6日目
篠山城を出て道の駅「美山ふれあい広場」に着いたのは19時を回った頃でした
「何だか人に見られている様な気がしてならないの・・・」
雨のそぼ降る中・・・
時折りトイレに立ち寄る車が入って来るくらいで、ここで夜を明かす車が居たのか居なかったのか
そして迎えた10月25日
昨夜、見られていると感じたその正体は案山子御一行様でした
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ですね
ふれあい広場から山の中の細い道を15~20分(?)ほど走った頃、右に由良川を見ると其処は茅葺の里
雨に煙る一軒のかやぶき屋根
この旅で私がずっと楽しみにしていた風景です
現存する茅葺の民家は39棟
京都と若狭の中間地点に位置する北村地区の
集落の中央を通る街道は嘗ての鯖街道で多くの旅人が行き交っていたそうです
長い年月、村を見守って来たでしょう一際高いトチの木が集落に溶け込んますね
最古のもので220年前に建てられたと言う民家
背後の北山杉に護られて何と長閑な景色なのでしょう
ここも京都なんですよね
何気なく軒下に置かれた脱穀機も懐かしい
ここは民宿だったかな?資料館だったかな?
長閑そのものです
ふっくらと丸みを帯びた屋根 まさに子供の頃、読んだ絵本の世界です
各家々には放水銃の格納箱が設置されております
下の写真はパンフレットからお借りしたものですが、この地区では年2回放水訓練が行われるそうです
残念ながら訪れたのが早過ぎてこの光景を目にする事は出来ませんでしたが
この格納箱から一斉に放水されるのですね
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この日は中国からの観光客が大勢さん押しかけ、そして足早に去って行きました
観光客の姿も途絶え静けさに包まれた茅葺の里
ずっと眺めていたい日本の原風景に去りがたい気持ちを抑え小浜へと車を走らせました
知らなかった 不思議 白川郷ばかりが頭に残ってます
こちらの方がいいかも
苔むした茅葺屋根 雨で苔が青々として綺麗
白川郷ほど綺麗に管理されて無く生活感が残ってる
ここ行ってみたいな
舞鶴からそのまま帰らず寄り道できそうな感じですね
いいとこ教えてもらいました
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美山町のかやぶきの里へは、私も3回訪れています。
最初に訪れた時は、京都にこんなにも多くのかやぶき家屋が残っていることに驚きました。
行かれた時はあいにくの雨降りだったようですが、逆にしっとりと落ち着いた集落がご覧になれて
良かった面もあったように思います。
朝も早かったのでしょうが、日中ここで人の入らない写真を撮るのは至難の技です。
この近くの美山自然活用村でキャンプをしたこともあります。
今はどうか知りませんが、かやぶきバンガローというのもありました。
夜、満天の星が美しかったことを覚えています。
美山自然活用村では、りんご狩りもできるのですよ。。自然豊かな良いところですね。
雨の日でしょうか。それがまた風情がありますね。
南丹市美山町のかやぶきの里は、ここ数年は有名になりすぎて、観光客が多すぎてオーバーツーリズムが問題化しているとの記事を読んだ記憶があります。
ただし、御ブログを拝見すると、まあまあの混み具合のようですが。
このブログ内にも書かれている外国人観光客が大挙して訪れ・・大変な事態に・・。実際に見たわけではないので・・。
夏に確かお蕎麦屋さんが非常に混むようになったことも、問題になっているそうです。
この茅葺き家屋も、白川郷のように放水銃などによる消化システムで守られているそうですね。ここは若い方が住民として定着している感じですね。
茅葺きの家は、屋根の葺き替え用に良質なカヤを確保することが大変な時代になっているそうです。ある地域では、カヤを栽培し始めています。こんな時代なのですね。茅葺きの葺き替え技術者も不足気味だそうです。やや暗い話で恐縮です・・。
処です。
放水銃も備わり、貴重な建造物と文化を自分たちの手で守っているのですね。
岐阜の白川郷に友人とツーリングで立ち寄ったことを思い出しています。
茅葺屋根の葺き替えは職人もカヤも不足していて、今後の保存及び継承は厳しい状況と聞いたことがあります。
材料も職人も外国に頼らねければならない時が来るのでしょうか・・・
是非、一度訪れて下さい。 なるべく早い時間帯か遅い時間帯がお薦めです。
一斉放水も観てみたい茅葺の里の風物詩ですね。 時間が有るならば一軒だけある民宿に泊まってみるのも良いかもしれません。
“生きている内に観られて良かった!”(笑) そう思いました。
雨天は少々残念な気もしましたが逆の見方をすれば濡れて他る道、山に絡まる霧という演出効果のお蔭で狙いどうりの写真を写す事が出来ました。
茅葺バンガローは気が付きませんでしたが、ここでしたら天の川も見られるでしょうし清々しい空気の中で朝を迎える事が出来ますよね。素晴らしい体験をされたのですね。
此処は、今回の旅のハイライトだったと言っても過言では無い様な気も致します。
私も旅行誌で知り是非とも訪れたいと思い計画に入れた訳ですが実際、目の前にしますと抱いていた印象以上のものを感じました。
近年、こうした場所が消えつつ有り私が生まれた田舎も立派な文化住宅として建て直され思い出に残る家など一軒もなくなってしまいました。
此処も観光課されずに今のままの素朴さで残ってくれたらいいですね。
ただ此処は生活が今も営まれていると言う事に私達は注意を払わなければいけないのですよね。
住民も生活の場を覗かれたり表や裏の道を大勢で歩かれたら熱い夏でも戸を開け放つわけにもいかないでしょうし観光客が絶える時間帯まで緊張した時間を過ごさなくてはならないわけですものね。
ヒトリシズカさんのコメントを拝見させて頂きまして私も観光客の一人としてウロウロしていた身、お邪魔させて頂くと言った顕著な気持ちは必要ですね。
ヒトリシズカさん仰る若い方が定着していると言う事は昼間、町に働きに出ているのでしょうか。住民の姿は全く見られませんでした。
自分たちが生活できるだけの米を作り庭先には野菜や果樹を育て欲も無く自給自足の生活をしてきたのでしょうね。
屋根の葺き替えも私が育った所の様に村の相互扶助により共同作業で行われていたのでしょうが、今はそれも困難な時代となり茅葺職人に頼らざるを得なくなったと聞きます。その上に茅が不足している昨今ですから深刻な問題ですね。
それでも写真を良く見ますと新しく葺き替えされた屋根も見られるのは喜ばしい事です。
この長閑さを何時までも維持して欲しいと思いながら此処を後に致しました。