吉祥寺の直ぐ近くの岩観音に行ってみました
ロープが張られ真直に観る事は出来ませんでしたが説明書によると信州の源七作というこの磨崖仏は南北朝の戦いで命を落とした者を弔うために建立されたものだそうです。
周辺に広がる景色は田植えも終わり長閑そのものでした
一際目立つ赤い屋根(実際はもっと強烈な色)が目に留まりました。後藤伸行氏の切り絵館がこの辺りに在る様でしたので、てっきり切り絵館と思っておりましたがこの建物は別荘で有り写真、右端に写るログハウスが切り絵館でした。今回は観賞しませんでしたが、かなりの実力者の様です。
別荘の写真を写している時に「蕎麦処・和太奈部」の立札を発見。時刻は1時半、オーダーストップ、ギリギリで間に合いました。
ただ、今はコロナ禍に在る為、中の客が席を立つまでテラスで待っていなければなりませんでした。その間、庭を観賞させて頂く事に。
? シャクヤク
これもウツギなのでしょうね
クリンソウも有りました
珍しい品種のバラです
そうこうしている内に中からお声が・・・
雄さんは薬味に暮坪蕪付きのお蕎麦 凄く辛いと言う事で雄さんは飛びつきましたが辛さはそれほどでも無かったとの事。お蕎麦は二八を選びましたがこれが絶品!汁も美味しい。
私が注文した物は美味しいと言われる川場米のおにぎり付きの笊そばです。片田舎の蕎麦屋さんにしては少々お値段は高目ですが、それが納得できるお味でした。蕎麦の茹で汁は普段、飲まない私なのですが蕎麦の汁が美味しかったせいかお変わりしたい程でした。 もしかして今まで食べたお蕎麦の中で最高の美味しさだったかもしれません。 味覚は人それぞれですがお奨めの店です。吉祥寺を訪れる事が有りましたら是非
磨崖仏はいくつか見たことがありますが、この川場村の磨崖仏は何体も彫られているのと、
三百年を超える今も、風化がそれほどは進んではいないようで、かなり鮮明に残っていて
素晴らしいです。
切り絵館は国際公募展「ル・サロン」にも入選した後藤伸行氏が建築したログハウス造りの美術館で「全国切り絵コンクール」入選作品などが展示されて日本切り絵百景館というようですね。
これも機会があれば覗いて見たい場所の一つに入りそうです。
「蕎麦処・和太奈部」さんの二八蕎麦。辛味大根ではなく暮坪かぶの薬味なのですね。
暮坪かぶというのは、初めて聞きました。調べてみると収穫量は少ないようです。
これは食べてみる価値がありそうですね。
南北朝の戦いの戦没者慰霊の摩崖仏
長閑な田園地帯にひっそりと祭られてるような感じで被写体にもってこいの場所です
オーダーストップ間際に偶然入ったお蕎麦屋さん
生涯で一番おいしいかもって言わせる味どんなんだろう
食べてみたい
いいとこ見つかりましたね
吉祥寺 岩観音 そして蕎麦 最後までいいドライブです
ロープが張られてる様で、近くで見られないのが残念です
近くの田園風景も、田植えの後綺麗ですね!
自分は信州育ちでお蕎麦は好きで良く食べに行きます
蕎麦処和太奈部、名前が気に成りますが!
美味しそうなお蕎麦、余り見た事がないお蕎麦です
クリンソウ、バラなどが咲き山の中の感じがしますね。
大昔の人がここで黙々と作っていたことを想像すると、時空を超えた何かを感じますね!
岩観音、見事ですね
見たことがありません。
初めてのお店に入って
そういう出合いは
なかなかないですよね
美味しそうです♪
「暮坪かぶ」始めて知りました。
「遠野かぶ」とも呼ばれ岩手県遠野市暮坪で栽培されていて
独特の辛味と風味が特徴。
近年、蕎麦などの薬味として利用され「究極の薬味」として
グルメマンガ「美味しんぼ」に取りあげられ人気が高まって
いる様ですね。
ところで飲兵衛の地元・浜松には美味しい蕎麦の店は皆無。
たまには美味しい蕎麦が食べたいですよね。
数年前に松江で食べた出雲蕎麦が美味しかったのを思い出しました。
「蕎麦処・和太奈部」は「1分、2分でお蕎麦の上手さが変わってしまいますので運ばれたら直ぐに箸をつけて下さい」と言う程の拘りでした。 川場はお水が特に美味しい場所です。茨城からわざわざ、この様な山間部に店を構えた気持ちも解るような気がしました(ご主人は茨城、奥様は東京出身、此処へ来るまでは東京に暖簾を出していたそうです)
美味しいお蕎麦と言うのは幸せな気分になれますね。 満足な一日でした。
百名山の武尊山、赤城山を望むここで戦闘が繰り広げられていたなんて俄かに信じられない長閑さですよね。
お蕎麦、美味しかったですよ。 もしもベルさんが群馬に来られる事が有りましたら何はともあれ先ず「和太奈部」を案内したいものです。
とにかく川場はお水が豊富な場所ですので川場米と言うブランドも生まれましたし、その水で打つお蕎麦ですから当然、美味しい訳ですよね。
先ずはお蕎麦で舌鼓を打って頂き吉祥寺を廻るのは、その後ですね。 お待ちしております。
長野は家からそれほど離れておりませんので以前は碓氷峠を抜けてよく食べに行ったものでした。
昨年、旅の途中、出石の皿ソバを戴きましたが、あの蕎麦だって元は国替えに同行した蕎麦名人が広めた信州蕎麦ですものね。
そして十数年前からでしょうか、全国的に蕎麦ブームが起こり其々が腕を競い合う様になりました。私の友人もその一人です。
和太奈部は尋ねてみませんでしたが恐らく渡辺の当て字ではないかと推量しております。今度、訪れた時に尋ねてみますね。
でも地元の住職により厚く葬られ信州から石工を呼び寄せ死者の弔いをした訳ですからこの土地の人情の厚さを感じました。
popraさんのブログ、文字が大きくなりましたね、良かったです。私は老眼なものですから 小さくて読みづらかった為、お願いしようかと思っていたところでした。