ITSを疑う

ITS(高度道路交通システム)やカーマルチメディア、スマホ、中国関連を中心に書き綴っています。

自動運転に関するまとめ その3

2015年01月26日 | 自動運転
承前

4.Googleが自動車会社を駆逐する?

AppleのCarPlayやGoogleのAndroid Autoがカーメーカーにとって脅威となる、というような記事が,特にIT系メディアでは見受けられる。
しかし,実際にはそんなことはない。少なくとも今時点のこれらは,単にもともとスマホができること(音声認識,ナビ,メール,音楽等)を自動車車内で安全に使うためのものであり,特段革新的な事ができるわけではない。「安全に使う」というのがキーで,何かを出来るようにするのではなく逆に「できることを制限する」プラットフォーム。

一部の論調では,アップルやGoogleが車載OSを牛耳れば車の制御も行うようになる,というのもあるけど,これはそんなに簡単な事ではない。
車の制御はCAN通信で行われており,基本的に各カーメーカーは公開していない。
CAN情報を読むだけならまだ簡単で故障診断装置などはアフターマーケットでも販売されているが,CANに介入することはカーメーカーの許諾なくしてはできない。
市場ではリバース・エンジニアリングで解析した自動ドアロックやアラームなどが存在するが,カーメーカーの承認はとれていない。

市販用品屋の世界ならそれでも良いけど,アップルやGoogleはそんなリスクを犯すとは思えず,カーメーカーとのタイアップで進めるしか無い。もちろん,カーメーカーが彼らに主導権を渡すわけがない。

一方,御存知の通りGoogleは自社で自動運転車を作り,試験走行を進めている。彼らは何を狙っているのか?交通事故死をなくすという社会的使命感で始めたという話はおそらく本当だろう。しかし,今となっては更に先を見据えているはずだ。

自動運転の補助として手動運転が残存するかぎり自動車メーカーに優位性はのこる。
車の制御に関するカーメーカーの蓄積は,新参企業が短時間で真似できるものではない。

しかし,完全自動運転の世界になったらどうか?
車の制御はより単純化される。すべての運転は想定された加速,減速のもとに行われる。
さらに,電動車ということになれば出力制御はさらに容易になる。

性能差がなくなれば,ハードウェアの優劣は信頼性とコストの世界になるだろう。
しかもカーメーカーが蓄積したノウハウが要らないとなれば,なおさらカーメーカーの優位性はなくなる。
もちろん,だからといってGMやトヨタという大企業が消滅するとは思えず,彼らは彼らなりの進化をすることになるのだが,この時「地図情報」と「ビッグデータ処理能力」をもつGoogleが,すでに「自動運転に関して先駆的なノウハウ」と持っていたら,市場の主導権を握るキープレーヤーの一つになることは間違いない。

WEB上では,そうした世界になればGoogleは無料の自動運転タクシーを走らせ,車内での広告でビジネスをするのではというような記事もあるが,もっと包括的なビジネスを狙っているのだろう。
広告付き無料タクシーというビジネスモデルが成立するなら,今すぐにだってできる。

自動運転に関するまとめ その2

2015年01月25日 | 自動運転
承前

3.完全自動運転の世界

遠い将来像を描くなら,すべての車は通信機器を備え,行政が管理するサーバーで処理され,すべての交通流が自動運転でスムースに流れる様になる世界だろう。
ここまで来ると交通渋滞は殆ど解消される。例えば信号待ちからの発進はすべての車が同時にスタートする。
いや、もしかしたら交差点では双方からくる車がどちらも止まらずに通過できる様になるかもしれない。
これはかなり先の未来の話であり,私が目にすることは多分ないだろう。

しかし,いずれはそうなる。そうした世界では,少なくとも車両の運行制御はルールに基づいて画一化され,カーメーカーの独自技術やノウハウは意味を持たなくなる。公共交通機関の乗り物に近いイメージとなる。
こうした世界が実現すると,自動車という耐久消費財に対する考え方が根本から変わってくることになる。

まず,自宅の車庫という概念がいらなくなる。
車は乗りたいときに呼べば,家の前まで自分でやってくる。バットモービルの世界。
行政が地下にでも共同駐車場のようなものをつくり,走っていない車は常にそこに収納されていればいい。
出先でも同じことで,駐車場を探す必要はない。降りたら車は自分で駐車場に入る。

さらに,車という商品には走行性能による差別化がなくなる。
すべての車は同じ加速,同じ最高速度で走り,同じように減速しカーブを曲がり,同じように止まる。
高性能車を所有する意味は全く無くなる。実質的に差別化できるものは乗り心地,内装の快適性やインカーエンターテイメントだけになる。
自動車メーカーは商品企画に対する考え方を根本から変えなくてはならなくなる。

さらに言えば、自動車メーカーは主導権をにぎることができなくなるだろうという論調もある。
次回はこの辺を考えてみたい。

自動運転に関するまとめ その1

2015年01月21日 | 自動運転
自動運転についてまとめてみようと思います。
かなり長くなるので何回かに分けて掲載していきます。

1.はじめに-なぜ自動運転なのか?
今年(2015年)のアメリカコンシューマーエレクトロニクスショー(CES)における自動車関連展示の中心は自動運転。ベンツ,アウディ,BMWといったドイツ系各社を始めとする各社が自社の技術を発表していた。正直,ドイツ勢がここまで本腰を入れている事に驚いた。車+通信は,すでに陳腐化してしまった「テレマティクス」から「コネクテッド・カー」と名前が変わったものの,それ自身ではここに至っても目新しい動きはなく,それも含めた中での「自動運転」がこれからのITSの最も重要なキーワードになることは間違いない。

自動運転はいわゆる「Fun to Drive」とは対極にあり,それをウリ文句にしてきたカーメーカーにとってはある種の自己矛盾となる。
一方で,我が国で年間5000人,アメリカで年間3万人に上る交通事故死のほとんどがヒューマンエラーに起因し,それを自動車というハードウェア側で減らすことができるのであれば,そちらに向かうことは当然カーメーカーの責務である。
さらに,自動運転は高齢者,障がい者のモビリティを飛躍的に向上させる。
これらを勘案すれば,将来車が自動運転になることは規定路線だと言える。

2.ASV
(1)ASVは自動運転への通過点
レーダや画像認識及びそれらの組み合わせによる自動ブレーキを中心に,自律安全機構がいま最も注目されている。こうした装備を備えた車を総称しASV(先進安全自動車)と呼ぶ。これが更に進化していくことは間違いなく,いわゆる「高度運転支援」の段階に到る。しかし,高度運転支援はあくまで運転支援であり,運転者の介在は必須であることから自動運転とは依然一線を画すものであり,この延長線上に有るゴールが自動運転だと考えるとわかりやすい。

(2)通信型か自律型か
ASVを実現する方法は大きく分けて二通りある。車両に搭載されたレーダーやカメラにより障害物を検知しするタイプ(ここでは自律型と呼ぶ)と,車両に搭載された通信装置が道路,他の車両,歩行者に設置された通信装置と交信することで障害物を検知するタイプ(ここでは通信型と呼ぶ)。
現在存在する自動ブレーキ等はすべて自律型で,通信型はまだ実用化されていない。
自律型は車から(レーダーやカメラが)見えるものしか避けられないことから,通信型がその進化形なのだという考え方もあるが,私は通信は将来にわたってあくまで補助にしかなりえないと思っている。

例として車対車の衝突回避を通信で行うケースを想定しよう。
これは言うまでもなくすべての車に統一されたプロトコルを持つ通信装置が装備されなくては機能しない。それには相当の時間が必要となる。万が一が許されない世界なので,何十年もかかるだろう。
さらに,フェイルした時の責任の所在が明確で無い。どちらかの車の機器か,サーバーか,通信状況かのいずれに問題があったのか,多分双方のデータ記録でわかるだろうが,大破して全焼することだってある。自律型であれば,責任はその車にしかない。

一方で,自律型はインフラ整備が進めばさらに進化する。
例えば,車両の画像認識をより正確にするために路側帯やセンターライン,交差点等のカメラ判定を容易にするラインの引き方をルール化することは,ペンキがあればすぐにでもできる。
同様に,車対車に関しても後部にレーダ認識を確実にするための統一規格による反射板などの設置を義務つけすることは,行政側が比較的簡単にできる施策だ。

車対車の通信型はかなりハードルが高いが,道路側からの通信による情報提供で安全運転支援をすることは難しい話ではない。
実際現在日本においてはDSRC通信とETC2.0車載器による路車間通信が始まっている。
しかしこれの安全運転支援への寄与は限定的でありその普及の道は遠く,世界ITS会議などで披露されているが海外の反応も鈍い。

通信は自律型センサーで感知できない障害物(見通しの悪い交差点やカーブ)検知,あるいは信号機との協調といった,自律型を補完する形であれば有効だろう。
(続く)

自動運転のもたらす未来

2013年11月17日 | 自動運転
「おじいちゃんが若かった頃は人が自分で車を運転していたんだよ。だから毎年何千人も事故で死んだんだ」「信じられない!」
という時代はいずれくる。技術的には既に実現可能で、しかも多くの人命を救え、渋滞も減り、エネルギー消費も押されられるのだから、これは時間の問題でしか無い。

走る喜びはなくならないから、そんな未来は来ない、と思う人もいるだろう。でも、趣味と人命・環境を天秤にかければ答えは明白。近年の若者の車離れを考えれば、そうした圧力もたいして強くなくなるだろう。

自動運転の世界では、車は同じように加速し、減速して曲がり、最高速度も規定される。
ということは、個々の車の性能差は全く意味を持たなくなる。
車の価値を決めるのは、内装の豪華さ、乗り心地の良さ、車内エンターテイメント等だけになる。

自動車メーカーが長年築いてきたノウハウの多くの部分が車両の制御だ。これは運転者の意思のままに加速し、曲がり、停まるということと、運転者のミスや想定外の使用に対するフェイルセーフということ、つまりは人間が操縦することを前提にしているものだから、自動運転では殆ど意味がない。

そうなると、自動車のブランドも余り意味を持たなくなる。
車にはそれぞれの個性があり、性能差があるからブランドに意味がある。自動運転の「移動道具」にブランド価値を見出すのは難しい。
商業バンと同じ加速、最高速のBMWを買う理由なんてあまりない。

ブランドも関係なく、官能的な運転制御性能も関係なくなるとなれば、自動車メーカーの優位性はなくなる。

キーとなるのは、大量の交通を制御する技術であり、そのノウハウは公共交通システムなどを手がけている電機メーカーにある。
車両本体は誰にでも作れ、電動車が増加するとなると、電機メーカーの参入障壁は低くなるだろう。
さらに、性能差がなくなり、安全性が交通制御で保証されるとなれば、消費者の選択はコストでしなかくなる。
自動車メーカーの統廃合は避けられない。

バッグや時計は、廉価品と性能には差がないがブランドが存在している。これは所有満足価値ってやつだけど、それすらも怪しい。
自動運転になれば、使いたい時に呼べば車が自分でやって来る、という世界も簡単に実現する。となると、車を所有する意味もなくなる。
金持ちは自分専用の豪華内装大型車を所有するかもしれないが、普通の消費者はもう車に所有価値を見出さないかもしれない。

生活道路まで自動運転になるにはまだ何十年もかかるだろうが、いずれはそうなる。
それは社会は勿論、自動車産業の構造を根本から変えてしまうことになるだろう。

自動運転に関するビジネスジャーナルの記事がひどい。

2013年11月10日 | 自動運転
まずはこの記事。
警察庁と国交省が激怒!トヨタが首都高で“違法”自動運転を実演
サイゾー系の「ビジネスジャーナル」によるもので、役所の硬直的な態度に批判が集まったが、その後どっからもフォローがなく、怪しいなと思っていた。
案の定、11月9日に安倍首相を載せた自動運転車が公道を走り、TVニュースでは公道上でドライバーが手を放すシーンが映っている。
もしビジネスジャーナルが言っていることが事実なら、こんなことは絶対にありえない。
ちょっとした知り合いレベルの関係者から聞いた個人的感想みたいなものを記事にしているだけとしか思えない。

この「ビジネスジャーナル」が同じく9日に掲載した記事。
迫る自動車革命、主役はグーグル?勢いづく燃料電池車、劣勢のEV…激化するエコカー戦争
これもかなりひどい内容。

記事は殆ど引用で、その引用の部分はいいけど、最後の記者の感想と思われる部分がひどい。

「自動運転が普及すれば高齢者や女性も顧客になれば、より便利になり-略-かつてAT(オートマティック)車が普及し、都市部の渋滞が加速したように、自動車がより便利になれば渋滞はより深刻なものになるのではないか。」

ATが普及し都市部の渋滞が加速したって話は初めて聞いた。根拠が全く分からない。だれでも車に乗れるようになって車が増えたってこと?
自動運転になれば数珠つなぎの車が時速60キロで走ったり、交差点をどちらも止まらずに通過できたりする。通行量が増えても渋滞は確実に減少する。
それ以上に、今まで自分で運転できなかった老人や障害者へモビリティをもたらす福音や、交通事故低減効果の方ががはるかに大きい。

「当初はスマホもいいことばかりが喧伝されたが、歩きスマホに子どものスマホ中毒、電車のなかでもノルマに追われた営業マンは通話し放題で、スマホは便利さと同時に多くのトラブルとストレスも社会にもたらすようになった。便利さに依存しすぎる人間(とそれを加速させる企業)をコントロールできる方法も、スタンフォード大学のセンセイには考えていただきたいものだ。」

メリットとデメリットの比較のレイヤーやレベルが違いすぎて議論になっていない。中学生と話をしているようだね。

何故YAHOOはこの低レベルなニュースサイトをポータルに掲載しているのだろうか。

自動運転が自動車産業にもたらすインパクトは実はそんなところにはない。
この先自動車産業は消滅する危険性もある。最大のライバルは日立等のインフラ交通系企業。これについてはおいおい書いていく。

自動運転と商品としてのクルマ

2013年10月28日 | 自動運転
ITS世界会議2013東京で最も注目された技術は自動運転だったように思う。メディアが取り上げたのも自動運転関係ばかりだった。
自動運転は交通事後を劇的に減らすことができる。安全の観点からいえば将来的に車が自動運転になることは既定路線だと言っていいだろう。

自動運転はFUN TO DRIVINGと対極に位置する。何らかの共存ができないか、という自動車評論家もいるようだが、それはないだろう。運転を趣味として楽しみたいならサーキットに行けばいい、という時代になる。

しかし、ドイツ人は簡単にはうんと言わないだろう。

ITS世界会議でもBMWの安全担当VPであるコンバス氏は「自動車の安全性が自動運転の一番の 目的ではないと思う」と発言した。
そして、高速道路での完全自動化を否定し、自動運転技術はあくまで安全補助装置であるした。

それはそうだろう。自動運転の世界では加速性もコーナリングも最高速も関係ない。どの車も同じように加速し、制限速度で走る。
「駆け抜ける喜び」のBMWにとっては想像したくない未来だ。BMWの役員が高速道路での自動運転を否定するのは当然のことだろう。

しかし、最初に言ったとおり人命尊重の立場からいえば、いずれ車が自動運転になることは間違いない。

そうなった時に、人はどういった基準で車を選ぶのだろうか?
果たして「高級車ブランド」は維持されるのだろうか?

シロモノ家電のように、全く所有者の個性を表さない単なる生活道具となってしまうのか?
それとも時計のように、たとえ基本性能に差がなくても高級ブランドが維持されていくのだろうか?

自動車メーカーは今から考えておいた方がいいと思う。

自動運転の将来

2013年10月14日 | 自動運転
本日、世界ITS会議東京が開幕した。
今回の目玉はなんといっても自動運転だろう。最近の国際モーターショーでも最もホットな話題となっている。
デモ走行を用意しているDSRCのITSのスポットはその蔭にかくれてしまったかのようだ。

高速道路の自動運転に関して言えば、今ある技術で通信をつかわなくとも自律機器だけで実現可能だ。
レーダーとカメラによる画像解析の組み合わせで、アクティブ型のクルーズコントロールは既に実用段階にある。
またカメラを使ったレーン認識によるハンドル操作も難しいことではない。

最大の障害は、前方に割り込んでくる車など、レーンを走る車の乱れだ。
だから、ガードレールを備えた自動走行レーンを作って、そこには途中から侵入/退出できないような仕組みが作れれば、高速道路の自動運転は今すぐ実現できる。
しかし、装置が普及しないのに囲われた専用レーンは作れないし、専用レーンがなければ装置は普及しない。
官主導で動かないとこれもなかなか始まらないだろう。高いお金をかけて東名高速を二重にしたんだから、そこで実験すればいいんじゃないか?

一方で、最近ボチボチ報道されているのがアナログTV波空き地を使った車車間通信。
先行車のアクセル、ブレーキ操作を通信で後続車に発信し、正確な運行情報を伝えることにより自動運転の制御をより確実にする、という。
トヨタが実用化に向けて検討中、カーメーカーの垣根を越えて仕様を共通化する、なんて言っているけが、これも技術的には可能だろうが一体実現に何年かかるか。
他の車にもその装置がついていないと車々間通信はできない。
多分、ある程度の車が装着していれば全体の交通流を把握して適切なブレーキ操作介入などができるのだろうが、実用に足るレベルにまで装着車が増えるのには相当な時間がかかる。

私はこの普及にいつまでかかるか分からない通信型が実現する前に画像認識+レーダーによる自立型自動運転の技術が確立すると思う。

歩行者感知システムの実現性

2008年08月16日 | 自動運転
前回から引き続き。

来年にかけて実施されるITS-Safety「安全運転支援システム」大規模実験の中の一つに、歩行者感知センサーを設置して横断者がいることを車載モニターもしくはスピーカーに警報を発して右左折時の事故を防ぐ、という項目がある。

こんなことよりも歩車分離信号がより確実でシンプルな解決策だ、と書いた。

センサーで歩行者を検知するというが、そもそも実際の運用としてうまく働くのだろうか。歩行者交通量の多い交差点では必ず警報がでることになる。
交差点進入時にモニターを見ることは危険だから、警報は音声で提供されることになるだろう。これだと、交差点進入時には大抵警報が鳴ることになり、「オオカミ少年」状態になってしまう可能性がある。

しかし、本当に危険なのは視界に入らない後方からくる自転車や、走ってくる子供などだ。こうした「本当に危険な状態」を警報音のレベルを変えるなどで選択的に警報することはある程度まで可能だろう。
でも問題は技術的にどこまでの精度が確保できるかだ。

仮に精度の高いシステムを確立できたとしても、警報は安全サイドにマージンを取ることになるだろう。行政は「警報がならならったから事故が起きた」というような訴訟を避けたい。

結局、交差点進入時には警報が鳴ることが多くなる。
警報がなれば、自分の目では安全が確認できたとしても一時停止や徐行をする。場合によってはこれは歩車分離信号よりも渋滞を引き起こすかもしれない。

やはり、歩車分離信号のほうがはるかに現実的だ。
それも、今すぐできることなのだ。車+通信はそのあとで考えればいい。

ITS-Safetyは世界に先駆けて通信を利用した安全運転支援を実用化するのだ、と言っているが、歩車分離を進めている各国からは逆に笑われるんじゃないかと思う。

DSRC活用の右折支援システムなどは典型だ。ITS世界会議で海外参加者から「なぜ右折矢印信号にしないのか」という単純な質問がでたらどうこたえるのだろうか?
信号機は警察の管轄ですから、とでもいうのかな?

シニアドライバーと運転支援

2007年05月19日 | 自動運転

少し前のことだが、接触事故を起こしたことがある。
私は片側3車線の国道で真ん中を走っていた。追い越し車線に速度を落として左にウインカーを出しているメルセデスがいるのはわかっていたのだが、まさか出てくるとは思わなかった。
普通、前方に合図を出している車がいれば譲るのだが、速度差がありすぎて通常の判断ではあえて減速してまで譲らないような状況だった、といえばなんとなくわかっていただけるだろうか。

先方のドライバーはかつて「くいしん坊万才!」に出ていた初老の俳優だった。
私の車はリヤバンパーに擦り傷が入っていたが、コンパウンドで目立たなくなると判断し、修理不要を申し出た。メルセデスはフロントパンパーがかなり変形していたが、私には関係ない。

しかし、結局俳優からは謝罪もなければ、私が自車の修理を不問にすることへの感謝の言葉もなかった。一般にはきわめて紳士的なイメージの強い俳優であり意外だったのだが、もしかしたら自分には過失がないと思っていたのかもしれない。

私は直進、先方は車線変更という状況で私の右リヤバンパーと先方の左フロントバンパーが接触したわけであり、どちらがどちらにぶつかったかは議論の余地がないのだが。

死角に入っていたのかもしれないが、やはり年齢に伴って状況判断に遅れがでることは否めないだろう。

最近、斜め後方に車両がいることをドライバーに伝えるブラインドスポット検知という装備が欧州車を中心に始まっている。
団塊世代の老齢化がこれから問題となるわが国でも、こうした安全装備の充実はきわめて重要だろう。
いつ完成するかわからない車車間通信よりも、レーダー・センサー技術によるスタンドアロンの運転支援を進めるのが先だと思う。

それ以上に最近疑問に思うのだけど、カーナビ表示がシニアドライバーにとって果たして安全なのか、ということだ。
センターパネルへの視線移動は結構大きい。そして、交差点略図などに対する理解速度は年齢とともに低下する。

理想をいえば、実際にみえている前方景色に薄くレイヤーをかぶせるように方向指示がでるのが最も安全だろう。
その前段階として、交差点略図のヘッドアップディスプレイ化があるとおもう。

運転視界にかかるヘッドアップディスプレイは現在の保安基準では認められていないが、法規制も含めて官民で検討するべきだ。