続き
山が富士なら城は姫路城と言っても過言では無い程どこから眺めても優美な姿を誇っております。特に千鳥破風と唐破風の絡み合いが見事でした。 何時か行ってみたかった姫路城。その姫路城をついに目の前にしました。
西の丸より天守を望む
菱の門(伏見城からの移築と伝えられる)
油壁をはさんで左「ほ」の門と右「水一門」
迷路の様に複雑に入り組み平山城であるが故に所々に防備への知恵が垣間見られた天守への道でした。ただ実戦を計算して築城した姫路城ではありましたが皮肉にも一度も「戦争」を知らずに済んだ事が幸いし今日にその美しさを留めている訳ですよね。(城内写真などアルバムには大天主心柱・回廊と武具掛・千姫の化粧櫓等々他にも多数、貼って有りますが割愛いたしました)
京都で下車するつもりは有りませんでしたが折角でしたので京都駅にほど近い東本願寺に立ち寄り清水寺を目指します。
時間も時間でしたので清水寺は外から眺めただけでした。その前の朝日堂さんで購入した小皿と湯滴天目ぐい飲み。予定外の京都はまさに駆け足状態でした。 コメント欄は閉じますが、もし姫路城について一言頂けるならば嬉しいです。
2010/11/06 姫路城大天守保存修理.wmv
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https://www.youtube.com/watch?v=WLPmsKhFeZ4
2013/06/09 ぶらり歩こう会 + 姫路城大修理ほか
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https://www.youtube.com/watch?v=mIJpcb1PRfc
2016年03月30日 ようこそ姫路城へ!
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https://blog.goo.ne.jp/goo221947/e/81df0eb1e3e271b2c3fa61fbe5ae8539
2016年04月03日 姫路城のほんの一部分
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https://blog.goo.ne.jp/goo221947/e/f3d0dee40944335529caaab6208fbb8c
この時期の姫路城懐かしいです
40年近く前なのですが景色はほぼ同じ
最初の写真の場所桜の時期よく写真を撮りに行きました
姫路の隣の加古川にずっといたのでここにはよく行ってます
お菊の井戸 まだ残ってるのかな?
塗り替えてからの姫路城って少しイメージが違っていたのですが
お写真を拝見して、そうそうこれこれって思いました♪
上から4枚目の写真の様な石垣の間を列になって歩いた覚えがあります。
何が何だか分からないまま移動し広い場所に出て
これがお菊井戸と説明を受けて怖かった・・・(^^;
変な事だけ記憶に残っていました。
お写真を拝見しなければ、そんな事も思い出さなかったでしょう。
ありがとうございました。(*^_^*)
65歳以上の姫路市民は無料で入城でき、よく行ってます。
西の丸からの天守は、おじさんの一番好きなポイントです。
菱の門まえの壁は、修理で シミもなくなり良くなってますヨ。。。
この時には、天守閣がそのままでしたでしょ?
一昨年の改築で豪華絢爛・入館料も跳ね上がっていますよ。
お菊の井戸は、皆平気で覗いてましたけど・・・
播州皿屋敷・夏でも寒くなるのに、冬では凍てつきます。
備前焼の釉薬をかけたのや、わざと技法で外して焼いたりですが、枇杷葉の枝を欲しいと言われて持って行ったら、出来上がった器を戴きました。
何とも不思議な彩があって、美しいです。
器の価格は適当にらしく、昔は猫や犬の餌皿でしたよ。そこら辺に転がっていました。
もし、お出掛けなら是非ともにご案内させてくださいませね。
動画を拝見しておりましたら頭からスッポリ抜け落ちていた記憶の数々が蘇り、つい懐かしくて見入ってしまいました。
桜も開きかけたばかりと言うのに、あの花見客の数の多さは姫路城が不動の人気である事を物語っておりますね。
化粧直しをした姫路城、何としてももう一度、訪れてみたくなりました。
写真撮影に出かけられる圏内に勤務されていたのですね! 羨ましいですよ~
私も近くならば下調べをバッチリして四季を通し通ったはずです。
お菊の井戸と聞きますと、こちらでは江戸、番町皿屋敷ですが、どちらも何故かお菊さんですね。播州の井戸は存在している様ですよ。
姫路城は天守も然る事ながら石垣と石畳の複雑な通路が戦国の世の強固な技術が垣間見られ、そんな所に感激したものでした。
私の最も印象に残っている場所かもしれません。
人間の記憶と言うのは面白いもので肝心な事よりも、小学生のケイさんで言えば怖い思いをした事、そうした事が妙に心に残り何時までも消えないものなのですよね。私も子供の頃、訪れていたらきっとケイさんと同じだったろうなと、ふと思いました。
群馬からでは、又と言うのは難しい事ですが、それでもあの美しいお城を一目、見られただけでも幸せな事でした。
私が良くウォーキングで行く箕輪城は百名城に認定されてはおりますが、それは歴史的な事だけで有り僅かな石垣と空堀のみが残るだけで当時に思いを馳せようとしても実感として無理が有ります。
井伊直政が高崎に城を移さなければ何とかなっていたでしょうに残念ですよね。そんな意味でも当時の姿を残す姫路城は国の宝ですよね。
お菊の井戸と言えば関東の私は江戸・番町皿屋敷が浮かびますので何故ここにもお菊の井戸が存在するのだろうと、あの時は頭がコンガラガッテしまいました。皿と言うキーワード、夜な夜な皿を数える声、そして菊と言う名前、そうした共通点が不思議なところですよね。
>もし、お出かけなら是非ともご案内させて下さいね。 まぁ、何と嬉しいお言葉でしょう。お会いして焼き物の事や枇杷葉の事が直にお聞き出来たならこんな嬉しい事はございません。有難うございます。