まずは、トリックアート編 クイズの答。
クイズ1:AとBの色は同じか? 同じ。
クイズ2:一番高い場所はどこか? 無限ループなのでどことも言えない。
クイズ3:三角形の中心にある色は何色か? 緑
クイズ4:ワインの後ろにいる動物は? イルカ
クイズ5:柱は何本? 上で見れば5本、下で見れば7本
クイズ6:どっちの紐が長い? どっちも同じ長さ(写真がななめだったので、違って見えるが…)
さて、トリックアートを見てからは、那須ロープウェイ乗り場まで行ってみたが、曇り空で強風が吹きまくりロープウェイは止まっていた。ちょうど下山してきた登山者に聞いてみたら、峠では0℃だったということで強風と低温でそうそうに引き返してきたらしい。我々もそれを聞いて、この日の登山を断念して近場を観光することにした。
まず寄ったのが、「殺生石」である。有名な九尾の狐にまつわる伝説の石がある場所だ。
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謂れは下記の通り。
平安時代、中国やインドで絶世の美女に化け悪行を重ね、遂に日本の天皇まで取り込んでしまった。陰陽師だった阿部泰成は美女の正体を見破ると上総介広常と三浦介義純の両名に命じて追討させた所、美女は九尾の狐に姿を変え大きな傷を負いながらこの地へ落ち延び、怨みながら巨大な石となった。数百年の間九尾の狐の怨みは消えず、巨大な石は毒気を吐き、周辺住民や家畜に害を及ぼしたが、室町時代に入り会津示現寺住職の源翁和尚が怨みを封じようやく毒気も少なくなったと語りつたえられてる。
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元禄2年には松尾芭蕉も奥の細道行脚際、殺生石を見学し「石の香や 夏草赤く 露あつし」の句を残し日記には「石の毒気いまだ滅びず、蝶蜘蛛のたぐひ真砂の色の見えぬ程にかさなり死す。」と書き残している。
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殺生石へ行くまで木道を進んでいくと、「教傅地獄」という場所がありお地蔵さんが無数に並んでいる。なんとなく不気味な場所だ。
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教傅地獄の謂れは下記の通りだ。
1318年頃、奥州白河にあった蓮華寺に"教傅"という手の付けられない悪童が預けられたという。教傅は行いが改善されぬまま大人になり28歳になると住職となり実母と寺で住むようになった。元亨元年(1336)の時、教傅は友人達を連れ添って那須温泉に遊興しようとした朝、旅支度が出来ていない事に腹を立て母親の出した朝食を足蹴にしてしまう。教傅は那須温泉に着き殺生石を見学に来たところ、急に雷鳴が轟き、地割れから溶岩が流れ出し、友人達は逃げたが教傅は金縛りにあったように硬直し飲み込こまれてしまった。誰しも教傅の悪行に天罰が下ったと悟り、後の享保5年に地蔵を建立し親不孝のいましめとしたという。
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教傅地獄の先に「殺生石」がある。柵で囲われた先には、しめ縄がかけられた黒くて大きい石があり、どうやらそれが殺生石らしい。あたりは、硫化水素ガスのにおいで気持ち悪いくらいだ。確かに、殺生石に近づいたら命はないだろう。
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柵の手前には、レンジャーの人がいて柵の中に人が入らないよう監視しているようだ。
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木道をぐるっと回っていくと、「盲蛇石」がある。
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「盲蛇石」の謂れは下記の通り。
昔、五左ェ門という湯守が晩秋に一匹の大蛇に出会った。大蛇は盲目でうずくまっていたので、五左ェ門は"この様子ではとても冬は越せないだろう"と思い小屋を作り大蛇の住まいとした。春になって五左ェ門が小屋を覗いたが、すでに大蛇の姿がなく、かわりに一面湯の花で埋め尽くされていた。湯の花の作り方を伝授されたと感じた村人達は蛇の首に似たこの石を"盲蛇石"と名付け信仰の対象となったそうだ。
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その後は、「お菓子の城」や「那須ラスクテラス」などでスイーツの試食三昧してから宿に向かった。この日は、三斗小屋温泉に泊まる予定であったが、峠を歩いて越えないと行けない場所なのでキャンセルしてしまい、観光協会で紹介してもらった大丸温泉に急遽宿泊することにした。那須ロープウェイに一番近い宿で、夕食はなかなか豪華だった。
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翌日は、那須岳の紅葉を見た後、「元湯鹿の湯」に寄る。那須温泉発祥の湯として知られている鹿の湯は、昔ながらの湯治場として現役で使われている。火山ガスの出る観光ポイント、殺生石の近くにある。湯川をまたぐ形で温泉の建物がある。川の向こう側が風呂になっている。
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温泉の成分は非常に強く、白濁して強い酸性である。硫黄臭も強い。温泉成分表によると、湯温52度、PHは2.2(強い酸性)である。男湯の湯船は6つあり、41度、42度、、43度、44度、46度、48度となっている。女湯は41度、42度、、43度、44度、46度の5つの湯船があるようだ。私は熱いのは苦手なので、44度まで入ってそれ以上は入らなかった。48度なんて火傷するかと思うほどの熱さだろう。
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外には、湯の素採取場もある。
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お昼は、GSで紹介してもらった有名な蕎麦屋に立ち寄る。「那須高原 清流の里」という場所で、那須連峰の伏流水を利用した透明度抜群の水のきれいな釣堀があり、そこに放流されたいわなやニジマスを釣り上げることができる。隣接した食堂では、こだわりの手打ちうどんやそばをいただくこともできる。有名人もよくここに蕎麦を食べに来るらしい。
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さて、那須高原に来てすぐに気になったのが、那須街道沿いの全国チェーン店のセブンイレブンやガスト、ココスなどの看板が茶色っぽくて見慣れている色でなかったことだ。
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その真相は、那須街道は国が指定する自然公園(日光国立公園)の区域にある為、景観条例により、いくつか規制を受けているからだという。特に広告物は「こげ茶色、文字は原色をさけ、原則として白色又は黒色」と決まりがあるそうだ。御用邸に繋がる那須街道にふさわしい看板にするように!という行政指導もあり、よく見るとどの看板も茶系統であることがわかる。那須高原に行ったら、看板を注意してみるといいだろう。
帰り道の那須街道には、天気が良くなって紅葉狩りに向かう車が次第に増えてきていた。
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「2013那須岳登山」に続く。
クイズ1:AとBの色は同じか? 同じ。
クイズ2:一番高い場所はどこか? 無限ループなのでどことも言えない。
クイズ3:三角形の中心にある色は何色か? 緑
クイズ4:ワインの後ろにいる動物は? イルカ
クイズ5:柱は何本? 上で見れば5本、下で見れば7本
クイズ6:どっちの紐が長い? どっちも同じ長さ(写真がななめだったので、違って見えるが…)
さて、トリックアートを見てからは、那須ロープウェイ乗り場まで行ってみたが、曇り空で強風が吹きまくりロープウェイは止まっていた。ちょうど下山してきた登山者に聞いてみたら、峠では0℃だったということで強風と低温でそうそうに引き返してきたらしい。我々もそれを聞いて、この日の登山を断念して近場を観光することにした。
まず寄ったのが、「殺生石」である。有名な九尾の狐にまつわる伝説の石がある場所だ。
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謂れは下記の通り。
平安時代、中国やインドで絶世の美女に化け悪行を重ね、遂に日本の天皇まで取り込んでしまった。陰陽師だった阿部泰成は美女の正体を見破ると上総介広常と三浦介義純の両名に命じて追討させた所、美女は九尾の狐に姿を変え大きな傷を負いながらこの地へ落ち延び、怨みながら巨大な石となった。数百年の間九尾の狐の怨みは消えず、巨大な石は毒気を吐き、周辺住民や家畜に害を及ぼしたが、室町時代に入り会津示現寺住職の源翁和尚が怨みを封じようやく毒気も少なくなったと語りつたえられてる。
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元禄2年には松尾芭蕉も奥の細道行脚際、殺生石を見学し「石の香や 夏草赤く 露あつし」の句を残し日記には「石の毒気いまだ滅びず、蝶蜘蛛のたぐひ真砂の色の見えぬ程にかさなり死す。」と書き残している。
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殺生石へ行くまで木道を進んでいくと、「教傅地獄」という場所がありお地蔵さんが無数に並んでいる。なんとなく不気味な場所だ。
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教傅地獄の謂れは下記の通りだ。
1318年頃、奥州白河にあった蓮華寺に"教傅"という手の付けられない悪童が預けられたという。教傅は行いが改善されぬまま大人になり28歳になると住職となり実母と寺で住むようになった。元亨元年(1336)の時、教傅は友人達を連れ添って那須温泉に遊興しようとした朝、旅支度が出来ていない事に腹を立て母親の出した朝食を足蹴にしてしまう。教傅は那須温泉に着き殺生石を見学に来たところ、急に雷鳴が轟き、地割れから溶岩が流れ出し、友人達は逃げたが教傅は金縛りにあったように硬直し飲み込こまれてしまった。誰しも教傅の悪行に天罰が下ったと悟り、後の享保5年に地蔵を建立し親不孝のいましめとしたという。
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教傅地獄の先に「殺生石」がある。柵で囲われた先には、しめ縄がかけられた黒くて大きい石があり、どうやらそれが殺生石らしい。あたりは、硫化水素ガスのにおいで気持ち悪いくらいだ。確かに、殺生石に近づいたら命はないだろう。
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柵の手前には、レンジャーの人がいて柵の中に人が入らないよう監視しているようだ。
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木道をぐるっと回っていくと、「盲蛇石」がある。
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「盲蛇石」の謂れは下記の通り。
昔、五左ェ門という湯守が晩秋に一匹の大蛇に出会った。大蛇は盲目でうずくまっていたので、五左ェ門は"この様子ではとても冬は越せないだろう"と思い小屋を作り大蛇の住まいとした。春になって五左ェ門が小屋を覗いたが、すでに大蛇の姿がなく、かわりに一面湯の花で埋め尽くされていた。湯の花の作り方を伝授されたと感じた村人達は蛇の首に似たこの石を"盲蛇石"と名付け信仰の対象となったそうだ。
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その後は、「お菓子の城」や「那須ラスクテラス」などでスイーツの試食三昧してから宿に向かった。この日は、三斗小屋温泉に泊まる予定であったが、峠を歩いて越えないと行けない場所なのでキャンセルしてしまい、観光協会で紹介してもらった大丸温泉に急遽宿泊することにした。那須ロープウェイに一番近い宿で、夕食はなかなか豪華だった。
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翌日は、那須岳の紅葉を見た後、「元湯鹿の湯」に寄る。那須温泉発祥の湯として知られている鹿の湯は、昔ながらの湯治場として現役で使われている。火山ガスの出る観光ポイント、殺生石の近くにある。湯川をまたぐ形で温泉の建物がある。川の向こう側が風呂になっている。
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温泉の成分は非常に強く、白濁して強い酸性である。硫黄臭も強い。温泉成分表によると、湯温52度、PHは2.2(強い酸性)である。男湯の湯船は6つあり、41度、42度、、43度、44度、46度、48度となっている。女湯は41度、42度、、43度、44度、46度の5つの湯船があるようだ。私は熱いのは苦手なので、44度まで入ってそれ以上は入らなかった。48度なんて火傷するかと思うほどの熱さだろう。
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外には、湯の素採取場もある。
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お昼は、GSで紹介してもらった有名な蕎麦屋に立ち寄る。「那須高原 清流の里」という場所で、那須連峰の伏流水を利用した透明度抜群の水のきれいな釣堀があり、そこに放流されたいわなやニジマスを釣り上げることができる。隣接した食堂では、こだわりの手打ちうどんやそばをいただくこともできる。有名人もよくここに蕎麦を食べに来るらしい。
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さて、那須高原に来てすぐに気になったのが、那須街道沿いの全国チェーン店のセブンイレブンやガスト、ココスなどの看板が茶色っぽくて見慣れている色でなかったことだ。
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その真相は、那須街道は国が指定する自然公園(日光国立公園)の区域にある為、景観条例により、いくつか規制を受けているからだという。特に広告物は「こげ茶色、文字は原色をさけ、原則として白色又は黒色」と決まりがあるそうだ。御用邸に繋がる那須街道にふさわしい看板にするように!という行政指導もあり、よく見るとどの看板も茶系統であることがわかる。那須高原に行ったら、看板を注意してみるといいだろう。
帰り道の那須街道には、天気が良くなって紅葉狩りに向かう車が次第に増えてきていた。
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「2013那須岳登山」に続く。