上下2作品は「うずくまる」と題された壺で失敗作でも何でもなく意図して造られたものです。元々は中国の指導の下、タイ国で作られた陶器(宋胡録=すんころく)で穀物の種壺や油壺として使われていた物を日本の茶人が不完全な中に美を見つけ「うずくまる」として雑器から高級品へと昇進させた陶器なのですね。上の作品に野の花を投げ入れたら陶器の風情も一段と増す事でしょう。
解けて流れ落ちた自然釉がいい味をだしてますよね。
(残念ながら私の家に「うずくまる」は有りませんので画像はネットからお借り致しました)
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さて、本題に入ります
門の脇のスオウの葉に蛙が蹲っておりました。居る場所が解りますか?これはもう擬態行動に入ってますよね。きっとゆっくり休みたかったのでしょう。それを邪魔した私です。目がジロッとこちらに向きました。
蹲るつながり、壺は茶人の幻術でカエルは擬態の忍術ですかね。
カエルにじろっとにらまれた様子、面白かったですよ。
「うずくまる」と題されたタイで作られた陶器は、良い味を出していますね。
穀物の種壺や油壺として使われていたというのですから、元々はそんなに価値が
ないものとして扱われていたのでしょうね。見る人の目によって雑器が高級品に
一変する。こんなことって意外と多いような気がしますね。
カエルの擬態も素晴らしいですね。よく気づかれたものだと感心しています。
私の所にも蹲はありません。
というより、手が出ません。分不相応(^^;
でも、蹲も元はと言えば下手の品。
数百年経ったなら、有り余るガラクタ類の中の一つくらい、第二の蹲に昇格できる?・・・コロナ禍の夢(^.^)
しっかりした焼き物見る人が見たらその中にいい物があるんですね
うずくまる タイトル見た時宇和島の方言かと思ってしまいました
宇和島今でも普通にうずくまるって使ってるので方言なのかなって思ってしまいました
カエル見事に隠れてますね
色もボコボコも上手く再現されてる
忍者みたいなやつですね
生けた花をより美しく見せる脇役として世に出た瞬間ですね。
凡人の私はただただ唸るばかりです。
蛙はまるで悟りの境地に達した様な表情とでも言いましょうか。
それを15㎝までカメラを近づけて写したのですから幾ら悟りの境地とは言え睨まれて当たりまえですね。
私は陶芸が好きなものですから以前、わざわざ東京まで陶芸展を観に出かけた事が有りますが「うずくまる」など60万円以上という高級価格で陳列されているのを観て思わず此方が蹲ってしまいそうになりましたね。
蛙はウォーキングに出かけようとした時に何か違和感を感じましたので、よくよく見ましたら・・・
まるでスオウの葉に溶け込む様にツクバッテますよね。
もう直ぐ2年目を迎えますが私もジッと我慢で過ごす毎日です。
宋胡録は恐らく秀吉の時代に朝鮮に渡った武将が倭国へ戻る際、頑丈なこの陶器に大切な物を入れ持ってきたものなのでしょうね。
失敗作とも受け取れるこの壺にいち早く目を付けた茶人(千利休でしょうか?)の審美眼には唸るどころか、もしその場に私が居たとしても、そんなものかと頷くだけだったでしょうね。
「うずくまる」は宇和島では日常に使われているのですか? 類語として「つくばう」「かがむ」「しゃがむ」などの表現が有りますが群馬では最近、使う人もおりませんが「しゃがむ」と言ってましたよ。
>忍者みたいなやつですね
まさにまさに、忍者が使う特殊な兵法に見えますね。
でもこの「うずくまる」は逆に、手にした茶人が価値をあげたんですか!
興味深いです。
いい色合いですね。
高そう!(笑)
蛙見つけました!
これって、タカさんが葉っぱと蛙にペンキか何かぶっかけたみたい。
失礼!
よく、こんな光景を見つけましたね。
なんだか最近カエルを見る機会がたくさんあります。
見事な擬態ですね。