真夏の太陽が照りつけるなか、ひたすら前に進んだ。昨年は、雨の中で気温は22~23℃と例年より10℃以上も気温が低くかったが、今回は30℃を超える気温にすでになっていた。暑くて水や氷を被ってばかりでカメラを構える余裕もなく、ひたすらゴールを目指した。もう走りたくなくなっていたが、後半になるとみどさんが追いついてきてゴールまで一緒に走る。独りだったら、ほとんど歩いていただろうが話し相手がいると走れるものだ。7時間ほどで第1ステージの遊ランドにゴールする。遊ランドでは、夜叉ヶ池伝説にまつわる道中祭が行われており、出店や出し物で賑わっていた。道中祭の会場では、顔見知りのランナーたちと一緒に弁当を食べた。お風呂にも入り、ビールを飲んで食事を終えればもう終わってしまいたい気分になる。

参考1:第1ステージのコース平面図

参考2:第1ステージのコース断面図

しかし、本当の山場は第2ステージだ。シャトルバスでこの日の宿泊先である坂内交流センターに向かう。広い体育館の中で、毛布一枚での雑魚寝の後、翌日午前2時半に起床する。30分ほどで、朝食と身支度を整えグランドに集合する。

よっぴーさんとうっちゃんも快調そうだ。

そして、午前3時30分に第2ステージがスタートする。第2ステージは、第1ステージの倍である90キロを走る。通算で、66キロ地点で林道が終ると鳥居が見えてきた。

鳥居先のエイドで、トレイルシューズに靴を履き替え、夜叉ヶ池に向かう登山道に入る。

樹林帯の中を抜けると、空が大きく開け、巨大な夜叉壁と呼ばれる岩壁と細い滝の流れが見えた。滝は、「昇竜の滝」と呼ばれ、竜が空に昇っていくように見えることから名づけられたようだ。

巨大な「夜叉壁」は、クサリやロープが続くきついのぼりである。


「夜叉壁」を登り切り、木の階段を少し下ると目的地の夜叉ヶ池に到着する。標高1,100メートルにある夜叉ヶ池は、古来より水が涸れたことがないという神秘的な池で昔から雨乞いの池、また伝説の池として知られている幽玄な池である。まさに夜叉ヶ池伝説にふさわしい場所だ。


これは、登山道途中にある「幽玄の滝」だ。看板には「夜叉姫がこの滝の水で肌を清めて聖域に入り地底へ下り、身を潜めたという。滝の水は肌を若返らせ長寿が叶うとも伝わる。仙境の地にて所在わからず、幻の滝と言われていたが、遊歩道コース新設の折に不思議と出現したものである」と書かれている。

再び登山道入り口のエイドに戻り、靴を履き替えひたすらゴールを目指す。もうかなりのランナーが下山し後続ランナーは少なくなっていた。帰りは下り坂だが、下りでもあまり速く走れない。暑いのもあるが、スタミナもなくなっていた。楽しみにしていたエイドには、スイカが売り切れとなり、かき氷機が壊れたとかで、氷の塊にシロップがかかっていただけであった。やむを得ず、氷をかじり冷たいシロップで喉を潤した。
山を下りてからは、第1ステージ同様写真を撮る余裕もなく、ただただ前に進むのみだった。ただ、昨年見た「夜叉姫お迎え岩」だけを確認したくて、そこだけを探していた。「夜叉姫お迎え岩」は川上から左に大きくカーブする左側の深瀬橋で坂内川を渡る途中橋の上右に見える。夜叉姫が龍神の元に嫁ぐ道中二人が近くに来ると、坂内川に棲む魚族はたいそう歓迎した。ここを二人が立ち去った後、普通の岩が魚の頭の姿になったと言われている伝説の岩だ。どうでしょう?魚の頭に見えませんか!

さて、その後の足の運びはまったく進まず、通算93キロ地点の坂内交流センターの関門(12時)に間に合うことができなかった。昨年同様同じ場所で、私の「夜叉ヶ池伝説マラニック」は終わりとなった。7月の暑い時期に、2日間で135キロという距離を走るのは、並大抵ではない。しかし、そんな条件下でも多くのランナーが完走していた。やはり「夜叉ヶ池伝説マラニック」は十分なトレーニングを積んだ者でしか完走できない大会だ。自分のトレーニング不足を痛感したのであった。
参考3:第2ステージのコース断面図(コース平面図はGPSの受信状態が悪く正確な図面が描かれなかった)
